36 実に焦らし上手
皆が寝静まる夜半――私たちを乗せた馬車はこっそりと王城を出て、地竜の元へと向かっていく。
「あの、妃殿下……」
同乗するメンバーの中で、唯一私と王子の諍いのことを知っているコンラートさんが、気づかわし気に声をかけてきた。
「……申し訳ございません。まさか王子があんなことを言い出すとは思わず――」
罪悪感で死にそうな顔をしたコンラートさんに謝られ、私は慌てて首を横に振る。
「いえ、話し合いの場を作っていただいて有難かったです。……きっと遅かれ早かれああなっていたはずですから」
「妃殿下……! よく聞いてください。今の王子はどうかしてます。決して、妃殿下の存在や信念をないがしろにしているわけじゃないんです……!」
必死に慰めの言葉をくれるコンラートさんに、私はくすりと笑った。
「……大丈夫、わかってますよ」
コンラートさんを安心させたくて、彼の望むであろう言葉を口にする。
「今度こそ、きちんと離縁に応じますから」
「全然わかってない! あぁもう、あのクソボケナス王子のせいで……!」
コンラートさんの普段は上品な口からあまり耳触りのよくない言葉が聞こえた気がしたけど、私は静かにスルーしておいた。
きっと彼だって、王子が望むなら別の相手を妃にした方がいいと思っているだろう。
だから、これでいいはずだ。
そう、これでいいはず……。
「王子には思いっきり説教をしておきましたから、妃殿下も自暴自棄にならないでくださいね? 絶対ですからね!?」
何故だかコンラートさんは妙に焦っているようだった。
……確かに、彼には何度も「アデリーナ様が王太子妃でよかった」「妃殿下と出会って王子は変わった」「王子には妃殿下が必要なんです」「これからも王子の傍にいてあげてくださいね」と言われている。
……今までは、そうだったのかもしれない。
でも、この世界に不変のものなんてない。
王子は一時、私を愛してくれていた。
だからといって、未来永劫その愛が変わらないなんてことはない。
……彼が望む限りは、ずっと彼の傍にいようと思っていた。
いや……私が彼の傍にいたかったのだ。
でも、彼がもう私を必要としていないというのなら……未練がましく縋ったりせずに、快く送り出して差し上げなくては。
そう悲壮な決意を固める私に、コンラートさんは大きくため息をついた。
「はぁ……。王子、早く何とかしないとまずいですよ……」
たどり着いた農村の畑は、前回訪れた時に地竜が暴れたままになっていた。
……きっと、地竜はこのあたりに潜んでいるはず。
さぁ、いよいよ作戦開始だ……と意気込んだところで――。
「こんばんは、アデリーナさん。奇遇ですね」
「絶対に奇遇じゃないですよね!?」
またしても現れた白夜の国の皇帝――フレゼリク陛下に、私は思いっきり顔を引きつらせてしまった。
だって、こんな夜中に!
こんな辺鄙な場所で!
偶然出会うなんてありえないじゃないですか!
「……つけられてましたね」
「まぁ、あれだけ大々的に動いていたんだ。こちらが何かを計画しているのは筒抜けだっただろうな」
ダンフォース卿とコンラートさんが警戒心を滲ませた声でそう囁きあっている。
私も緊張しつつフレゼリク陛下と相対するけど、彼はいつもと同じく穏やかな笑みを浮かべている。
……今は護衛も連れていない。本当に彼一人だ。
「まぁまぁ、そう警戒なさらなくとも大丈夫ですよ。ただ私は、アデリーナさんのことが気になってつい駆けつけてしまったんです」
彼がそう口にした途端、ダンフォース卿とコンラートさんが顔をひきつらせたのがわかった。
「……駆けつけてほしい方が来ずに、来てほしくない方が来てしまいましたね」
「まったく、王子は何やってんだ……!」
こちらの動揺など意に介さずに、フレゼリク陛下はさらに場を混乱させるようなとんでもないことを口にする。
「前回のデートはとても楽しかったです。今度は夜デートと洒落こみませんか?」
あぁ、そんな誤解を招きそうなことを……!
フレゼリク陛下の意味深な発言に、ロビンとディアーネさんが騒ぎだしてしまう。
「アデリーナさまぁ!? 浮気はだめですよ! アレクシス王子が可哀そうです!!」
「ふふん、これが人間の言うモテ期というやつか。あれだろう? 恋の駆け引きとやらで……アレクシスを焦らせるための作戦か?」
あぁ、誤解が誤解を呼んでいく……!
今は地竜の命運がかかった大事な作戦の途中で、絶対こんな風に騒いでいるときじゃないのに……!
私は五秒くらい考え、この場は誤解を解くよりも作戦の遂行を優先することを決めた。
「……フレゼリク陛下」
「はい、何でしょう」
「私は今、とても大事な計画の真っ最中なんです。この計画が成功すれば、地竜を無事に元の棲家へ戻すことができ、この国の民への脅威は消えます。だから……今しばらく静かに見守ってはいただけないでしょうか……!」
彼を穏便に追い返すことは諦めた。
どうせ、こっそり後をついてくるに決まっている。
だったら目に見えるところにいてもらった方がいい。
そんな思いで懇願すると、彼は鷹揚に頷いた。
「承知いたしました。アデリーナさんは実に焦らし上手ですね」
「へ、変な言い方はやめてください……!」
「しっかりと見届けさせていただきますよ、あなたの選択を。ただし……」
そこで一度言葉を止め、彼はまっすぐに私を見つめた。
その視線には先ほどまでのからかうような色とは異なり、まるで抜き身の剣のような鋭い光を宿している。
「あなたの計画が失敗し、竜が人に牙を剥くようなことがあれば……安全のため、狩らせていただきます」
「……わかりました」
さすがに、頷くしかなかった。
彼の立場では、そうせざるを得ないとわかっていたから。
……地竜の命運は、私の行動に掛かっている。
もしも私が失敗すれば、フレゼリク陛下は躊躇なく竜を狩るだろう。
……大丈夫。私には皆がついてる。
絶対に、成功させなきゃ……!