28 お妃様、午前零時の鐘が鳴っても
本日三回目の更新です
「おそらく義姉さんは僕と同類の、魔法使いの素質を持っている。だから、無意識のうちに自分にまじないを掛けているんだよ」
私の目の前にやって来た魔法使いが、そっと私の手を握る。
次の瞬間、彼の手はアレクシス王子にはたき落されてしまったけど。
王子は冷たい目で魔法使いを睨みつけ、不快そうに告げた。
「……許可なく俺の妃に触れるな」
「それは失礼いたしました。ですがご心配なく、王子。彼女はエラのお姉さんなので、僕にとっても家族のようなものですから」
いつの間にか家族扱い!
いやいや、私はあなたのこと今でも不審者だと思ってるけどね!?
……と言いたいのを必死に我慢する私の前で、魔法使いは意味ありげに笑う。
「義姉さんは疑り深く慎重な人です。そして思慮深い。だから間違って王子のことを好きになってしまわないように、叶わない恋に身を焦がさないように……自分に魔法をかけたんだ」
「私が、自分で魔法を……?」
「はい、魔法使いにとって、自分の名前は大きな意味を持つ。だから、王子が正しく義姉さんの名を呼べないように魔法……ある意味、呪いを掛けた。だって、自分の名前を間違えるような人を好きになったりはしないでしょう?」
その言葉に、私はかつての結婚式に臨んだ時のことを思い出した。
――『いいか、エヴァリーナ』
――『アデリーナです』
――『貴様の名前などどうでもいい。とにかく貴様は、あの舞踏会の日に俺に見初められたのだ。ガラスの靴もお前にぴったりだった、いいな?』
貴様の名前などどうでもいい……なんて言われて、ひそかに傷ついたことは否定しない。
魔法使いの言うことが真実だとしたら、きっと……あの時だ。
私の名前を間違えてばかりならば、深入りせずに、好きになったりしなくて済む。
……これ以上、傷つかずに済むのに。
確かに頭の片隅でそう思ったりはしたけど、まさか……本当に!?
「言葉はそれだけで大きな力を持つ。ご使用は計画的に……ってね」
訳知り顔で、魔法使いがいたずらっぽく片目を瞑る。
すごく……ものすごく王子の方から視線を感じるけど、私はいたたまれなさ過ぎてそちらを振り返ることができなかった。
……ごめんなさい、王子。
王子が私の名前を間違えていたのは、私のせいだったんですね……!!
「……そういうことか。俺が君の名を呼ぶたびに、皆が変な顔をすると思ったら……まぁいい。その呪いを解くには、どうすればいい」
王子が静かにそう口にする。
すると、嬉しそうなエラが歌うように告げた。
「王子様。いつだって、呪いを解くのは真実の愛と決まっております。王子が本当に私の姉を愛しているのなら、呪いを打ち破って真名を呼べるはずです。もし呼べなかったら……残念ですが、私の姉は返してもらいますね♡」
挑戦的なエラの言葉にも、王子は動じず、すぐに私の方へ向き直った。
真っすぐに私を見つめるその瞳は、どこまでも優しくて……そして、確かな熱を秘めていた。
彼に見つめられた途端、勝手に鼓動が高鳴ってしまう。
「……最初は、本当にその場を取り繕うためだった。機会さえあれば、いつでも離婚してやろうと思っていた。……最低だな、俺は」
「いいえ、そう思われるのは当然のことです」
私だって、すぐに離婚してもらえたらなー、と思ってたからね!
――…………本当に?
「次第に、君に会いに離宮を訪れるたびに安らぎを感じるようになった。アルパカに乗って現れた時は驚いたよ。きっとあの時から、君から目が離せなくなったんだ。……それに、俺にニンジンを食べさせることに関しては、君は料理長以上の手腕を発揮したな」
そう言っていたずらっぽく笑う王子に、私は自分の頬が熱くなるのを意識せずにはいられなかった。
――この感覚は、いつかどこかで……。
「ろくに教育を施しもしなかったのに、君は妃としての役目を立派に全うしてくれた。君の名声が高まるたびに、俺は自分のことのように誇らしく思った。……もう、手放せないと思ってしまったんだ」
王子の宝石のように美しい瞳が、まっすぐに私を見つめている。
……いいえ、私はあなたにそんな風に言ってもらえるような立派な人間じゃない。
――それでも、望んでしまう。もしかしたら、彼は……。
「あの日、湖で見た星空を覚えているか? 君は必死に星に願いをかけていたな。俺も、願ったよ。君と……これからもずっと、共にいられるようにと」
瞼の奥が熱くなって、じわりと涙が滲む。
あの時、私は慰謝料が欲しいと星に願いを掛けた。でも、本当は。本当に願いたかったのは……。
心の奥底に押し隠していたひそかな夢が、あふれ出しそうになってしまう。
――これも、あなたのせいですよ……王子。
頬を流れた私の涙を、王子は指先で優しくぬぐってくれる。
「俺と君は、運命の相手ではなかったのかもしれない。俺のせいで、君に不自由を強いてしまうのかもしれない。だが、それでももう……抑えられないんだ。だから躊躇も、迷うのもやめることにした」
そっと手のひらで私の頬を包むようにして、王子ははっきりと告げた。
「今は……君だけを愛してる。…………アデリーナ」
王子は、正しく私の名を呼んだ。
その瞬間、午前零時を告げる鐘の音が響き渡る。
「……魔法が、解けたね」
ぽそりとそう呟いたのは、魔法使いかエラか。
王子は私の魔法を解いた。
……解いてしまった。
必死に押し隠していた私の心も、一緒に解けてしまったようだ。
「私、私は……」
いつか王子様が……なんて、信じてたわけじゃなかった。
でもその反面、心のどこかで憧れていたのかもしれない。
式典の場で、遠くからあなたの御姿を目にするたびに。
街行く人や、屋敷を訪れる人からあなたの噂を聞くたびに。
私はずっと……あなたに恋い焦がれていたのだから。
「でも、私は脇役で……」
思わず足を一歩引いてしまった。
王子様と結ばれるのは、エラのように美しく清らかな心を持つ「物語の主役」だと昔から決まっている。
だから……王子がエラを見初めたあの夜に、恋心を封じ込めた。
望みなどないのだと、夢を見るだけ無駄だと言い聞かせ、自分に魔法をかけたのだ。
――決して彼のことを、深く愛してはいけないと。
私のような地味な脇役が、王子様に選ばれることなどあり得ないのだから。
それなのに、私の葛藤をあざ笑うかのようにエラは軽く告げる。
「何言ってるの? アデリーナの人生はアデリーナの物語。主役はアデリーナ以外ありえないんだよ!」
その言葉に、心の中の霧が晴れたような、雨が上がって日が差したような気がした。
……もしかしたら、望んでいいのかな。
夢を見ても、いいのかな。
「……アデリーナ」
王子が私の名前を呼ぶ。
たったそれだけで、無意識に封じ込めていた想い――恋心が、あふれ出してしまう。
あなたはゆっくり私を好きになってくれたけど、私は、はじめから……ずっと。
「私は…………ずっと、あなたが……!」
衝動的に手を伸ばすと、その手を取られ、強く抱きしめられる。
「アデリーナ、アデリーナ……!」
王子が何度も、私の名前を呼ぶ。
それだけで、涙が出そうになるほど幸せだった。
きっとここから始まる、私と彼の本当の物語。
私は弱い魔力しかない、ごくごく平凡な人間で。
もちろん、ガラスの靴もかぼちゃの馬車も持っていない。
貴族の娘だけど、お姫様じゃない。舞踏会に出たって、王子様が見初めてくれることもない。
いつまでも幸せに暮らしました……なんて、全部が全部うまくいくとも思えない。
でも、それでもあなたが好きだから。
午前零時の鐘が鳴って、魔法が解けても……あなたの傍を離れないと約束しましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
とりあえず一段落しましたが、番外編としてアルパカの名付け回や、続きの話として新婚旅行編を書こうと思っています。
少し時間は空くかと思いますが、その際はまた見に来ていただけると嬉しいです!
面白いと思われた方は、ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで応援をしていただけると励みになります。
感想もお待ちしております!