8 お妃様、専属騎士を任命する
「よしよし、いい感じに育ってるわね」
陽の光を浴びて、畑に実ったトマトは宝石のように輝いている。
もう少し赤く熟せば、収穫して料理にも使えそうだ。
「お妃様、こちらのニンジンはもう収穫できそうです」
「まぁ嬉しい。じゃあ収穫しておいてもらえるかしら。ニンジンは……そうね、まずはキャロットケーキを作りたいわ」
はぁ、どんどん作物が実って、収穫した作物を食べて……これ以上の幸せがありますでしょうか。いや、ない。
最初は小さかった畑も、今やどんどんと拡大中だ。
離宮に置き去りにされた私は、王太子妃という立場をある意味有効活用していた。
屋敷にいた時は一人でせこせこと小さな家庭菜園に勤しんでいたけど、今や侍女に頼むだけで優秀な人材を調達して来てくれるのだ。
最初はかしこまっていた雇われ農民たちも、今や気軽に「お妃様」と声を掛けてくれるようになった。
自分で言うのもむなしくなるけど、私ってお妃様らしい風格ゼロだしね。庶民的だから逆に声を掛けやすいのかもしれない。
どうせなら今度皆を離宮に招いて、小さなパーティーでも開こうかしら。
そんなことを考えながら歩いていると、離宮の方から慌てた様子で侍女が駆けてくるのが目に入る。
「妃殿下、大変です!」
あれ、このシチュエーションには覚えが……
まさか、また王子殿下がいきなりいらっしゃったり――。
「王子殿下が明日、こちらにいらっしゃると……」
よかったああぁぁぁ……。明日だった!
安堵のあまり、私はその場に座り込んでしまった。
「妃殿下!? どうなさいました!!?」
「いえ、大丈夫……よ」
前回の訪問時に私があまりにみすぼらしい恰好をしていたからか、王子は訪問前にアポを取るということを覚えてくださったようだ。
うーん、これはこれで着飾って出迎えろと言うことでしょうか……。それもまた面倒だけど、私の立場で文句は言えない。
しかし王子は、何をしにこの離宮にやって来るのだろう。
なんて首をかしげていると、何故か嬉しそうな様子の侍女がまくしたてる。
「そうと決まれば急ぎましょう!」
あの、急ぐって何を……?
「王子殿下をお迎えする準備です! ボディマッサージにお肌のパックにヘアエステに……あぁ忙しい!!」
いえ、たぶん王子は私にそういう方向性は求めていないのでは……なんてことを口にする前に、私はやる気全開な侍女に拉致されてしまったのでした。
◇◇◇
「お越しになるのをお待ち申し上げておりました、アレクシス王子殿下」
前回とは異なりしっかりと着飾って出迎えた私を見て、王子は……なんとも微妙な顔をしていた。
ほーらね。微妙な女が多少着飾ったところで微妙なのは変わらないんですよ!
私は別にいいけど、頑張って整えてくれた侍女たちの苦労を思うと申し訳なくなる。
王子、こういう時は嘘でも褒めるものですよ。
微妙な空気を変えようとするかのようにコホンと咳払いをして、王子は恭しく話し始める。
「今日はそなたの専属騎士の任命を行う。選定は既にこちらで行った」
「私の専属騎士……ですか?」
王族にはそれぞれ専属騎士がついてるって話は聞いたことがあるけど、私の専属騎士って……正直なところ、必要ないのでは?
この離宮周辺は平和そのものだ。警備の騎士はちゃんと別にいるし、私の専属騎士になんてなったら、やることなくてその人が逆に可哀そうなくらい。
オブラートに包んでそう伝えると、王子は気分を害したのかムッとしたような表情になる。
「いいか、マグダリーナ。そなたは俺の妃なのだ。そなたの身に何かあってからでは遅いのだ。わかるな?」
…………?
マグダリーナとはどなたでしょう。
俺の妃と言うからには王子のお妃様のはずで、王子のお妃様は現在私一人のはずで……。
あれ、もしかして……私のことですか!?
おそらく周囲の者たちも、王子が私の名前を間違えていることに気が付いたのだろう。
辺りに張り詰めたような空気が漂い始め、気づいてないのはおそらく王子一人だけ。
まずい、これはまずい……!
みんな空気を読んで黙っているけど、誰かがうっかり指摘したら王子が恥をかいてしまう……!
私は何も気が付いていない振りをして、すみやかに話を進めることにした。
「王子殿下がそこまでわたくしの身を心配してくださるとは、光栄の至りです。是非、騎士様にお会いしとうございます」
「そうか……! ダンフォース、こちらへ」
ころっと機嫌の直った王子の呼びかけに従い、一人の若い騎士が私の前へと進み出た。
わぁ、中々のイケメン。ますます私の専属になんてするのがもったいない。
「ダンフォースと申します、妃殿下。妃殿下のように気高く美しい淑女にお仕えすることこそ騎士の誉れ。どうか、わたくしがお傍に侍ることをお許しいただきたい」
芝居がかった仕草でそう言ったかと思うと、ダンフォース卿は恭しく私の前に跪いた。
えっと、こういう時は確か……。
「許可、します」
そっと手を差し出すと、ダンフォース卿は私の手の甲に口づけた。
ちらりと周囲を伺ってみたけど、よかった……みんなにこにこしている。
こんな感じでいいみたい。
王子も満足げに頷いている。
あっ、今ならいけるかも……!
王子がここにやって来る機会なんて、そうそうあるとは思えない。
だから今日は、しっかり貢物を用意したのです!