12 お妃様、離宮へ戻ってくる
最後の一口まで綺麗に食べ終わった王子は、得意げに告げた。
「中々の腕前だな、礼を言おう」
「そ、そんな……もったいないお言葉です」
「望めば君を俺の専属料理人に任命してやってもいいぞ?」
「あはは……考えておきますね」
光栄ですが、本当に私とあなたが出会うのはずっと未来の話。
その時もう一度そう言っていただければ、喜んでお引き受けいたしますね。
「なんだ、遠慮することはない。なんなら俺が君の上司に直接言ってやっても――」
「はいはい、難しい話はまた今度にしよう。お待ちかねのプレゼントタイムだ」
そういえば、プレゼントはヒューバートさんが用意してくれるって言ってたけど、いったい何を用意したんだろう。
首をかしげる私の背後にまわったかと思うと、ヒューバートさんは私のぐい、背中を押して、王子の方へと追いやった。
「アレクシス、プレゼントは彼女だよ」
「…………は?」
「ちょっ……何言ってるんですか!」
やっぱり、魔法使いっておかしい人じゃない!
慌てる私と、訝しげな王子を見てくすりと笑い、ヒューバートさんは王子の耳元に何かを囁いた。
「……そんなものが彼女の望みなのか?」
「言ったじゃないか、彼女は君の大ファンだって」
「ふむ、確かに……まぁいいか」
あれ、ヒューバートさん……いたいけない王子に変なこと吹き込んでませんよね!?
おろおろと状況を見守る私に、不意に王子が手を差し出した。
「先ほどの料理、実に見事だった。君の忠義には報いねばならんからな。……一曲、付き合ってやってもいいぞ」
えっと、これは……もしかして、私をダンスに誘ってくださっているのでしょうか……?
困惑する私に、ヒューバートさんがウィンクしてみせる。
「ほら、アデリーナ。こんなに素直なアレクシスと踊る機会なんて、中々ないよ」
それは確かに……。
ニ十歳の王子もとっても素敵だけど、こんなに可愛らしい王子と踊れる機会は二度とないかもしれない。
……結局、私が彼のファンだというヒューバートさんの言葉は、あながち間違いでもないのだ。
私は歓喜を胸に、おそるおそる王子の手を取った。
ヒューバートさんがどこからかバイオリンを取り出し、優雅な曲を奏で始める。
その曲に合わせて、私と王子はゆっくりとステップを踏み出した。
「なかなか上手いじゃないか。本当にただの使用人か?」
「うふふ、どうでしょう」
そりゃあ、ニ十歳のあなたと踊るためにかなり練習しましたからね。
たとえ十歳の子どもでも、やっぱり王子のダンスはとても上手かった。
彼は幼い頃から、たくさん努力を重ねてきたんでしょうね……。
曲が終わると、私はゆっくりと王子の手を離した。
名残惜しいけど、今日一日びっしり予定が詰まっていた王子はお疲れなのだ。
早めに、お休みになっていただくべきだろう。
「ヒューバートさん、王子を送って行っていただけますか?」
「あぁ、構わないよ。それじゃあ行こうか、アレクシス」
「……あぁ」
そのまま部屋を出るかと思われた王子は私の目の前までやってくると、どこかはにかむように笑った。
「……君も、ご苦労だったな。ここに来るまではうんざりしていたが……誕生日というものも、なかなかいいものだな」
そう言ってもらえた途端、不覚にも涙が出そうになってしまった。
あの肖像画の中の不機嫌そうな王子が、笑ってくれた。
それだけで、何もかもが満たされるのだ。
「望めばすぐに専属料理人にしてやろう。何かあったら俺を頼るといい」
「もったいないお言葉です、王子殿下。それでは……王子殿下の健やかな成長をお祈りしております」
深く頭を下げ、私は部屋を出ていく王子を見送った。
王子が、喜んでくれた。
私が王子のためを思って作った料理と、パーティーで。
……うん。忘れかけていた、大事なことを思い出せたような気がする。
「……ずいぶんとすっきりした顔になったね」
いつの間にか、王子殿下を送り届けたのかヒューバートさんが戻って来ていた。
彼はどこか試すような瞳で、じっと私を見つめている。
「はい、パーティーって形式や伝統を守ることも大事ですけど……やっぱり私は、誰かに喜んでほしいんです」
多少形が変わってしまっても、その場にいる人が楽しめるようなパーティーにしたい。
大丈夫、きっと……王子ならわかってくださるはず!
私の表情を見て、ヒューバートさんにも決意を固めたのがわかったのだろう。
彼はにっこり笑うと、私に向かって手を差し出した。
「それじゃあ、帰ろうか。あんまりゆっくりしていると、向こうのパーティーに間に合わなくなるかもしれないからね」
「え……? もしかして、私たちが絵の中にいる間の時間って……」
「絵の外でも、普通に同じだけの時間が流れてるよ」
「ええぇぇぇぇぇ!?」
嘘! てっきり絵の中に入っている間は、外の時間は止まっているかと思っていたのに!
「ちょっと待ってください、じゃあ絵の外側では、私は三日も行方不明に……?」
「あぁ、その点は大丈夫だ」
「よくわからないけど、早く帰りましょう!」
あれから三日も経っているなら、すぐにでもパーティーの準備を始めないと間に合わない!
慌ててヒューバートさんの手を取ると、その途端周囲の景色がぐにゃりと歪んで――。
「わっ!」
急に宙に放り出されるような感覚がしたかと思うと、私たちはあの肖像画が飾られている廊下に立っていた。
「おっと」
ふらついた私を、とっさにヒューバートさんが支えてくれる。
そのまま背後を振り返って、私は驚いてしまった。
「王子殿下……」
絵の中に入る前は確かに仏頂面をしていたはずの、肖像画の中の王子は……満足げに微笑んでいたのだ。
その変化に、私も嬉しくなってしまう。
そうですよね、王子。
大丈夫、私は私なりにやり遂げてみますから!
怪しまれないようにこそこそと私室に戻り、そこでまた私は驚いてしまった。
「わ、私がいる!?」
なんと王太子妃である私の私室には、私とまったく同じ姿をした誰かがいたのだ。
のんびりソファーに腰掛けて本を読んでいた何者かは、驚く私を見てにこりと笑う。
「お帰りなさいませ、アデリーナ様、ヒューバート様」
「やあやあ、何か変化はなかったかい?」
「あいかわらずアマンダ夫人が例のパーティーの計画を進めようとしているので、今日まで保留を貫いておりました。夫人もそろそろしびれを切らす頃かと」
「なるほど、よく頑張ってくれたね、ありがとう」
ヒューバートさんは驚くこともなく、私の姿をした何者かと会話を交わしている。
……本当に、魔法使いってわけがわかりませんね!
「それではアデリーナ様もお帰りになったことですし、私も戻らせていただきますね」
「あぁ、助かったよ。ありがとう」
そのまま私の姿をした何者かが目の前にやって来たかと思うと……彼女は私のすぐ傍らに置かれていた姿見の中へ溶けるように消えていった。
…………!?
「あの、今のは……?」
「鏡に映ったアデリーナだよ。君がいなくなっている間、鏡から出てきてもらって君の代わりを務めてもらってたんだ」
「…………そうですか」
もう、突っ込む気力もありません。
魔法使いって、本当に規格外でわけの分からない存在……。
目の前の彼に会って、はっきりわかりましたとも!
「いいわ。今はとにかく、パーティーの準備を進めないと!」