1 お妃様のいつもの日常
「フェ~、フェ~!!」
「あら……?」
今日も、私の離宮ではのんびりと時間が流れていく。
いつものように畑の作物の生育具合をチェックしていると、不意に珍しく切羽詰まったようなペコリーナの声が耳に入った。
「ペコリーナ、どうしたの?」
いつになく慌てた様子で私のもとまでやって来たペコリーナは、口でエプロンの裾をくわえてぐいぐいと引っ張ってくる。
どうやら、私をどこかへ連れていきたいみたいだ。
急いでペコリーナの後を追いかけると……。
「メェー……」
なんと草むらの陰に、ちょこんと座りこんだ小さな子羊ちゃんの姿が!
切なげに鳴き声を上げる子羊ちゃんは、私の姿を見つけると縋るようにうるうると潤んだ瞳を向けてくる。いつも元気な子羊ちゃんの元気ない姿……これは、ただ事じゃない!
「何かあったの……? ちょっと見せてね」
おそるおそる子羊ちゃんを抱き上げ、全身をチェックする。
すると、後ろ脚に血がにじんでいるじゃないですか!
「どこかで怪我しちゃったのね……。よしよし、痛かったね」
「フェー!」
「大丈夫よ、ペコリーナ。すぐに獣医さんに看てもらうわ。その前に……」
そっと傷ついた箇所に手のひらを当て、強く念じる。
「痛いの痛いの、どっかへとんでけ~!」
えいっ、とおまじないを唱え、子羊ちゃんの痛みを放り投げる(真似をする)。
すると、子羊ちゃんはきょとんとした後……嬉しそうに鳴いた。
「メェ!」
「あっ、まだ立っちゃだめよ! 獣医さんに詳しく見てもらうまでは絶対安静。わかるわね」
「メェ~?」
「わかんないかー」
「フェ~!」
「ペコリーナもありがとう、助かったわ」
「フーン」
子羊ちゃんのケガを教えてくれたことを褒めると、ペコリーナも得意げに鳴いた。
ちゃんと子羊ちゃんの面倒を見てえらい! もうすっかり頼れるお姉ちゃんだ。
それにしても……と、私はじっと自分の手のひらを見つめてみた。
今のは子供の頃に誰もが経験しているであろう、ポピュラーなおまじないだ。
まだエラが小さかった頃、走って転んではわんわん泣くエラに私も何度もやってあげたっけ。
もちろん、ただのおまじないで気分的にはともかく、実際に痛みを止める効果なんてないはずだ。
ないはず、だけど……。
「メェ~♪」
どうやら、私のおまじないは結構効いてしまうらしい。
少し前に、同じように牧場の動物がケガをしたことがあった。
悲しそうに鳴く動物を、何とかなぐさめたくて……同じように「痛いの痛いのとんでけ~」とやったら、なんとけろりと立ち上がったのだ!
魔法使いのヒューバートさんは「魔法っていうのは、『こうしたいな~』とか『こうだったらいいのにな~』とか考えながら『えいっ!』ってやるとできるよ」と言っていた。
その時は「そんな馬鹿な……」って思ったけれど、あながち間違ってもいなかったようだ。
今のところ動物にしか試していないし、他に何か魔法っぽいことができるわけじゃないけど、私も少しずつ進歩してると思っていいのかな?
「妃殿下、私が運びましょうか」
「いいえ、大丈夫よ。今は落ち着いてるみたいだし、このまま連れていくわ」
近付いてきたダンフォース卿がそう申し出てくれたけど、私の腕の中で安心しきった子羊ちゃんがまたびっくりして泣いちゃったら大変だ。
そう伝えると、ダンフォース卿は感心したように頷いた。
「なるほど、妃殿下は見た目によらず腕力があるのですね。頼もしい限りです」
「そ、そうね……」
わぁ、また一歩理想の王太子妃から遠のいてしまった……。
まぁでも、これが私という人間なのだから。やっぱり変に取り繕ったりすると疲れちゃいますからね!
◇◇◇
アマンダ夫人のあの一件以降、私は以前にも増して精力的に、社交界に顔を出すようにしていた。
アレクシス王子の妃としてきちんと皆に認めてもらうために、日々の努力は欠かせませんからね。
いざという時にために味方を作っておくのは大事だし、情報収集にもなるのです。
そんなわけで、本日は私が主催したお茶会です。
今シーズンの流行のドレスや、殿方ご令嬢方の恋模様……はたまた私に合わせてくれたのか、野菜や動物たちのお話も。
淑女たちのおしゃべりは、留まるところを知らないように次々と話題を変えながら続いていく。
まるで変奏曲みたいね……と感心していると、不意に一人のご婦人が話を振って来られたではないですか。
「そういえば、お聞きになられましたか、妃殿下。空を舞う海賊船の話を!」
彼女がそう口にした途端、何人もの淑女が次々と話に食いついてきた。
「わたくしも聞きましたわ!」
「あら、わたくしはただの見間違いだと伺いましたが」
「同じ船が各国で目撃されているそうです。つい先日、隣国でも目撃されたとか……」
「えぇ、わたくしも伺っております。危険なものでなければ良いのですが……」
「空を飛ぶ海賊船」の話は、確かに私も聞いておりますとも。
最初に聞いたのは……そうだ。プリシラ王女に糾弾された私を助けるためにやって来たエラがお城に滞在している時に、教えてくれたっけ。
なんでもその船は、見た目は「海賊船」そのものなんだとか。
美しさと機能性を兼ね備えた船体に、黒くはためく海賊旗。
驚くことに、その船は海ではなく空を進んでいくのだという。
更には神出鬼没。普通に考えて大きな海賊船が空を飛んでいたりしたら大騒ぎになりそうだけど、不思議なことにその船はいきなり消えたり現れたりするそうなのだ。
そんな馬鹿な話があるか! ……と真面目に取り合わない人が多いけど、目撃情報は各地で増えていってるんだとか……。
もちろん私や王子の耳にも届いているけれど、今のところそんなあやふやな未確定情報しかないので、王子は静観すると言っていた。
本当に、何なんでしょうね。
「わたくし、その件で新たな情報を耳にしましたの」
ぼんやりと謎の海賊船に想いを馳せていると、最初に声をかけてきた貴婦人がにんまりと笑う。
「ここからは極秘情報なのですが……隣国に住むわたくしの親戚が、その海賊船の船員を目撃したそうですの!」
おぉ、これは新情報! 謎に包まれた海賊船の、神秘のベールが暴かれてしまうのですね!
少し前のめりになった私に、貴婦人は声を潜めてとびっきりの情報を教えてくれる。
「ここだけの話ですよ、妃殿下。おそらく船長と思わしき者を目撃したそうなのですが、なんでもその男は…………とびっきりのイケメンだったそうですの!」
極秘情報ってそれかーい!
思わずずっこけそうになるのを、私はなんとか気合で耐えた。
だが呆れたのは私だけだったようで、お茶会に出席する淑女たちは極秘情報に沸き立っている。
「まぁ、素敵!」
「空を駆る美しき海賊……きっと絵になるでしょうね……」
「『今夜盗む宝は……お前だ』なんて言って誘拐されてみたいですわ♡」
いやいや、いくらイケメンでも相手は海賊ですよ?
誘拐されてみたいとか言ってる場合ではないのでは?
好き勝手に物語を作って盛り上がる面々たちに、私はこっそりとティーカップの中にため息を零した。
Twitterの方では先にお知らせいたしましたが、本作の書籍2巻の発売が決定しました!
1巻をお迎えいただけた方、本当にありがとうございます!
というわけで新章のはじまりです。
アデリーナの新たな物語をお楽しみください……。