32 どんな結末を迎えようとも
久方ぶりに顔を合わせたアレクシス王子は、私の方を見て露骨に不満げな表情を浮かべた。
その反応に、熱くなっていた心がすっと冷めていくのがわかる。
それでも、ここに来た目的は忘れていない。
「……アレクシス王子、ご報告したいことが」
「なんだ」
「例の地竜の件なのですが……」
私は手身近に、今夜地竜を山奥へ逃がす計画を実行することを伝えた。
王子は黙って私の話を聞いている。
だが、私が話し終わったときに聞こえてきたのは――。
「はぁ……」
まるで落胆したかのような、大きなため息だった。
「……アデリーナ、君はもう少し賢いと思っていたのだが」
こちらを見る王子の目は、失望、もしくは軽い軽蔑の色を宿していた。
その冷たい目に、体が凍り付いたかのように動けなくなってしまう。
「地竜を安全に逃がす万全の策があるのかと思いきや……そんな子どもみたいなずさんな計画を本当に実行する気か?」
「ですが、地竜が人に危害を加える前になんとかしないと――」
「……それは《芳醇の国》と秋の妖精王との間の問題だろう。何度考えても俺たちが何とかしなければならない理由はないはずだ」
「でもっ……」
「……アデリーナ、いい加減に気づけ。秋の妖精王は課題なんて立派なことを言って、君をいいように使おうとしているだけだ」
王子は言い聞かせるようにそう告げた。
その呆れたような態度に、無性に悲しくなってしまう。
「腰が低いのはある意味君の美点でもあるが……君も王太子妃なら、それ相応の態度を身に着けるべきだ。上に立つ者として、何でも安請け合いするべきじゃない」
……わかってる。王子の言ってることは正しいってことくらい。
彼は生まれながらの王族なのだ。
貴族の端くれとはいえ庶民のような暮らしをしていた私とは、根本的に考え方が違うということも。
でも、それでも……私にだって、譲れないものはある。
「……秋の妖精王は私たちを信頼して課題を授けてくださったのです、それを放棄することは、私たちと秋の妖精王――ひいては人間と妖精との関係にも影響を及ぼします」
無意識に王子を説得する言葉を探して、選んでしまっていた。
……前はこうじゃなかった。
私は思ったままを口にして、彼は優しく私のことを見守って、支えてくれていたのに。
いったいいつから、私たちはこんな風になってしまったんだろう……。
「……《奇跡の国》の王太子の立場として言わせてもらうが」
大きくため息をついたのち、王子がゆっくりと口を開く。
「秋の妖精王の信を得ることがそんなに重要か? 仮に秋の妖精王に認められたとして、我が国に何をもたらすことができる? リスクとリターンを天秤にかけて、それは本当に君がやらなければいけないことか?」
矢継ぎ早に問いかけられ、思わず言葉に詰まってしまう。
だって……こんな風に言われるのは初めてだったから。
王子はいつだって、私の夢を応援してくれていた。
危険な場所へ行くときは心配されるし、止められることもあるけれど……私の夢を「くだらない」と笑ったことは一度もなかった。
でも、今は……彼の言葉を恐ろしく感じてしまう。
私の夢が、努力が、すべて「無駄」だと一蹴されてしまうような気がして。
押し黙った私を見て、彼は面倒くさそうな顔を隠しもしなかった。
「……大人になれ、アデリーナ」
まるで我儘をいう子どもを躾けるような、冷たい響きだった。
「君は《奇跡の国》の王太子妃だろう。常冬現象が解決した以上、今すぐ妖精たちが我々に影響を及ぼすことはない。もっと現実を見て、王太子妃らしく振舞うべきだ」
その言葉を聞いた途端、全身からすっと血の気が引いた。
……ずっと、そんなことを思っていらっしゃったんですか?
私のことを「王太子妃らしくない」って、くだらないことに夢中になってばかりで妃として不適合だと思っていたの?
侍女に扮してまで地竜を助けようとする私よりも、妖精や竜の事情に興味を持たないで、ただ妃として黙ってあなたの隣に立つ存在を望んでいらっしゃるのですか……?
私の嫌な想像を裏付けるように、王子は言い聞かせるように告げる。
「……今ならまだ間に合う。秋の妖精王など無視すればいい。地竜との鬼ごっこなどよりも、レセプションパーティーに参加するべきだ。『王太子妃アデリーナ』は本日合流したことにして、明日にでも――」
「……なら」
……駄目だ、感情が抑えられない。
胸の奥底の不安がどんどんと膨れ上がって、心を支配していく。
いつもなら止まることができるのに、今はだめだった。
気が付けば、言ってはならない言葉が口から飛び出してしまっていた。
「それならっ……最初っからあなたが望むような方を妃にすればよかったじゃないですか!」
そう言葉をぶつけた途端、王子が驚いたように目を見開いた。
「勝手に連れてきておいて、自分の理想通りじゃなかったらネチネチと文句ですか? それなら、最初からどこかの王女様でも高位貴族のご令嬢でも娶ればよかったじゃないですか! わざわざ庶民みたいな貴族の端くれの女にこだわらず、さっさと離縁してくれればよかったのに!」
王子がどんな顔をしているのか見てしまうのが怖くて、俯いたまま私はそうぶちまけた。
ぶちまけてしまった。
止まらなきゃ、王子に謝らなきゃと頭ではわかっているのに、感情が勝手に先走って止まることができない。
こんなことは初めてで、勝手にぽろぽろと涙がこぼれてしまう。
「私だって……妃になんてなりたくなかったのに!」
そう口をついて出た途端、私はくるりと王子に背を向けその場から駆け出していた。
「妃殿下!」
慌てたようなコンラートさんの声が聞こえたけど、止まることはできなかった。
……自分が嫌いで、たまらなくなる。
王子に正論を言われたからって、八つ当たりであんなことを言ってしまうなんて。
……私って、なんて醜いんだろう。
――「……大人になれ、アデリーナ」
――「もっと現実を見て、王太子妃らしく振舞うべきだ」
あんな風に暴走してしまったのは、王子の言葉が刺さったからだ。
どれだけ頑張っても、私はいつまでも王太子妃らしくはなれなくて。
生まれ持っての王侯貴族にお会いするたびに、劣等感に苛まれてしまう。
……もしかしたら妖精王に認められようとするのも、そんな自分の足りない部分を補おうとしているからなのかもしれない。
どれだけ頑張っても、アヒルの子はアヒル。
白鳥にはなれないのだ。
そんな現実を直視する勇気が出なくて、皆の厚意に甘えて……好き勝手に振舞っていた結果がこれだ。
気が付けば王城の外――庭園の一角までたどり着いていた。
植え込みの陰にしゃがみ込み、膝に顔をうずめる。
「王子に、嫌われちゃった……」
そう口にすると、またぼろぼろと涙が溢れてきた。
あれだけひどいことを言ってしまったのだ。
王子だって、いい加減私に愛想を尽かしたに決まっている。
……そう考えると、まるで世界の終りのような絶望的な気分に襲われてしまう。
でも、それでも――。
「……行かなきゃ」
……たとえもう二度と、アレクシス王子の愛が戻らないとしても。
これだけ皆に協力してもらっているのだ。
秋の妖精王の課題を中途半端に投げ出すことなどできるはずがない。
せめて今夜の作戦だけは、やり遂げなければ。
涙をぬぐい立ち上がる。
たとえどんな結末を迎えようとも、私の物語の止めるわけにはいかないから。




