15 お妃様、見てはいけない現場を見てしまう
翌朝、朝日が昇る前に起床した私は、さっそくロビンとペコリーナと一緒に解毒剤の材料採取に出かけた。
一分一秒でも早く、ディミトリアス王子の惚れ薬の効果を解かなければならない。
いつもはトコトコゆっくりお散歩するペコリーナも、今日は私を背に乗せ馬のように疾走だ。
何としてでも、今日一日で決着をつけてやらねば!
「ロビン、案内をお願い!」
「まっかせてー!」
目を見張るような強行スケジュールだが、文句は言えない。
山を越え谷を越え川を越え……私たちは必死に採取に励んだ。
「次は……川の向こうに生えてる麝香薔薇だけど……っ、アデリーナさま、止まって!」
急にロビンに制止され、必死にペコリーナを駆っていた私は慌てて止まるように合図した。
ロビンは何故か慌てた様子で、ぐいぐいと私の肩を押そうとしている。
「どうしたの、ロビン。目的地はすぐそこなんでしょう?」
「で、でも……今はまずいっていうか……」
「どうして? 今は一刻を争うのよ!」
私たちがいる小さな崖の下から、小川のせせらぎが聞こえているのに。
ここで遠回りなんて大きく時間のロスになってしまう。
私はロビンの制止を振り切るように、ペコリーナから降りて足を踏み出そうとした。
そして、見てしまった。
「ぁ…………」
眼下を流れる小川のほとりに、確かに麝香薔薇が綺麗に咲いている一角がある。
そこには、先客がいた。
一人の美しい女性がそっと花を手に摘み、男性へと手渡す。
受け取った男性は嬉しそうに笑った。
その光景に、私は息が止まりそうなほど衝撃を受けてしまった。
だって、薔薇を受け取った男性は、私の良く知る旦那様だったのだから。
――アレクシス王子……?
そのお姿を、見間違えるわけがない。
確か彼は今日も、所用があって出かけると言っていたはずだ。
……その所用が、これだったのかな。
「あの、アデリーナさま、これはですね……とにかく見なかったことにしませんか?」
ロビンが何か言っていたが、うまく私の耳には入らなかった。
私はただ凍り付いたように、二人の姿を見ていることしかできない。
そのうちに女性が何事か呟くと、二人の姿は霧のように消えてしまう。
やっと体が動くようになったのは、それからしばらくした後のことだった。
「……麝香薔薇を、持って行かなきゃ」
そう自分に言い聞かせ、根が生えたように動かない足を叱咤する。
今はよそ見をしている暇なんてない。
まず優先しなければならないのは、ディミトリアス王子を元に戻すための薬の作成だ。
そうわかっているのに……どうしても、先ほどのアレクシス王子と見知らぬ女性の姿が頭から離れなかった。
とても、美しい妖精の女性だった。
彼女に対するアレクシス王子も、とても優しい空気を纏っていた。
アレクシス王子はとんでもなくおモテになるが、実は女性に対しては案外厳しい部分がある。
側近のコンラートさん曰く、私と結婚するまではその気もないのに女性たちに追い回され、辟易していたのだとか。
そんな背景もあり、アレクシス王子は基本的にあまり親しくない女性に対しては、義務以上に関わろうとはしない。
私もそんな場面を何度も間近で見ていた。だから、王子の作り笑いと心からの笑顔の違いも、最近はわかるようになってきた。
そう、わかってしまうのだ。
先ほどの王子は、間違いなく心からの笑みを浮かべていたということも。
……別に、あの場面だけを見て、浮気だとか騒ぐつもりは毛頭ない。
王子は私を愛してくれていると、宝物だと言っていた。
その言葉を疑うつもりは無い。
でも王子はきっと、彼女に会うためにこの妖精の里にやって来たのだ。
……だから、不安になってしまう。
今は私を愛してくれていても、いつかは愛想を尽かしてしまうかもしれない。
私がディミトリアス王子に仕出かしたことが知られれば、王子は私を軽蔑するかもしれない。
そのまま、私の元から離れて行ってしまうかもしれない。
……そんな不安が、恐怖が、後から後から湧いて出てきてしまうのだ。
私は深窓の姫とは程遠い、生まれも育ちも平凡な人間で。
王子が今私を愛してくれているのも、一時の気まぐれではないかと考えてしまうのだ。
普段高級料理ばかり食べていた王子が、私の庶民料理を気に入ってくれたように。
いつかはまた、好みが変わってしまうのかもしれない。やはり高級料理の方が美味しいと、捨てられてしまうかもしれない。
王子はそんな薄情な人間ではないとわかっているけど、どうしても考えずにはいられないのだ。
「……アデリーナさま?」
黙り込んでしまった私に、ロビンがおそるおそるといった様子で声を掛けてくる。
私は意を決して足を踏み出し、麝香薔薇の花びらを採取した。
「……大丈夫よ。次の場所へ行きましょう」
「あ、あのですね、さっきのは――」
「ロビン。今はとにかく急ぎたいの。おしゃべりは全てが片付いてからゆっくりと楽しみましょう」
ロビンの言葉を遮るようにして立ち上がる。
……まだ、先は長いのだから。