10 お妃様、すれ違いに胸を痛める
部屋に帰れば王子と鉢合わせてしまうかもしれない。
まだ顔の熱が引かない私は、なんとなくなんとなく遠回りするように妖精王の宮殿をふらふらしていた。
「アデリーナ様~、お部屋に帰らないんですか?」
「うっ……もう少し、食後の散歩をしたいのよ……! あっ、向こうの庭園に行ってみたいわ!」
「はいはーい、ご案内しまーす」
ロビンはニヤニヤしながらも、案内役としての仕事を果たしてくれている。
はぁ……しばらく夜の散歩でもして、この熱を冷まさないと。
足を踏み入れた庭園は、仄かに光る花が咲く、とても美しい場所だった。
思わず感嘆の声を漏らすと、得意げに胸を張ったロビンが教えてくれる。
「ここはぁ、ティターニア様のお気に入りの庭園なんですよ」
「え、勝手に入って大丈夫なの!?」
ティターニア様といえば妖精王のお妃様。
まだご挨拶できていないし、私みたいな人間が勝手に入ってもいいのだろうか。
「全然平気だから大丈夫でーす! ティターニア様、細かいことは気にしない御方だから」
「そ、そうなの……」
「そうそう、何か集中するものがあると、何か月も宮殿を空けたりするし」
……思った以上にフリーダムな御方だった。
でも、そんなに長期間不在にすることが多いなら……もしかしたら、今回の滞在ではお会いできないかもしれない。
お世話になってる身として、挨拶くらいはしておきたいんだけどね……。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと風に乗って声が聞こえた。
耳をすませば……なんとそれは、か細いすすり泣きだったのです。
「ねぇ、ロビン。何か聞こえない?」
「えっと、これは……誰かが泣いてるね」
「怪我でもしてたら大変だわ。行きましょう!」
慌てて声の方向へ走り出し、すぐに泣き声の主は見つかった。
小さな泉のほとりの岩に腰掛け、すすり泣いているのは……なんと、晩餐を欠席したヘレナ様だったのだ。
近くにディミトリアス王子の姿は見えない。
まさか、何か不測の事態でも!?
「ヘレナ様、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄ると、ヘレナ様が驚いたように顔を上げる。
その瞳は涙に濡れていて、美人は泣き顔も美しいのだとこんな時なのに感心してしまう。
「あなたは……アデリーナ妃?」
「は、はい! その、すすり泣く声が聞こえたので……」
そう口にすると、ヘレナ様は少し気まずそうに俯いた。
あれ、これって……もしかして気づかない方がよかった感じ?
一人でこっそり泣いてたところに、無遠慮に踏み込んでしまったのかもしれない!
「い、いきなり声をおかけして、申し訳ございません! あの、邪魔でしたらすぐに立ち去りますので!」
後ずさりながらそう口にすると、ヘレナ様は驚いたように首を横に振った。
「いいえ、あなたは何も悪くありません。こちらこそ、情けない姿を見せてしまい、お詫び申し上げます」
いえいえ、それは全然いいんですけど……。
「あの、何かあったのですか……?」
ついつい、聞かずにはいられなかった。
ヘレナ様怒るかな……と思ったけど、意外にも彼女は素直に答えてくれた。
もしかして、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
「どうしようもなく、自身の不甲斐なさに嘆きたくなったのです。……今日、些細なことでディミトリアス殿下と言い合いになってしまいました」
はい、その現場を見てました……とは言えなかった。
ちらりとロビンに目配せして、黙秘徹底ヨシ!
「いえ、言い合いとも言えません。私が一方的に、ディミトリアス殿下につっかかってしまっただけなのです。殿下は……きっと私に失望されたことでしょう」
いやいや、滅茶苦茶ヘレナ様のこと心配してたので大丈夫だと思いますよ!
……と言いたいのを我慢して、私はじっと彼女の話を聞き続ける。
「いつもそうなんです。殿下を前にすると、どうしても本心とは別の言葉が口をついて出てしまって。これじゃあ、お優しい殿下も愛想を尽かして、いずれ婚約破棄されてしまうわ……!」
そこまで言うと、ヘレナ様はハンカチであふれる涙をぬぐった。
……あれ、ディミトリアス王子の話だと、ヘレナ様には王子以外に好きな相手がいるって感じじゃなかったっけ。
でも、今の言葉を聞く限り……。
「つかぬことをお伺いしますが……ヘレナ様は、ディミトリアス王子のこと……」
「幼い頃より、お慕い申し上げております。婚約が決まった時には、天にも昇る心地でした。ですが、どうしてもあの方の前では素直になれず……殿下も、本心ではこんな生意気な女にうんざりしているに決まっています……!」
あれあれ、これってもしかして……「両片思い」って奴じゃないですか?
言いたい! 「ディミトリアス王子もあなたのこと好きですよ」ってすごく伝えたい……!
でも、今の私は王太子妃。ディミトリアス王子はヘレナ様には黙っててくれって言ってたし、国家機密にも等しい秘密をぺらぺら話すわけにはいかないのです。
「……聞いてくださってありがとうございます、アデリーナ妃。私はここで失礼させていただきますわ」
「あ、おやすみなさい……」
ヘレナ様はそっと微笑むと、次の瞬間にはいつものキリっとした顔に戻って去っていった。
うーん、意外なところでヘレナ様の本心を聞いてしまった。
ディミトリアス王子とヘレナ様はお互いを想いあってるのに、すれ違ってしまってる。
何とかしてあげたいけど、傍観者の私が下手に首を突っ込むのもよくない気がするし……。
「ふーん、人間って大変だねぇ」
「なんとかならないかしら……。このままじゃ、それこそすれ違ったまま破局になりかねないわ」
「要するに、お互いに本音をぶちまけちゃえばいいんでしょ? 僕に、いい考えがありまーす」
そう言うと、ロビンはにやりと笑った。