26 お妃様、自ら悪役になろうとする
プリシラ王女は大きな目を吊り上げて、まるで親の仇でも見るような目で私を睨んでいる。
…………何故!?
私が王子を騙しているなんて、よくわからない勘違いが生じている……!!?
「私、この国に来て多くの方に王子とお妃様のことを伺いましたの。そうしたら、興味深いお話をたくさん聞けましたわ。『あの日舞踏会に現れた姫君は、信じられないほど魅力的に見えた。今のお妃様とは違って』とのお話もございました!」
自信満々な様子で胸を張り、プリシラ王女は高らかにそう告げる。
一方の私はと言うと、今の状況についていけずに、ぽかんと間抜けに口を開けることしかできなかった。
「魔術師様によると、その舞踏会の日は特に強い魔力を観測し、今もお妃様からは微弱な魔力を感じるとか……もう、おわかりですよね」
いつの間にか周囲はしんと静まり返っていた。
プリシラ王女は見惚れそうになるくらい愛らしく微笑んでいる。
だが、その口から出てくるのは……私を断罪する言葉だ。
「アデリーナ妃は禁断の魔術を使い、アレクシス王子を魅了し妃の座にのしあがった魔女です! 皆さま、こんな非道を許しておけるのでしょうか!」
しばらくぽかんとしていた私は、じわじわとプリシラ王女の言葉を理解し始めていた。
……これはまずい。非常にまずい。
彼女の言うことは、部分的には当たっているからだ……!
あの運命の日……エラは見たこともないほど美しいドレスや靴を身に着けて舞踏会の場にやって来た。
あの子がそんなたいそうな物を隠し持っていたとは思えない。そうであれば、私の母や姉が見逃さなかったはずだから。
今考えればあの美しいドレスやガラスの靴も、エラの前に現れた魔法使いが魔法で作り出したものなのだろう。
そして何より――
私は……あの日王子が見初めた相手ではない。
世にも美しい姫君と運命の恋に落ちたはずの王子の隣にいるのは、地味で冴えない私。
怪しげな術で王子を惑わしたに違いない!……という疑惑が持ちがあるのも、不思議な話じゃない。
まぁプリシラ王女がそう勘違いするのも仕方ないですよね……と思わないでもないのだ。
だが、そんなことは言えるはずがない。
真実を告げれば、王子の名誉を傷つけてしまうのだから。
私は何も言えずに、ただ黙り込むことしかできなかった。
「何とか言ったらどうなんですか、アデリーナ妃?」
プリシラ王女は勝ち誇った笑みを浮かべている。
私は……どうすればいいのだろう。
そう考えた時、頭にとある考えが浮かんだ。
……そうだ。これはある意味チャンスかもしれない。
ここ数日、アレクシス王子とプリシラ王女は順調に仲を深めていた。
きっと王子は近いうちに、プリシラ王女を正妃として迎えるつもりなのだろう。
その時に困るのは、暫定正妃な私の処遇。
離縁するにしても、不名誉な噂はついて回るだろう。
その点、私を「禁断の術を使って王子を惑わせた悪い魔女」としてしまえば、王子は一方的な被害者になれる。
悪いのはすべて私。アレクシス王子はプリシラ王女と真実の愛で結ばれ、無事にハッピーエンドを迎えられる。
私がプリシラ王女の糾弾を事実と認めてしまえば、何もかもがうまくいくのだ。
……私の首が、胴体とつながったままか離れるかはわからないけど。
私が悪役になれば王子は今度こそ幸せになれる。
やっと見つけた初恋を、砕かれてしまった可哀そうな人。
かりそめの妃である私にも、気遣いを忘れない優しい人。
……そんな彼が幸せになれるのなら、それでいいじゃないか。
プリシラ王女の話を全面的に認めようと、口を開きかけたその瞬間――
「言いたいことはそれだけか?」
突如聞こえてきた凍り付きそうな声に、思わずひゅっと息を飲んでしまった。
え、私まだ何も言ってません……! と焦ったけど、どうやら王子の言葉が向いた先は私ではないらしい。
彼の視線の先に居るのは、まぎれもなく顔をひきつらせたプリシラ王女なのだから。
「で、ですからその魔女が――」
「黙れ。それ以上我が妃を侮辱すれば、同盟国の王女と言えど容赦はしない」
まるで鋭利な氷の刃のように、凍り付きそうな低い声だった。傍に居る私まで、ぞくりとしてしまうほどに。
王子の言葉に、プリシラ王女は恐れおののくように慌てて自らの口を手で覆った。
その様子を見て、王子は嘲るように笑う。
「ふん、言葉を解する程度の脳は持っているのか。命拾いしたな。それ以上続ければ、貴様の首を刎ねてやっていたところだ」
いやいや、そんな人望の無い暴君みたいなこと言うのはやめましょうよ!
未来の花嫁が怯えてますよ!!
プリシラ王女もちょっと勘違いしただけでしょうし、ここは私を悪者にして丸く収めましょう、ね?
そう言おうと軽く袖を引くと、王子はちらりと私の方を振り返る。
そして、優しく笑った。
「心配するな、アロエリーナ。俺は決して君に、泥だろうが灰だろうが被らせるつもりは無い」
その優しい笑顔に、言葉に、私の鼓動が大きく音を立てた。
まるでせき止められていた水があふれ出すように、胸の奥から熱いものが沸き上がってくる。
……私の名前を、いつまでも間違え続けるような人なのに。
あの舞踏会の日には、エラのことばかり見て私になんて目もくれなかったくせに。
それなのに、こんな風に優しくされたら、まるで大切にしているような言葉を掛けられたら……勘違いしそうになってしまう。
思わず俯いた私の頭を軽く撫でると、王子はぐるりと周囲を見渡した。
「皆の者、騒がせて済まなかった。……プリシラ王女が抱いた疑義については、俺の口から説明させてもらおう」
聞こえてきた言葉に、私は慌てて顔を上げる。
……いえ、駄目です。
あなたは何も悪くない。あなたが傷つく必要なんてどこにもない。
真実なんて、海の底深くに沈めてしまえばいい。
私なんていくらでも悪者にすればいい。あなたが幸せになれればそれでいいのに!!
必死に止めようと口を開くけど、まるで声を奪われてしまったかのように喉がひりついて言葉にならない。
王子はどこか穏やかな表情で、ゆっくりと口を開いていく。
「あの日、俺が踊った相手は――」
「私でーす♡」
その時聞こえた場違いに明るい声に、その場にいた者たちの視線が一点に――ホールの入り口に集中する。
果たしてそこにいたのは、あの、運命の舞踏会の時と同じドレスを纏った……私の妹、エラだったのだ。