8 お妃様、小さな王子に出会う
「ひぃぃぃ!?」
肖像画にぶつかっちゃう! ……と思ってぎゅっと目を閉じていた私は、急な浮遊感にバランスを崩してしまう。
「わわわ……!?」
「おっと」
ふらついた私の体は、しっかりとした腕に支えられる。
見れば、ヒューバートさんが細身な体とは裏腹にしっかりと、私を抱きかかえてくれていた。
「あ、ありがとうございます……!」
ひゃあ、事故とはいえほぼ初対面の男性(しかも不審者)に抱き着いてしまうなんて!
慌てて飛び退いた私は、やっと周囲の違和感に気が付いた。
あれ、私たちは離宮にいたはずなのに……。
建物の感じからすると、ここは国王陛下たちがお住まいの本宮殿のようだった。
絵の中に隠し通路でもあったのかな?
それにしても、一瞬で移動できるなんて……いったいどうやったんだろう。
きょろきょろ周囲を見回す私を、ヒューバートさんはおもしろそうに眺めていた。
「それじゃあ、行こうか。あっ……その前に、本人が来たみたいだよ」
行くってどこに? それに、本人って誰ですか?
……なんていう私の疑問は、扉を開けて部屋に入って来た人物により吹っ飛んでしまった。
「おい、ここで何をしている?」
私の記憶にある姿よりも、ずっと小さな体に幼い顔立ち。
それでも、いついかなる時も変わらない堂々たる態度はさすがに王族といったところでしょうか。
扉の前に立っていたのは、なんと……10歳くらいの少年の姿をした、アレクシス王子だったのです!
でもどうして!? 王子は今他国へお出掛けしているはずだし、そもそも何で小さくなってるの!? 王子の親戚? 弟? まさか隠し子!?
驚きすぎて声も出ない私を尻目に、ちっちゃな王子(?)は訝しげな表情で私たちを見つめ、口を開いた。
「ヒューバートか? いったいいつの間に来ていたんだ」
「ついさっきだよ、アレクシス。お誕生日おめでとう」
「それは三日後だ」
「そうかそうか、それは良い誕生日になることを期待しているよ」
そんなヒューバートさんの言葉に、小さな王子(?)は大きくため息をつく。
「良い誕生日、だと? 誕生日なんてうんざりだ! 挨拶挨拶謁見謁見……楽しくもないのに笑顔を浮かべて、好きでも何でもない料理を美味そうに食わねばならんのだぞ!? まったく……別に、必要とされているのは俺ではなくただ『王子』という立場の人間でしかないのだから、人形でも何でも置いておけばいいんだ!」
まるで溜まりに溜まった不満をぶちまけるように、小さな王子は一息にそう吐き出した。
ぜぇはぁと息を荒げる王子が、不意に私の方へ視線を向ける。
その瞬間、鼓動がどくりと大きな音を立てたのがわかった。
「……ヒューバート、そちらの女性は?」
「君が未来で大きく関わることになる女性だよ」
「……? 新しい召使いということか?」
「いや、そうじゃなくて、君のお嫁さ――」
「いっ、いえ! その通りです! 新しく王子殿下にお仕えすることになりました、アデリーナと申します!」
私は慌ててヒューバートさんの言葉を遮るように、大きな声で言葉を重ねた。
王子は私の大声に驚いたように目を丸くしたけど、軽く咳ばらいをするとくるり踵を返す。
「そ、そうか……。まぁ、来たのならシルヴィアに挨拶をしておけ。会いたがっていたからな」
それだけ言うと、王子は再び扉を抜けて部屋を出ていった。
その途端、私は緊張のあまり床へと崩れ落ちてしまう。
「ありゃ、大丈夫?」
「大丈夫じゃありませんよ! 王子になんてこと言うんですか!」
「でも事実じゃないか。君はアレクシスの花嫁なんだから」
「でも、でも……あの王子は、そんなことはご存じないんでしょう? だって……」
さすがに、私も気づいてしまった。
すごく、ものすごく信じがたいけど、きっとここは……。
「過去の世界、ですよね?」
そう問いかけると、ヒューバートさんはにやりと笑う。
「正確には、過去の時間軸を描いた絵の中だね。でもまぁ、おおざっぱに過去の世界だと思ってもらって構わないよ」
はぁ……本当に魔法使いって理解不能だわ……。
でも、やはりここは過去――10年前のアレクシス王子の10歳のお誕生日の前後の世界だということになる。
「これでわかっただろう? どうして肖像画の中のアレクシスが、あんなに不機嫌そうな顔をしていたのか」
確かに……早々にわかってしまいましたよ。
「王子にとって、お誕生日は……あまり、楽しい日ではないのですね」
王国の第一王子のお誕生日。それはそれは、皆がこぞって祝いに来ることでしょう。
当然、主役である王子は来客の対応をしなければならないし、忙しいんでしょうね……。
パーティーの場でずっと笑顔を浮かべながら、次々とやって来る人たちの対応をしなければならない大変さは私も身に染みている。
私は大人になってからそういった世界に放り込まれたけど、王子はきっと、生まれた時からそんな世界にいたんだ……。
「なんだか、悲しいですね……」
まだ10歳のアレクシス王子が、あんな風に誕生日を悪しざまに言うなんて。
彼の境遇を考えるだけで、心が痛んだ。
すると、ヒューバートさんが何かを思いついたように明るく口を開く。
「じゃあ、僕たちでアレクシスに楽しい誕生日をプレゼントしよう!」
「え?」
「確か誕生日は3日後だって言ってたよね? 大丈夫! 十分間に合うさ!」
「え? え??」
「君だって、アレクシスの笑顔が見たいだろ?」
ぱちん、とウィンクされて、私は迷いつつも頷いた。
ヒューバートさんが言うにはここは絵の中の世界で、そこで何かをしたから誰かが救われるわけじゃないかもしれないけど……それでも、私は王子に幸せになって欲しかったのだ。