41 俺には君が必要なんだ
「悪いが、世界で一番大切な妻を食わせるわけにはいかない。他の物で我慢してくれ」
地竜はなおも唸り声をあげ、じりじりとこちらへ近づいてくる。
「王子……」
「……大丈夫だ、アデリーナ。俺の後ろに」
不安そうな声を漏らすアデリーナを背後に庇い、俺は地竜と相対する。
……間近で見ると、なんて恐ろしい生き物なのだと緊張せずにはいられない。
それでも、アデリーナはこの竜を救おうとしている。
討伐するのではなく、穏やかに過ごせる元の棲家へと帰そうとしているのだ。
ならば俺もその意志を尊重しよう。しかし、この状況では――。
「王子! 妃殿下!!」
「ったく、一人で先走りすぎですよ!」
ダンフォースとゴードンも駆けつけ、地竜へと剣を向けた。
……討伐するしかないのだろうか。
せっかくここまで頑張ったアデリーナの努力が水の泡になってしまうような道しかないのだろうか。
腕の中のアデリーナが、何かを耐えるように唇を噛みしめている。
本当は、「地竜を傷つけないで」と言いたいのだろう。
だがそれは、ゴードンとダンフォース……いや、俺たちの命を差し出すのと同義だ。
優しい彼女に、こんなつらい選択を迫らせてしまうなんて……。
俺も悔しさに唇を噛むと、この状況にそぐわないのんきの声が耳に届く。
「おやおや、これは大変ですね」
……そうだ、こいつもいたのだった。
「フレゼリク帝……!」
この緊迫した状況にもかかわらず、奴は優雅な足取りで俺たちと地竜の間に割って入ってくる。
「ごきげんよう、アレクシス王子殿下。こんなところで奇遇ですね」
「今はそんなことを言っている場合じゃないだろう! 貴殿も早く逃げ――」
「いえ、私にはアデリーナさんの選択を見届ける使命がありますので」
そう言って、奴は大振りの剣を腰から引き抜いた。
その様子を見たアデリーナが、咎めるような声を上げる。
「フレゼリク陛下!」
アデリーナが飛び出さないようにきつく抱きしめる。
……奴が地竜を討伐するというのなら、邪魔をするべきではない。
だがフレゼリク帝はまるで武器ではなく楽器を扱うかのように剣を撫で、歌うように語り掛けたのだ。
「……竜殺しの剣よ。怨敵の魂を鎮めんがため、鎮魂歌を奏でたまえ」
その声と同時に、あたりに鈴の音のような澄んだ音が響き渡る。
その音を聞いていると、不思議と心が凪いでいく。
きっとその影響を受けたのは、俺たちだけではないのだろう。
地竜でさえも、リラックスしたように目を閉じているのだから。
「これはいったい……?」
「竜殺しの剣の効果の一つです。もともとは竜を落ち着かせ隙を作り、より効率的に討伐を成し遂げるための手段のようですが」
フレゼリク帝はその剣を武器として振るうことはなく、じっとアデリーナを見つめている。
その目を見て、すぐにわかった。
あぁ、彼も……アデリーナという存在に、彼女が紡ぐ未来の可能性に魅せられているのだろう。
だからこそ地竜を討伐して終わらせるのではなく、アデリーナが新たな道を見せてくれるのを待っているのだ。
「もう一度、私にチャンスをくださるのですか」
「確かに、私としてはここで地竜を狩ってしまっても構いません。ですが……ただ単純に、心が動いたんです。あなたの紡ぐ優しい物語の結末を見てみたい……と」
俺とフレゼリク帝はとにかく馬が合わない。
彼個人と仲良くできる日なんてきっと来ないだろう。
だが……今だけは、あいつの気持ちがよく分かった。
「……君の甘すぎるともいえる優しさに、確かに救われる者もいるということだ」
「やり遂げよう、アデリーナ。俺たちの夢をここで終わらないために」
こんな極限状態だからか、今度は素直に思いを口に出すことができた。
そう、俺は……途方もない夢を少しでも現実にしようと努力する君が好きなんだ。
あまり危険な行動をしようとしているときは、止めたくなることもある。
暴走する思いが、口に出てしまうこともある。
だがそれでも……俺はそんな君が好きだ。
どこかの王女でも、生まれながらの高貴な淑女でもない。
太陽の下でまばゆく笑う、君じゃなきゃダメなんだ、アデリーナ。
俺には君が必要なんだ。
これからも、ずっと。