32 奇跡
「アデリーナ……」
そうだな、俺が諦めてどうする。
俺は君を……君と共に歩む未来を諦めはしない。
これからもずっと一緒だ、俺の最愛の妃。
そっと顔を近づけ、眠ったままのアデリーナに唇を重ねる。
ありたけの、愛情を込めて。
その瞬間、何かが変わった。
まるで、時を刻むのを止めていた時計が再び動き出すかのように。
夜が明け、朝日が大地を照らすかのように。
――奇跡が起こる。
そんな予感が、胸を震わせた。
期待を込め、俺は寝台で眠るアデリーナへと視線を戻す。
彼女は相も変わらず、穏やかに眠っている。
だが――。
「ん……」
皆が見守る中で、そのまぶたがぴくりと動いた。
そして――ゆっくりと、目を開ける。
早春に芽吹いたばかりの明るい草のような、美しい若草色。
たとえ世界が冬に閉ざされたとしても、温かさを失わない永遠の春。
アデリーナの優しい人柄を表すような美しい瞳が、そっと俺の姿を映したのがわかった。
彼女はぼんやりと俺を見つめ……そして、花が咲くように笑った。
その途端、柔らかな風に包まれたような気がしたかと思うと――。
「見てください! 外が!!」
コンラートの声に反射的に顔を上げ、俺は驚愕した。
アデリーナの寝室の窓からは、離宮の庭園が一望できる。
妖精女王の暴走により、美しい庭園は枯れ果ててしまったのだが……そんな死の大地に、きらきらと明るい金色のの粒が降り注いでいる。
まるで、光の雨のようだった。
優しい雨は、そっと枯れた大地を包んでいく。
そして、柔らかな光に包まれたかと思うと……死んだはずの庭園の植物たちがみるみると蘇っているのだ。
まるで、生命の祝福のように。
誰もがその光景に、言葉も失い魅入っていた。
だが、それだけで終わらなかった。
「ふわぁ……もう朝ですかぁ……?」
気の抜けた声が聞こえたかと思うと、アデリーナの傍らの小さなベッドに横たわっていたロビンが、ごしごしと目をこすりながら起き上がったのだ。
「チビ! お前死んだはずじゃ――」
信じられないと言った声を上げるゴードンに、ロビンはきょとんと眼を瞬かせている。
彼は俺とアデリーナを守るために、その命を燃やし尽くしたはずだ。
だが今、彼は再び起き上がった。
……本当に、奇跡が起こったのだ。
「アデリーナ……!」
強く、強く、目の前の存在を抱きしめる。
もう二度と、離したくはなかった。
「ね、うまくいったでしょう?」
得意げな声に振り返れば、エラが俺たちに向かってぱちんとウィンクをしてみせた。
その姿を目にして、アデリーナは驚愕の声を上げる。
「エラ!? どうしてここに!?」
「大事な姉さんの一大事なのよ? 私が来ないわけがないじゃない」
「一大事……そうだ! 皆はどうなったんですか!?」
起きたばかりでまだ現状を理解していないアデリーナは、慌てたようにベッドから飛び起きようとした。
俺は慌てて彼女を落ち着け、ベッドへと留めた。
「君のおかげで皆無事だ。ほら、ロビンだって」
「アデリーナさま、僕は元気ですよ!」
「ロビン! よかった……本当によかった……!」
飛びついてきたロビンを、アデリーナは瞳を潤ませながらしっかりと抱きしめた。
「コンラートもゴードンも、ダンフォースもディアーネも……もちろん、この国の民は皆無事だ。君が、守ってくれたおかげで」
アデリーナはゆっくりと室内へ視線を走らせる。
皆の無事な姿を見て、彼女は安堵したように表情を緩めた。
「よかった……。でも枯れてしまった木々は……あれ?」
窓の外の景色に視線を向けたアデリーナは、驚いたように目を丸くする。
それも無理はない。最後に彼女が見たのは、自分が愛した景色が見る影もなく枯れ果てて行く情景だったはずなのだ。
だが今は、庭園の木々も草花も前と同じように……いや、前よりもたくましく蘇っている。
俺だって、一気に色々なことが起こりすぎて理解が追い付かないのだ。
「元に戻ってますね……!? もしかして、ブライアローズ様が蘇らせてくださったのですか?」
アデリーナは不思議そうに、妖精女王にそう問いかけた。
だが妖精女王は、瞳を潤ませながらも首を横に振った。
「……いいえ、私ではないわ。情けないことに、我を失って呪いを振りまいている間に魔力を使い果たしてしまったの。だから、私にはこれだけの緑を再生させる力は残っていないわ」
妖精女王は俯いていた顔を上げると、真っすぐにアデリーナを見つめる。
そして、慎重に口を開いた。
「……アデリーナ。私の呪いを浄化し、この地を再生させたのはあなたよ。…………いったい、あなたは何者なの?」
その言葉に、アデリーナは息をのむ。
俺は安心させるようにアデリーナの肩を抱いた。
「私、私は……」
アデリーナが戸惑うように呟く。
その時だった。
「それは、私の口からお話いたしましょう」
突然の第三者の声に、俺たちは一斉に部屋の入口へと振り返る。
果たしてそこには、二人の女性が立っていた。
その一人の姿を目にして、俺は思わず顔をしかめてしまった。
彼女には見覚えがある。
まるでここが我が城だと言わんばかりに、自身に満ち溢れた女王のような立ち姿。
いつぞやにこの離宮でとんでもない騒動を起こしてくれた、アデリーナの姉のヒルダだ。
だが、もう一人の女性には見覚えはない。
毅然とした表情で立つ、美しくも厳しさを感じさせる女性だ。
年の頃は俺たちよりも一回りか二回りほど上だろう。
彼女の姿を見て、エラが呆れたように呟く。
「やれやれ、やっと来たのね」
どうやら、エラはこの女性のことを知っているようだ。
ヒルダと共に現れた、エラの既知の女性。
ということは、まさか――。
「……お母さん!?」
アデリーナのひどく驚愕した叫びに、俺は自分の推測が間違っていなかったことを悟った。