9 お妃様、ダッシュで逃げ出す
宮殿に戻ったころには、もう日が暮れかけていいた。
しばらく宮殿内を散歩していると、すれ違った妖精がアレクシス王子がお戻りになったと教えてくれる。
慌ててエントランスホールへ向かうと、ちょうどアレクシス王子がやって来るところだった。
ナイスタイミング!
「お帰りなさい、王子」
「今戻った。アデリーナ、今日は楽しめたか?」
「はい、ロビンが色々なところを案内してくれて――」
今日の出来事を話すと、王子は嬉しそうに私の話を聞いてくれた。
もちろん、ディミトリアス王子とヘレナ様の諍いについては黙っておいたけどね。
「王子は、本日はどちらに?」
「あー、それが……少し野暮用があってな。今日だけでは済まなかったので、悪いが明日も朝から留守にする」
いいえ、お構いなく……なんて口にしながらも、私の中のもやもやは少しずつ膨らんでいく。
思えば、これは私たちの想いが通じ合ってからの初めての旅行だ。
私も少しは……「新婚旅行みたい」なんて浮かれていたのである。
でも、王子にとってはそうじゃなかった。
元々彼はここに何らかの用があって、気が向いたから私も連れてきてくださっただけなのだ。
いわば、私はただのおまけ。
勝手に期待して落ち込むなんて、お門違いも甚だしい。
だから……王子には悟られないようにしないと。
少し気まずくなってしまった空気を変えようと、私はわざと明るい調子の声を出す。
「ふふ、たくさん歩いたからお腹が空いちゃいました。今日の夕飯は何かしら! ロビン、知ってる?」
「うーん、妖精の皆は芋虫のスープだって言ってたけど……ご心配なく! お客様用にはちゃんと別のメニューが用意されてるはずですよ!」
芋虫のスープ……妖精の食文化は実に複雑怪奇である。
落ち着いたらレポートにでもまとめようかな。
◇◇◇
昨晩と同じように会食の間に足を踏み入れると、やはりディミトリアス王子はもう着席していた。
だが、隣にヘレナ様の姿がない。
そのことについて尋ねると、彼は私の方を見て教えてくれた。
「どうも、体調がすぐれないようでして、部屋で静養しています」
もしかして……昼間の件が尾を引いているのかな。
なんて考えてたら表情が曇っていたのか、ディミトリアス王子は慌てたように付け加えた。
「特に珍しいことではないんですよ。ヘレナはよく体調を崩すので……後で、滋養に良いものでも持って行こうと思います」
うんうん。ヘレナ様はいかにも「繊細なお姫様」って感じの御方ですからね。
昼間のこともあったし、少しお疲れなのかもしれない。
その日、ディミトリアス王子は少し早めに晩餐を切り上げていた。
やっぱり、ヘレナ様のことが気になるのだろう。
「ヘレナ様、大丈夫でしょうか……」
「環境の変化によって体調を崩す者は多い。君は……平気そうだな。そういえば離宮で暮らし始めた時も、すぐに馴染んだそうじゃないか」
そう言ってからかうような笑みを浮かべた王子に、私は思わず視線を逸らした。
そりゃあ、私は「繊細なお姫様」とは程遠い人間ですよ!
身代わりとして連れてこられて、「お前なんて愛さない」宣言された数日後には元気に畑をたがやしてましたとも。
昨晩だって、妖精のお香の効果もあって秒で寝入って、翌日は元気いっぱいでした!
別に……恥ずかしくないもん。
私がむくれたのに気付いたのか、王子がくすくす笑いながら私の頬をつついてくる。
「言っておくが、今のは褒めているんだぞ?」
「そうは聞こえませんけどぉ……。どうせ私は、ヘレナ様のような生粋のお姫様とは違う、図太い凡人ですよ!」
「何を言う。俺が好きになったのは、太陽の下で元気にアルパカを乗り回す君なんだ。俺の愛する妻を、そんな風に侮辱するのはいただけないな」
耳元でそう囁かれ、かっと頬が熱くなる。
そんな顔を見られたくなくて俯くと、王子はくるくると私の髪を指先でもてあそび始めてしまった。
「なぁ、アデリーナ。君は――」
「あのー」
その時、遠慮がちなロビンの声が聞こえて、私と王子ははっと我に返る。
気が付けば、会食の間を忙しそうに行き来していた妖精さんたちが大勢、目をキラキラと輝かせて私たちの方を見ているではないですか!
更に私たちの近くでは、ロビンがニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
「いちゃつくなら、もっといい場所ありますよ? 案内しましょうか? それとも周りに見せつけながらべたべたするのがお好みで?」
「ちっ……違うから!」
慌てて立ち上がり、その場から駆け出す。
その時間わずか1.5秒。おそらく舞踏会から逃げ出したエラだって、ここまでのスピードは出せなかっただろう。
「アデリーナ!?」
慌てたような王子の声が追って来るけど、止まってなんかやりません。
だって、どんな顔して彼に向かいあえばいいのかわからないんだもの!
今だけはマナー違反を許してください!
「あらあら~、アデリーナ様顔真っ赤ですね!」
「もう、そういうことは言わないの!」
いつの間にか私の肩に止まっていたロビンにからかわれながら、私はやみくもに妖精王の宮殿を疾走するのだった。