9 初めての喧嘩
「なるほど、アデリーナとアレクシスは今まで本気の喧嘩をしたことがなかったというわけか」
王子に「頭を冷やせ」と言われたその夜。
私は同じ部屋で寝泊まりしているディアーネさんに王子とのことを相談しておりました。
「ちょっとした言い合いはあったんですけど、こんな風に……今後の行動指針についてはっきりと意見が分かれたのは……おそらく、初めてだと思います」
「まぁ生きていればそんなこともあるだろうな。そう気に病むな」
ディアーネさんは枕に顔をうずめる私の頭をぽんぽん、と軽く撫でた。
「私もよくユーリディスと喧嘩をしたものだ。ユーリディスはなかなか怒りっぽくてな。部屋の中に大量のマンドラゴラを投げつけられた時は参った……」
「そ、そんなことが……」
そっとベッドサイドに視線をやると、バスケットの中でふかふかのタオルに包まれて、マンドラゴラちゃんとロビンが眠っている。
普段はおとなしいマンドラゴラちゃんだけど、ちょっと想定外の刺激を受けると鼓膜が破れそうなほどの大音量で鳴きだしてしまうのだ。
大量のマンドラゴラを投げつけられたディアーネさんがどうなったのかは……あまり想像したくないですね……。
「なんていうか……ユーリディスさんって、思ったよりも激しい方なんですね」
ディアーネさんの幼馴染で、私は会ったことのない私の祖母にあたる御方。
ブライアローズ様みたいにふわふわしたイメージだったけど、話を聞くとどうやらそうでもないようだ。
「あぁ、ユーリディスに比べればアデリーナは落ち着きすぎていて驚くほどだ。だが……ユーリディスも話の通じない相手ではなかった。意見がぶつかることはしょっちゅうあったが、きちんと話し合うことでなんとかなったものだ」
「きちんと話し合う……」
今日の私と王子にはできなかったことだ。
王子はかたくなに私の意見を受け入れようとはしなかったし、私も意地を張って心にもないことを言ってしまった。
――「……夢見がちな妃の夢に付き合って、やってる振りをしていただかなくても結構ですので」
……本当に、あんなことを思っていたわけじゃない。
王子がちゃんと、私の夢のことを真剣に考えてくれているのはわかっている。
なのに、ルーの言葉に影響されて、ひどいことを言ってしまった。
……許して、もらえるかな。愛想をつかされたりはしないかな。
「……大丈夫だ、アデリーナ。たいていの嫌なことは一晩寝ればマシになるものだ。一番いけないのは寝不足になることだな。体にも心にも悪影響だ」
「……そうですね。ありがとうございます、ディアーネさん」
ディアーネさんに促され、私はそっと明かりを消した。
すぐにディアーネさんの寝息が聞こえてきたけど、私はなかなか寝付くことができなかった。
◇◇◇
迎えた翌日……私は少し緊張しながらも侍女スタイルに着替え、部屋を出た。
きちんと、王子と話し合わなければ。
大丈夫、ちゃんと話し合えれば分かり合えずはず。
そう思っていたのだけれど……。
「どうだ、頭は冷えたか?」
顔を合わせた開口一番、王子はしたり顔でそんなことを口にしたのです。
その途端、私の中で昨夜のもやもやが再び現れてしまった。
「王子こそ、私の話を聞いてくださる準備は整いましたか?」
「だから、昨日も言っただろう。こんな無茶苦茶な話はさっさと断るべきだと」
「私はそうは思いません!」
……駄目だ。落ち着かなければと思えば思うほど、かっとなってしまいそうになる。
「これは妖精王が私たちに与えた試練。決して、乗り越えるのが不可能だとは思えません。挑戦もせずに逃げ出せば、秋の妖精王に認めていただける機会は二度と訪れなくなります」
「だから、秋の妖精王に認められなかったといって不利益はないと言っただろう」
「そんなのわからないじゃないですか。私たちは秋の妖精王について何も知らないのに……」
「少なくとも、竜の相手を押し付けてくる時点でろくな相手でないのは確かだ。そんな者の話など、まともに聞く必要はない」
「王子……!」
あまりの言い草に、怒りと悲しみがないまぜになった感情が胸に湧き上がり、心がぐちゃぐちゃになってしまう。
だって、それだと同じじゃないですか。
相手のことがわからないから、理解できないからといって何もかも拒絶していたら……今までと何も変わらない。
自分たちと違う者を迫害してきた、過去の歴史と同じになってしまうのに……。
無性に悲しくて、悔しかった。
王子は私と同じ気持ちだと思っていたのに。私の想いを、理解してくれていると思っていたのに。
それに……今ここで彼を説得することができない無力な自分にも苛立ちが止まらない。
あぁ、どうしてこんなに……!
「じゃあ、もういいです」
気が付けば、そんな言葉が口から飛び出していた。
「秋の妖精王の課題は私一人でなんとかしますので、王子はどうぞご自由に!」
「アデリーナ!」
咎めるような声に背を向け、その場を後にする。
慌てたようにダンフォース卿とディアーネさんがついてきたけど、私は足を止めなかった。
胸のむかむかが収まらない。このまま王子と顔を合わせ続けていたら、もっとひどいことを言ってしまうかもしれない。
こんなこと初めてで、なんだか泣き出したくなってしまう。
足早に王宮を出ると、広場の噴水にルーが腰かけているのが見えた。
「おはよ。なんだかひどい顔だけど……どうする? 課題を諦める?」
にやつきながらそう口にするルーに、私は首を横に振った。
「……いいえ、挑戦させてください。王子は来られませんが、私だけでも」
「ふーん……王子様と喧嘩でもした? 別にいいよ、安全の保障はできないけど」
「構いません」
私だけでも秋の妖精王に認められることができれば、王子もきっとわかってくれるだろう。
だから、ここで立ち止まるわけにはいかない。
だがルーと話していると、背後から私を呼び止める声が聞こえた。
「アデリーナ様、お待ちください!」
振り返ると、いつになく慌てた様子のコンラートさんがこちらへ駆けてくるのが見える。
……王子に言われて、私を連れ戻しに来たのだろうか。
「……何を言われても私の意志は変わりませんから」
先んじてそう宣言すると、コンラートさんは困ったように笑った。
「えぇ、存じております。ダンフォースもついていますし、きっとお止めしたところで聞き入れたはいただけないでしょうし、そのつもりはありません」
「なら、どうして……」
わざわざ私を追いかけるような真似を?
探るような目を向けると、コンラートさんは咳払いをした。
「……王子殿下より命を受けました。現在この国を悩ませている、原因不明の農地への被害を調査するようにと」
「それって……」
もしかしなくても、地竜が人里近くにまで現れている件のことですよね?
「王子も意地を張っているんですよ。それでも、こんな変な理由をつけて私を妃殿下のもとへ送るくらいには、妃殿下のことを心配されているんです」
「…………そう、なんですか」
胸の奥から何かがこみあげてきて、私はぐっと拳を握った。
……私に呆れたのなら、付き合いきれないと思うのなら、放っておいてくれればいいのに。
それなのに、こんな風に気を遣われたら……どんな顔をしていいのか、わからなくなってしまう。
「私も同行します。いいですね? 自分の身くらいは自分で守れますから、足手まといにはならないつもりです」
「…………はい」
私は小さく頷くほかなかった。
あれだけ啖呵を切って出てきたのに、王子が私のことを気にしてくれているとわかっただけで……涙が出そうなほど安堵してしまった。




