34 行かないでくれ
「はぁ……」
俺の口から出てきたのは、激励の言葉とは程遠い大きなため息だった。
――そんなずさんな計画を本当に実行する気なのか?
――地竜を舐めすぎじゃないのか? 竜は危険な生き物だ。
――どうせまたフレゼリク帝が邪魔をしに来るに決まっている。
――こんなの、うまくいくはずがない……。
いつもだったら軽く流せるはずの懸念が、心を覆いつくすほどの暗雲となる。
この世界に100%の確実はない。地竜の救出が急を要する以上、危険を覚悟で綱渡りのような作戦を決行しなければならないことはわかっている。
そう頭ではわかっているのに……感情が制御できない。
――姿を見せようともしない秋の妖精王を何故信じる?
――そんなに妖精の世界が大切なのか?
――いつか俺を置いて、そちら側へ行ってしまうのか……?
そんな恐怖が、一瞬で心を支配した。
アデリーナに対する想いの深さが反転し、言葉の凶器となって彼女に襲い掛かるのを止めることができなかった。
「……アデリーナ、君はもう少し賢いと思っていたのだが」
やめさせたい、思い留まらせたい、外へ出したくない……。
そんな思いに突き動かされるままに、俺の口からは次々と冷たい言葉が飛び出していく。
「地竜を安全に逃がす万全の策があるのかと思いきや……そんな子どもみたいなずさんな計画を本当に実行する気か?」
そう口にすると、一気にアデリーナの表情がこわばった。
「ですが、地竜が人に危害を加える前になんとかしないと――」
「……それは《芳醇の国》と秋の妖精王との間の問題だろう。何度考えても俺たちが何とかしなければならない理由はないはずだ」
「でもっ……」
それでも必死に俺を説得しようとする姿に、ますます苛立ちが募っていく。
アデリーナが俺の下から離れて遠くに行ってしまう。
そんな勝手な思い込みが、どんどんと膨らんで止まらなかった。
「……アデリーナ、いい加減に気づけ。秋の妖精王は課題なんて立派なことを言って、君をいいように使おうとしているだけだ」
彼女を引き留めたい一心で、そう吐き捨てる。
――妖精王のことなんて忘れろ。
――君は俺の妃じゃないか。
――ずっと俺の傍にいるのが、君の何よりの役目のはずだろう?
まるで坂道を転げ落ちるかのように、零れてしまった言葉は止まらない。
「腰が低いのはある意味君の美点でもあるが……君も王太子妃なら、それ相応の態度を身に着けるべきだ。上に立つ者として、何でも安請け合いするべきじゃない」
一見もっともらしく聞こえるかもしれない言葉は、その実はただの醜い嫉妬だ。
――アデリーナにどこにも行ってほしくない。
――ずっと俺の傍にいてほしい。
そんな、幼稚な感情で俺は彼女の未来を、可能性を潰そうとしている。
それでも、アデリーナは必死に言い縋ってくる。
「……秋の妖精王は私たちを信頼して課題を授けてくださったのです、それを放棄することは、私たちと秋の妖精王――ひいては人間と妖精との関係にも影響を及ぼします」
すぐにわかった。彼女は俺を説得するために言葉を選んでいる。
いつものように純真な想いを伝えるのではなく、理屈をつけて俺を納得させようとしているのだ。
そう気づいた瞬間、心の奥底から申し訳なさがこみ上げる。
だが、止められなかった。
俺はアデリーナを失いたくない。
目を覚まさないアデリーナを見つめ、己の無力さを噛みしめながら「もう二度と彼女に会えない」なんて絶望に苛まれていた日々には戻りたくないんだ。
俺の言葉が、態度が、アデリーナの選択に大きく影響を与えている。
……もっと彼女を揺さぶり、思い留まらせなければ。
それこそ、反抗する気力さえもなくなるくらいに。
……俺の傍から、離れて行かないように。
強すぎる愛情が彼女を縛る鎖へと変わり、俺の口は彼女の心を折るための言葉を吐いていく。
「……《奇跡の国》の王太子の立場として言わせてもらうが」
俺のため息一つで、アデリーナが面白いほど動揺したのがわかった。
「秋の妖精王の信を得ることがそんなに重要か? 仮に秋の妖精王に認められたとして、我が国に何をもたらすことができる? リスクとリターンを天秤にかけて、それは本当に君がやらなければいけないことか?」
矢継ぎ早に問いかけると、アデリーナは表情をこわばらせて押し黙った。
「……大人になれ、アデリーナ」
そう口にした途端、アデリーナはびくりと体を震わせる。
「君は《奇跡の国》の王太子妃だろう。常冬現象が解決した以上、今すぐ妖精たちが我々に影響を及ぼすことはない。もっと現実を見て、王太子妃らしく振舞うべきだ」
アデリーナは蒼白な顔で唇を嚙みしめている。
その表情に罪悪感を覚えたが、それでも俺は止まれなかった。
あと少し、あと少しでアデリーナを俺の下にとどめておくことができる。
そうなれば、もうこんなひどいことも言わずに済む。
最愛の妃を手元に置いて、思う存分慈しむことができる。
だから――行かないでくれ、アデリーナ。
「……今ならまだ間に合う。秋の妖精王など無視すればいい。地竜との鬼ごっこなどよりも、レセプションパーティーに参加するべきだ。『王太子妃アデリーナ』は本日合流したことにして、明日にでも――」
「……なら」
珍しく、アデリーナは俺の言葉を遮った。
そのまま、彼女は激情を吐き出すようにぶちまける。
「それならっ……最初っからあなたが望むような方を妃にすればよかったじゃないですか!」
その言葉が耳に届いた途端、まるで頭を強く殴られたかのような衝撃を受けた。




