50 それでも、私は
「あらためて、課題達成おめでとう。地竜に食べられそうになってたみたいだけど無事でよかったよ」
「……本当にアデリーナが食べられていたらどうするつもりだったんだ」
王子が少し怒り気味にそう問うと、ルーはしれっと答えを返す。
「別に、どうもしないよ。君だって、それ相応の覚悟があって課題に臨んだんだろう?」
ルーの問いかけに、私はゆっくりと頷いた。
アレクシス王子やフレゼリク陛下が言っていた通り、竜は危険な生き物だ。
きっと、今回出会った地竜はまだおとなしい方なんだろう。
他の竜であれば、命乞いをする時間もなく私はぱくりと食べられていたのかもしれない。
でも、きっと……異種族と共存するってそういうこと。
危険を覚悟でその道を選んだのは私だから、ルーに文句を言うのはお門違いだ。
「竜には竜の、妖精には妖精の、もちろん人間には人間の生き方がある。だから僕は、皆それぞれの場所で離れて暮らすのが一番だと思っていた。……いや、今もおおむねそう思ってるんだけどね。でも……」
ルーはそこで一度言葉を切り、ぐい、と私の方へ顔を近づけ、にやりと笑った。
「君の紡ぐ滑稽なおとぎ話がどう転がっていくのか、ちょっと気になったんだ。失敗したら思いっきり笑ってやるからさ、やりたいようにやってみなよ」
からかうような、馬鹿にするような……でもそれは、確かに私の進むべき道を鼓舞する言葉だった。
「必要があれば僕を呼んでもいいよ。気が向いたら助けてあげる」
つまりは、彼の他の妖精王のように私たちに力を貸してくれるということで。
……本当に、素直じゃないなぁ。
くすりと笑みを漏らすと、隣の王子が呆れたように口を開いた。
「……そんな性格だから他の妖精王からハブられるんじゃないのか?」
「うるさいな! 魔女を娶るような物好き王子に言われたくないね」
王子とルーはあーだこーだと口喧嘩を始めてしまった。
ふふ、案外似た者同士なのかもしれないですね。
「ありがとう、ルー。あなたが秋の妖精王でよかった」
「……なにそれ、嫌味?」
「いいえ、本心よ」
そう言うと、ルーは照れたようにそっぽを向いた。
柔らかそうな頬がわずかに色づいているのは、きっと私の勘違いじゃないはず。
彼はまるで口ごもるように何度か口を開けたり閉じたりした後、そっと呟いた。
「……君も」
「私?」
「君も、人間の国の妃なんて嫌になったらいつでも逃げてきなよ。夢も、立場も、何もかも捨ててさ」
そう口にしたルーの顔は、存外真剣味を帯びていた。
きっと、本気で私のことを心配してくれているんだ。
この国に来てからは情けない姿を見せてばっかりなんだし、私なんかに王太子妃が務まるのかどうか彼が案じるのも無理はない。
でも、私は……。
「それでも、私はアレクシス王子の隣にいたいんです」
生まれながらに高貴なる御方とか、彼のお妃様としてもっとふさわしい人はたくさんいるだろう。
それでも私は、今のこの場所にしがみついていたい。
私が魔女でも、妖精王の末裔でも、変わらずに愛してくれた彼の傍にいたい。
「……土が合わないといつか花は枯れるよ」
忠告するようにルーがそう言う。
妖精の血を引く魔女である私が、ちゃんと人間の国の妃としてやっていけるのか。
……いつか潰れてしまうのではないか。
ルーはそう懸念しているのだろう。
それに答えたのは、私ではなく王子だった。
「心配するな。アデリーナのための花壇はすでに用意してある。必要ならば国中の土ごと変えるつもりだ」
王子は一片の迷いもなくそう言ってのけた。
……そうですよね。あなたがくださった離宮でこそ、私はきっと一番美しく咲くことができる。
たとえそれが小さな植木鉢だって構わない。
あなたの傍でなければ、花を咲かすことはできないのだから。
「……大丈夫よ」
私は一人じゃないって、ちゃんとわかっているから。
「はぁ……」
ルーは呆れたようにため息をこぼすと、今度はじっとアレクシス王子を見つめた。
「その覚悟があるなら止めはしないけど……水をやるのを忘れないようにね。妖精って繊細な生き物だから、愛した相手に裏切られると簡単に壊れるんだ」
ルーのその言葉が本当なのか、アレクシス王子を脅すためのでまかせなのかはわからない。
ただ王子は、しっかりと頷いてくれた。
「言われなくとも、溺れるほどの愛を注いでやる」
そう言って、彼はしっかりと私のことを抱き寄せた。
温かなぬくもりに包まれて、私は思わずうっとりしてしまう。
そんな私たちに、ルーはあからさまに苦虫を嚙みつぶしたような顔をした。
「はいはい、君たちが仲いいのはわかったから邪魔者は退散しますよ」
べぇ、と軽く舌を出して、ルーはいつものように窓際へと向かっていった。
そして窓から飛び降りる寸前に、私たちの方を振り返りにやりと笑う。
「……本当は、君たちのことけっこう舐めてたんだ。仲違いの魔法でそのまま破局すればいいと思ってた」
「……おい」
「驚いているんだよ。特に王子様の方なんて、魔法にかかったまま追いかけてっちゃうし……。だから、たぶん……いろいろ言ったけど君たちなら大丈夫だと思う」
それだけ言うと、ルーはひらりと窓の外へと消えていった。
いつもながらに神出鬼没。
でも、そんなところが憎めないんだよね。
妖精王って掴みどころのない御方ばっかりだけど、ルーは割と素直でわかりやすいのかもしれない。
何はともあれ……秋の妖精王の協力を取り付けることができたのだ。
いろいろあったけど、《芳醇の国》へ来てよかった。
「……アデリーナ」
不意に、王子が私の名前を呼ぶ。
「念のため、あらためて言っておく」
彼はそう言って、そっと私の頬を両手で包んだ。
「王太子妃でも、魔女でも、妖精でも……この際侍女でも何でもいい。俺が愛しているのは『アデリーナ』――君という存在だということを忘れないでくれ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
……彼がそうやって愛の言葉を口にしてくれるたびに、乾いた大地に雨が染み込むように、私の心も潤っていくようだった。
「……ありがとうございます、アレク様。でも――」
私って、とっても面倒な人間なんです。
マイナス思考で、臆病で、弱気で、そのくせに意地っ張りで。
だから――。
「もしかしたらこの先も、私は何度も同じことで悩むかもしれません。その時は――」
「あぁ、何度だって言ってやる。俺が愛しているのは、隣にいてほしいのは君しかいないと」
王子は両腕を伸ばし、しっかりと私を抱きしめてくれた。
ままならないことも多い世界だけど、今この瞬間、こうして触れ合うことができるのは夢じゃない。確かな現実だ。
きっと私はこの先も、ある意味くだらないことで悩んだり不安になったりするだろう。
もしかしたら、今回みたいに王子と喧嘩をすることもあるかもしれない。
でも、何度もぶつかり合っても……私たちは分かり合うことができる。
離れていたからこそ、こうして傍にあるぬくもりがより尊く感じる。
雨降って地固まる――という言葉みたいに、私と王子の絆もより強固になった……気がするのは、私の気のせいじゃないといいな。