5 王子様、悩む
――王子たるもの、いつか運命の姫と出会うはず。
幼い頃から信じていた幻想が、こんな事態を引き起こすとは……あの頃の俺は、夢にも思わなかっただろう。
「…………はぁ」
大きなため息が執務室に響き渡る。
その音に、黙って書類をさばいていた王太子付きの秘書官――コンラートが顔を上げる。
「殿下、ため息をつくと幸せが逃げますよ」
「もう逃げられた後だ」
やっと出会えたはずの運命の姫――エラは、俺ではない男の手を取って去って行ってしまった。
しかしまさか、そのショックで彼女の姉と代わりに結婚してしまうとは……あの時の俺はいったい何を考えていたのだろう。
冷静になってみると、早まりすぎたとしか言いようがない。
王国の第一王子、アレクシス。20歳。既婚。
それが、今の俺のプロフィールだ。
そう、既婚者なのである。
「ご結婚おめでとうございます」という言葉を、ここ最近何度聞いただろうか。
「殿下、あれからお妃様の元を訪れましたか?」
「いいや、行ってないな」
「いくら形だけの結婚とはいえ、あからさまにお妃様を冷遇すれば、周囲も何かあると感づきます。いずれ離婚するにしても、しばらくの間は体裁だけでも保っておいたほうがよろしいかと」
コンラートの諫めるような言葉に、また一つため息が零れ落ちた。
だが……そろそろ目を背けてはいられないことに、俺自身ももう気づいている。
――『私は決して、王子の愛は望みません。ですのでご安心を』
――『ですから王子は、わたくしのことなど忘れてくださって結構です。愛人でも側室でも、自由にしていただいて構いません』
――『とりあえず衣食住の便宜だけ図っていただければ、私は大人しくしていると約束しましょう。ほとぼりが冷めたら離縁していただいても結構です』
運命の相手の姉――確か、アドリアーナとか言ったか。
結婚初夜に、彼女は凛とした態度で俺にそう告げた。
今思えば、俺はなんて酷なことをしてしまったのだろう。
彼女からすれば、いきなりよく知らない相手と愛のない結婚を強いられたのだ。
もしかしたら、彼女にも婚約者や恋人がいたかもしれない。
そんなことを確かめもせずに、ほとんど無理やり連れてきて、今はこうして彼女を放置している。
考えれば考えるほど、自分の不甲斐なさに腹が立ってくる。
俺はただ、彼女と向かい合うことから逃げ続けているだけだ。
「……一度、きちんと話し合うべきだろうな」
そう口にすると、コンラートがくすりと笑う。
「離宮付きの侍女から妃殿下についての報告が上がっております。今日こそは聞きますか?」
今までは、彼女についての報告もろくに聞こうとしなかった。
「何か問題が起こったのでなければそれでいい」と、意図的に目を背けていたのだ。
だが、いつまでもそうしてはいられない。彼女に向き合うと、決めたからには。
「……聞こう」
「妃殿下は、離宮周辺の空き地に畑や牧場を作り、日々精力的に農耕に励んでいらっしゃるそうです」
「…………ん?」
「昨日は離宮の侍女たちも参加して釣り大会を行い、妃殿下が一番の大物を釣り上げられたとか……」
「おい、ちょっと待て」
畑? 牧場? 農耕? 釣り?
それは……何かの間違いではないのか??
「それは本当に……俺の妃に関しての報告か?」
「毎回毎回報告書がすごく愉快なんですよ。だからもっと早くに聞けばよろしかったのに」
「そういうことは早く言え!」
どん、と拳で机を叩くと、コンラートは愉快そうに口角を上げた。
「殿下、面白い御方を連れてこられましたね」
「まさか、そういう風には見えなかったんだが……」
エラほどじゃないにしろ、アドリアーナも華奢な深窓の令嬢と言った風貌の女性だ。
いや……今の報告が確かだとすると、俺は彼女を見誤っていたのかもしれない。
「……明日、離宮に向かう」
「承知いたしました。昨日だったら殿下も釣り大会に参加できたかもしれないのに、残念でしたね」
からかうようなコンラートの言葉は無視しておいた。
なんにせよ、一刻も早く妃の様子を確かめたい。
しかし報告を聞く限り、彼女は俺が一度も訪れることがなくとも、それなりに元気にやっているようだ。
安心したと同時に、少し複雑な気分になったのも確かだった。