49 二人の世界
情念のこもった声でそう囁かれ、全身にぞくりとした痺れが走る。
彼のどろどろとした独占欲が私に向けられているという事実に、溺れそうになってしまう。
皆に愛される王子様が、私だけを見てくれる。
そんな背徳感に、眩暈がするようだった。
「その目に映すのも、その声を聴くのも俺だけであってほしい。……なんて、馬鹿みたいなことを考えそうになるんだ」
彼は自嘲するようにそう言った。
……まるで、セイレーンに惑わされた船乗りのようだ。
あぁ本当に、今の私って悪い魔女ですよね。
私はそっと彼の頬に触れ、微笑んだ。
「……ずっと、あなたのことだけを見るのは難しいですね。私は堂々とあなたの隣に立つ王太子妃になりたいから、ちゃんとお妃様としてのお仕事もしなきゃいけませんし、夢も諦めたくないですし」
「……そうだな」
「でも、こうして二人でいるときだけは……」
額が触れ合うほどの至近距離で、そっと囁く。
「私の世界にいるのは、あなただけです」
そう口にした途端、強く抱き寄せられる。
顔を上げた途端に口づけが降って来て、身も心もとろかされてしまう。
「ぁ……」
気が付けば寝台に押し倒され、王子を見上げるような形になっていた。
「アレク様……」
求めるように名前を呼ぶと、彼は優しく私の頬を撫でてくれる。
だが、彼はどこか躊躇したような表情を浮かべている。
「あの、何か……?」
「いや、こうしてあらためて見ると……」
彼の視線が注がれ、恥ずかしさに体温が上がったような気がした。
「侍女を連れ込んでいるようで気が引けるな」
「え?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
だがすぐに悟る。
そういえば……今の私って普通に侍女の格好のままでしたね。
中身が私だってわかっていても、やっぱり気になるものは気になるのかもしれない。
「…………過去に侍女を連れ込んだ経験がおありで?」
「あるわけないだろう!」
ちょっとむっとした私に、王子は慌てて頭を振った。
「まったく、何を言い出すかと思えば……」
王子は小さくため息をつくと、宥めるように私の額に口づけた。
「俺の世界にいるのも君だけだ」
彼の指先が、耳から顎先にかけて私の輪郭をなぞる。
……今彼が見ているのは、「侍女」でも「王太子妃」でもない私――「アデリーナ」なんだ。
再び彼の顔が近づいてきて、私は受け入れるように目を閉じた。
その瞬間――。
「いや、僕もいるけど」
「ほぁ!?」
この場の甘い雰囲気を切り裂くような第三者の声に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だだだだ、誰!?」
慌てて周囲を見回すと、上半身だけ寝台に乗り上げ、肘をつきながらこちらを眺めるような体勢のルーと目が合う。
彼は私と目が合うと、いたずらっぽく笑った。
「あっ、僕のことは気にせず続けて」
「続けられるか!」
身を起こした王子が、半ギレするかのようにそう叫んだ。
だがルーは動じることなく笑っている。
「いや、たまには人間の営みを鑑賞するのもいいかなって」
「……悪いが他人に見せる趣味はない。他をあたれ」
「ちぇ、王子様なのにケチだね」
「そういう問題じゃないだろう……」
呆れたようにため息をつく王子に、ルーは「よいしょ」と声を出しながらベッドによじ登ってくる。
「……いつからここにいたの?」
私も起き上がりながらそう問いかけると、ルーは至極真面目に答えてくれる。
「『私も魔法をかけます』とか言って、君たちが僕のペナルティをダシに茶番を始めたあたりから」
「結構前からじゃない……!」
うぅ、冷静に観察されていたかと思うと恥ずかしい……。
思わず手で顔を覆うと、ルーはからかうように笑った。
「まぁ、冗談はさておき……」
……よかった、冗談だったんだ。
今後の妖精王とのお付き合いを本気で考え直そうかと思うところだった。
寝台の上で、私と王子はルーと向かい合う。
……なんなんだろう、この状況。
「……そんなあからさまに邪魔者を見るような目で見ないでよ。用が済んだらすぐ退散するから」
「そこまで気が遣えるならなんでもう少し空気を読まないんだ?」
「君たちのいちゃいちゃが終わるのを待っていたら夜が明けそうだったからね」
ルーの返しに、私と王子は思わず黙り込んだ。
そんな私たちに構うことなく、ルーは続ける。
「まぁそんな身構えるような話じゃないよ。あの時は中途半端になっちゃったから、あらためて挨拶だけしておこうと思っただけ」
ルーは軽い口調でそう言ったけど、私は慌てて背筋を伸ばした。
中途半端になっちゃった……というのは、ルーが秋の妖精王だと正体を明かしたときの話だろう。
あの時はフレゼリク陛下が一緒にいたから、私の正体とか妖精王との繋がりが露見するのが怖くて、ろくに話もできなかった。
そういえば、「細かい話はまた後でね」と言っていたような……。




