王子の秘書官、王子様とお妃様を観察する(2)
……今日はいよいよ、王子の花嫁選びの舞踏会の日です。
私も朝から慌ただしく準備に追われておりました。
「ゴードン、あなたはとにかく王子から目を離さないようにしてください。結局、最後まで舞踏会に反対されていた王子のことです。途中で脱走する可能性も考えられますので」
「ウィッス」
本日の主役だというのに、王子はどうにもこの舞踏会に乗り気ではないようなのです。
「運命的な出会い」に夢見る王子のこと、舞踏会にやって来た者の中から相手を選ぶというオーソドックスな手法は、どうにもお気に召さないようで。
「まったく、苦労するこっちの身にもなって欲しいものですよ……」
既に続々と招待客が集まり始める中、私は会場周辺の最終確認を行っておりました。
そんな中、城の内部の者しか使わないひとけのない通路を歩いていると、不意に誰かの声が耳に入りました。
「ちょっと姉さん、こんなところに入り込んで、誰かに見つかったら……」
「うるさいわね。あんたあの人の多さ見てないの!? 裏口でも使わない限り王子に近づけすらしないわ! 迷ったとでも言っとけば問題ないわよ!」
……おやおや、これはどうもよろしくない状況ですね。
どうやら、こっそり王子に近づこうとした無駄に積極的なご令嬢がいらっしゃるようで。
そっと曲がり角から覗き込むと、そこには二人の着飾ったご令嬢がいらっしゃいました。
「駄目よ。見つかったら罪に問われるかもしれないわ」
「あんたは黙ってなさい、アデリーナ。私だったら、王子の目に留まりさえすれば妃の座を射止めて見せるわ。あんたはせいぜい、出席者の中から小金持ちを見繕う程度でしょうけど!」
「もう、だったら正々堂々正面から行けばいいじゃない」
「ちんたら順番待ちなんてしてられないのよ!」
どうやらこっそり王子を探しに来た女性と、彼女を止めようとする女性の二人組のようです。
不審者として衛兵を呼んでもいいのですが……ここは後者の常識あるレディに免じて、さりげなく退散してもらいましょうか。
「失礼いたします、ご婦人方。こんなところでどうなさいましたか?」
「こんなところ」を強調しつつ、にこやかにそう声を掛けると、二人は弾かれたように勢いよく私の方を振り返りました。
だがすぐに表情を取り繕い、無理やり王子に近づこうとしていた令嬢が口を開きます。
「あら、王宮の方かしら。ちょうどよかったわ」
それにしても、なんとも派手なご令嬢でしょうか。
頭頂部に派手に盛られた巻き髪はもはや芸術のよう。
身に着ける真っ赤なドレスもなんともゴージャスで……間違いなく美しい女性ではあるのですが、清楚な姫君に夢を見る王子の好みではないでしょうね。
そこはかとなく態度も大きく、まずい現場を見つかったというのに焦る様子すら感じられません。
「わたくし、今宵の舞踏会に招待されていますの。王子の元へ案内してもらえるかしら」
しかもこの状況で堂々と王子への謁見を要求してくるとは……まさに心臓に毛が生えているとでも言うべきでしょうか。
姫君というよりは、もはや女王の風格すら漂っています。
一応要注意者リストに追加しておくか……と、私は彼女が差し出した招待状に目を通しました。
アルランド子爵家――うわ、マジかよ!
招待状の家名が目に入った途端、思わず眉をしかめかけましたが、なんとか堪えることに成功しました。
目の前にいるのは、アルランド子爵家のご令嬢。私もその家名については聞き及んでおります。
……残念ながら、すこぶるよろしくない噂の方を。
数年前、夫人を亡くしたアルランド子爵は連れ子を持つ女性を新たな妻に迎え入れたそうですが……その直後に不幸な事故でこの世を去りました。
そこから先は、言い方は悪いですが夫人が家を乗っ取るような形になったようで……。
今では子爵家の財産を食いつぶし、夜な夜な享楽にふけっているとの噂は有名です。
確か連れ子の娘――ヒルダ嬢は凄まじく男性を惹きつける魅力と強引さを持っており、巷では「婚約クラッシャー」などと呼ばれているとか……。
……うわ、どう考えても彼女にだけは妃になって欲しくないですね。
まぁ、理想の高い王子なら彼女を選ぶことはないでしょう。
ここで追い出すのも揉めそうなので、私は穏便に正規ルートを案内することにしました。
「失礼いたしました、アルランド子爵令嬢。ではこちらへ、大広間の入口へご案内させていただきます」
「いえ、ここからだと王子の元へ行く方が近いのではなくって?」
「僭越ながら、王子殿下へは順を追って挨拶をしていただくしきたりになっておりますので」
こういった時の王族への謁見は、基本的には身分の高い者から順番になっております。
子爵令嬢の彼女は……まぁ、この人の多さでは、ちゃんとした挨拶の順番が回って来るかどうかも怪しいですね。
彼女も私の言わんとすることの意味を悟ったのでしょう。
派手に舌打ちすると、イラついたようにヒールで床を打ちながら吐き捨てました。
「場所ならわかるから案内は結構よ! まったく使えない……!」
おいおい、聞こえてるっつーの!
道に迷ったという設定すら投げ捨てて、彼女はカツカツと派手に靴音を鳴らしながら去っていきました。
はぁ……これ以上問題を起こさなければよいのですが……。
「も、申し訳ございません……!」
その時、背後から謝罪の声が聞こえ、私はやっともう一人の令嬢の存在を思い出しました。
見れば、一人の女性がこちらが恐縮するほど小さくなって、ぺこぺこと頭を下げています。
「私たち、道に迷って……ご無礼をお許しください!」
先ほどの毒々しいヒルダ嬢とは違い、少々地味ですが品の良い装いの女性です。
きらきらしい姫君……といったロイヤルオーラは感じられませんが、まるで小鳥のような――穏やかな雰囲気を持っていらっしゃいます。
もしやヒルダ嬢のご友人――という名の取り巻きの方でしょうか。
「いえいえ、お気になさらず。ところで、あなたは――」
「あ、申し遅れました。わたくし、アルランド子爵家のアデリーナと申します……」
少し気まずそうに、その令嬢は小声でそう名乗りました。
その名前を聞いた途端、私は驚いてしまいました。
アルランド子爵家の令嬢――ヒルダ嬢の友人ではなく、姉妹だったとは!
そういえば、子爵家にはヒルダ嬢以外にも連れ子の娘と、亡き子爵の忘れ形見の娘がいるとの話です。
名前までは失念しましたが、おそらく彼女はそのどちらかなのでしょう。
……それにしても、容姿も性格も見事なほどに姉に似ていない。
奔放な姉の尻拭いに苦労するその姿に、私は親近感を覚えずにはいられませんでした。
「お会い出来て光栄です、アデリーナ嬢。私はアレクシス王子殿下の書記官を務めております、コンラートと申します。よろしければ、大広間の入り口までご案内させていただきますが……」
「……はい、よろしくお願いいたします」
案内を申し出ると、アデリーナ嬢はあからさまにほっとした表情を浮かべました。
そっと手を差し出すと、控えめに重ねられる小さな手。
ぎこちない仕草からは、あまりエスコートに慣れていない様子がうかがえます。
その微笑ましい様子に、先ほどまでのささくれ立っていた気分まで和らいでいくような気がしました。
……きっと彼女が、王子に選ばれることはないでしょう。
運命的な出会いを夢見る王子の理想は雲よりも高く、少し地味だけど穏やかで気立ての良い女性……などという隠れた宝石に気づくことはないのです。
誠に、残念なことに。
「こちらでお待ちいただければ、順にご案内いたします」
「……よかった。ここまで連れてきてくださってありがとうございます、コンラート様」
入り口まで案内すると、アデリーナ嬢は洗練された仕草で淑女の礼をとりました。
……なるほど。所作は優美で素晴らしい。
彼女のような女性であれば、きっと王子以外にもどこかの貴公子に見初められることでしょう。
束の間の時間を過ごした彼女の幸せを願いながら、私はその場を後にしました。
……この時の私には、知る由もなかったのです。
まさか運命のいたずらで、この控えめなご令嬢が王子殿下の形だけの妃にされてしまうという――とんでもない未来がやって来ることを……!
まだ続きます。