7 夢見がちなお姫様
「まったく、なんなんだあの得体が知れない皇帝は……!」
ところ変わって、ここは王宮内の貴賓室の一角。
どさりとソファに腰を下ろした王子は、うめくようにそう口にした。
「なんというか、ただならぬ空気でしたよね。修羅場というか」
「私たちが来る前に何があったんですか? まぁ、だいたいは想像がつきますけど」
ゴードン卿とコンラートさんの言葉に、王子は大きくため息をつく。
「……皇帝フレゼリクはアデリーナに興味を持っている。アデリーナが王太子妃だと気づいたかどうかはわからないが、ただの侍女ではないとバレたな」
「……ごめんなさい、王子。私が不用意に声をかけたりしたから――」
あの時……少し確認すれば、王子が誰かとお話ししていたのはわかったのに。
それなのに軽率に声をかけて、こんな事態を招いてしまった。
落ち込んでいると、王子が優しく頭を撫でてくれる。
「いや、君のせいじゃないさ。ここで奴と会うのはさすがに想定外だ。……アデリーナ、知っているとは思うが彼は《白夜の国》――前に君をさらおうとした国の皇帝だ」
「はい、存じております……」
《白夜の国》はここより北の――前に訪れた《深雪の国》より更に北に位置する大国だ。
あまりに遠いので、《奇跡の国》との国交はほとんどないといってもいい。
そのため、実態は謎に包まれている。
私やブライアローズ様を連れ去ろうと企み、その企みが失敗するとしらを切る。
私も一度誘拐されかかったから、正直あまりいい印象はない。
「君の誘拐に皇帝自身が関与しているのかはわからない。だが、近づかない方がいいにこしたことはない」
「はい……」
不安が顔に出ていたのか、王子が安心させるようにそっと私の頬を撫でる。
「……大丈夫だ、アデリーナ。たとえ相手が誰だろうと、決して君を離しはしない」
「王子……」
至近距離で王子と目が合い、心が温かくなる。
……不思議ですね、フレゼリク陛下の金色の目に見つめられた時は、あんなに胸がざわついたのに。
今は心ごと包み込むような、安心感が満ちていくようだった。
「えっと……話を進めても?」
じっと見つめあっていると、コンラートさんが気まずそうな声を上げた。
わぁぁすみません! 話を進めていただいて大丈夫です!
あ、でも……。
「ダンフォース卿とディアーネさんがまだ戻っていませんから、私が探して――」
「駄目だ! またあの男と鉢会わせたらどうする!?」
「今の私は侍女だから率先して雑用をしなければ!」と立ち上がろうとした私の腕を、王子が強くつかんだ。
「随分と過保護だね。まるでその子は籠の鳥だ」
「当たり前だ! 俺のたった一人の妃だぞ!? ……誰だお前は!」
急にどこからか聞こえた声に、反射的に言い返した後……王子は素っ頓狂な声を上げた。
それもそのはず。今聞こえた声は、王子でも私でも、コンラートさんでもゴードン卿でもなかったのだから。
でも、私はこの声の主を知っている。
ここにいるはずはないんだけど、どうして――。
「やっほー、勝手に入らせてもらったよ」
「ルー! どうしてここに!?」
ソファの陰からひょっこり顔をのぞかせたのは、私が先ほど別れたばかりの秋の妖精――ルーだった。
「なんだこいつは! どこから入った……!」
「こいつとは失礼な。ちゃんと扉から入ったよ。あんたらが気づかなかっただけでね」
「……随分と生意気な子どもだな。すぐに衛兵に突き出して――」
「ま、待ってください王子! 彼は――」
私は慌てて、「彼は秋の妖精王の配下の妖精で、私たちが課題を達成するための重要な存在です」と伝えた。
ここでルーがへそを曲げたら、秋の妖精王へ接触する手段がなくなってしまうかもしれない。
だから、できるだけルーの機嫌を損ねないようにしないと……。
「でもどうしたの? 明日落ち合う約束だと思っていたのだけど……」
「一応、王子の方にも挨拶くらいはしておこうと思ってね。ふーん……」
ルーが帽子を脱ぐと、妖精族特有の尖った耳が露になる。
少し驚いた様子の王子を、ルーはじろじろと眺めていた。
「……で、あんたは本気で秋の妖精王に認められる気はあるの? 夢見がちなお姫様に適当に話を合わせてるだけじゃないの?」
ルーの言葉に、王子は不快そうに眉根を寄せた。
「……どういう意味だ、それは」
「言葉通りだよ。人と人ならざる者が一緒に暮らすなんて、それこそ叶うはずがない夢物語だ。君だって、為政者の立場ならそれがどれほど困難なことかわからないはずがないだろう? その子を悲しませたくないから、やってる振りをしてるだけじゃない?」
ルーの言葉に、王子は大きくため息をつく。
「確かに、実現が難しいことは承知している。だが……やってみなければ、何も始まらない」
私に目配せをして、王子ははっきりとそう口にした。
その言葉に、胸がじぃんと熱くなる。
……そうですよね。どれだけ大きな夢でも、まずは夢を見なければ、一歩歩き出さなければ叶う可能性はゼロだ。
それでも、少しでも歩き出していれば……いつかは、叶う日が来るかもしれない。
あなたに出会って、私もそう知ったのですから。
「現に、俺とアデリーナは何度も奇跡を起こしている。今回だって、必ずや秋の妖精王の信頼を勝ち取って見せよう」
王子の宣言に、ルーは考え込むように目を細めた。
「ふーん……随分と自信があるようだね。……なら、試してあげるよ」
にやりと笑ったルーがぱちんと指を鳴らす。
その途端――。
「あれ……?」
私の頭の中で、まるでシャボン玉が弾けたかのような不思議な感覚がした。
慌てて周囲を確認したけど、特に変わった様子はない。
ただの気のせいかしら……?
「君たちの意志はわかった。まぁ、せいぜい頑張りなよ。じゃあね」
ルーはそれだけ言うと、すたすたと窓際まで歩み寄り……さっと窓を開けて外へと身を躍らせた。
「危ない!」
ここって結構な高さがあったんじゃ――と慌てて下を確認したけど、既にルーの姿は見えなかった。
ロビンみたいに飛べるのか、それともいきなり姿を消すような魔法が使えるのか……。
「……今までにないタイプの相手だったな」
ため息をつきながら王子がそう口にする。
「はい……。私も初めて会ったときは驚きました」
そんなことを話していると、部屋の扉を叩く音が聞こえる。
やって来たのは、ダンフォース卿とディアーネさんだった。
よかった……これで全員集合ですね。
さっそく、作戦会議を始めましょうか。




