王子の秘書官、王子様とお妃様を観察する(4)
王子が正気に返ることはなく、なし崩しに結婚式が執り行われてしまいました。
そして次の日からは完全放置。
これはあまりにも……アデリーナ嬢が不憫すぎます!
「はぁ…………」
王子に問いただしてみましたが、「時期が来れば離婚する」と、まるでそのことには触れるなと言わんばかりの冷淡な態度。
悪魔の作った鏡の破片が心に刺さってしまったのではないかと、疑いたくなるほど。
我が主ながら、まるで凍り付いたような冷たい心の持ち主です。せめて私だけでも、アデリーナ嬢のことを気遣って差し上げなければ。
何かがあってはいけないと、アデリーナ嬢――いえ、今はアデリーナ妃ですね。
彼女が居住する離宮の侍女たちには、妃の状況を事細かく報告するように申し付けていますが……いったいどうなっていることやら。
あの、いかにも線の細そうなご令嬢のことです。舞踏会の前に初めて会った時のように、心細さで震えているのではないかと私は気が気でなく――。
「…………ん?」
パラパラと報告書をめくっていた私は、すぐに目を疑いました。
書面の記述が、明らかにおかしいのです。
『アデリーナ妃は、牧場を作って羊を買い付けていらっしゃいます』
『そのうちの一頭はアルパカなる動物でした。モフモフが至高です』
『今日はニンジンの種を植えました』
『妃殿下が自ら世話をなさる野菜は、不思議と育ちが良い傾向にあるようです』
何度か読み返してみましたが、間違いなく報告書にはそう記してあります。
…………?
「あの、王子」
「なんだ」
現実逃避のように書類と格闘する王子に声を掛けると、不機嫌そうな声が返ってきます。
「アデリーナ妃のことですが――」
「その件についてはもう終わった。くだらないことで俺の手を煩わせるな」
ぴしゃりとそう言われ、私は口を閉ざさざるを得ませんでした。
まったく、取り付く島もありません。
仕方なく、私は黙って再び報告書に視線を落としました。
なるほど。アデリーナ妃は牧場を作り、畑を耕し、釣りに興じ……どうやら離宮生活を中々にエンジョイしていらっしゃるようです。
私は安心しました。したのですが……イメージと違う! 何だこれは!
舞踏会の直前に出会ったアデリーナ妃は、あまり社交の場に慣れていない初々しいお嬢さん、といった雰囲気のご令嬢でした。
それがまさか……半ば無理やりのような形で王宮に拉致され、望まぬ結婚を強いられ、用済みとばかりに離宮に放置された直後に、精力的に農作業を始めるとは……。
どうやら、私は彼女のことを見誤っていたようです。
これは、思わぬ誤算です。
不謹慎ですが、俄然彼女に興味がわいてきました。
まったく、我らが王子殿下も、こんなに面白い情報をシャットアウトするなんて……。
少し腹が立ったので、もう少し黙っていてやりましょう。
◇◇◇
例の結婚式からしばらく。
「その件についてはもう終わった」などと豪語していた割には、どうやら王子殿下もアデリーナ妃のことが気になって仕方がないようです。
「…………はぁ」
執務中にも何度もため息をついて……まったく、そんなに気になるならさっさと会いに行けばいいものを。
「殿下、ため息をつくと幸せが逃げますよ」
「もう逃げられた後だ」
どうやら目の前で去っていった姫君――エラ嬢のことがよほどショックだったようです。
……きっと、ため息の理由はそれだけではないのでしょうけど。
少しだけ、背中を押して差し上げましょう。
「殿下、あれからお妃様の元を訪れましたか?」
「いいや、行ってないな」
「いくら形だけの結婚とはいえ、あからさまにお妃様を冷遇すれば、周囲も何かあると感づきます。いずれ離婚するにしても、しばらくの間は体裁だけでも保っておいたほうがよろしいかと」
いかにもそれらしい理由をつけてやると、王子はのろのろと顔を上げます。
まったく、見ないふりをしていても、気になって仕方がないくせに。
理由がないと会いにも行けないとは……困ったものです。
「……一度、きちんと話し合うべきだろうな」
やっと王子も乗り気になってくれたようで。
このチャンスを逃してはならないと、私は更に畳みかけることにしました。
「離宮付きの侍女から妃殿下についての報告が上がっております。今日こそは聞きますか?」
「……聞こう」
「妃殿下は、離宮周辺の空き地に畑や牧場を作り、日々精力的に農耕に励んでいらっしゃるそうです」
「…………ん?」
「昨日は離宮の侍女たちも参加して釣り大会を行い、妃殿下が一番の大物を釣り上げられたとか……」
「おい、ちょっと待て」
あからさまに慌て始めた王子に、私は笑いをこらえるのに必死でした。
だから、もっと早くに聞いておくべきだったのに!
「殿下、面白い御方を連れてこられましたね」
賞賛の思いを込めてそう伝えると、王子はどこか戸惑ったような表情を浮かべて呟きました。
「まさか、そういう風には見えなかったんだが……」
まったくですよ。
これは……思わぬ拾いものかもしれませんよ、王子?
「……明日、離宮に向かう」
「承知いたしました。昨日だったら殿下も釣り大会に参加できたかもしれないのに、残念でしたね」
ちょっぴりの恨みを込めてそう告げると、王子は拗ねたように私の言葉を無視しました。
まぁでも、アデリーナ妃に会いに行く気にはなったようで何よりです。
そして迎えた翌日。
まさかのアルパカに乗って現れた妃に、私たちは更に度肝を抜かれることになるのです。