29 お願い、伝わって
「みんな、みんなブライアローズ様のことを心配されてます。あなたは絶対に、化け物なんかじゃない……」
だんだんと、「私」の形が保てているのか不安になってくる。
それでも、この腕が届く限りに私は彼女を抱きしめ、必死に祈った。
どうか、私の想いが伝わりますように……と。
そのうちに、不思議な感覚に襲われる。
まるで、私の心と彼女の心が細い糸で繋がったかのような……。
ブライアローズ様の心は、するどい棘を持つ茨の檻に守られているようだった。
うかつに触れようとすれば、きっとこちらもずたずたに引き裂かれてしまうだろう。
それでも私は触れようと足掻いた。傷ついた妖精女王の心に。
「お願い、伝わって……!」
私の記憶、私の想い、私が見てきたすべて……。
たくさんの人に出会った。たくさんの人に助けられ、支えられてきた。
確かに卑怯な手を使って他人を追い落とそうとしたり、傷つけようとする人もいる。
でも、それよりも……優しい人もたくさんいる。
そんな人たちが、終わらない冬に苦しんでいる。
思いつめて、自身を破滅へ導くような行動へ走ってしまう人もいる。
きっと、本当は……ブライアローズ様だってそんな状況は望んいないはず。
そう思った瞬間、不意に見たことのない情景が私の中に入り込んで来た。
雪に覆われた土地で、身を寄せ合って寒さに凍える人々。
そんな彼らの下に、急に温かな風が吹いたかと思うと……雪が溶け、その下から息づく緑が顔を出す。
歓声を上げる人々を、優しく見守っているのは……きっと、春の妖精女王であるブライアローズ様だ。
きっとこれは、ブライアローズ様の昔の記憶。
彼女が慈愛の心で人々の祝福を与えていた頃の、優しい記憶なんだ。
どんどんと、ブライアローズ様の記憶が私の中へと流れ込んでくる。
ロビンのように、与えられた使命を果たそうと小さな体で外の世界へ飛び立っていく春の妖精を見守ったことも。
郷につながる深い森に迷い込んだ着いた人間を優しく迎えたことも。
自ら寒さに凍える人々の下へ赴き、優しい春を呼んだことも。
流れ込んでくるのは、優しい光景ばかりだった。
……ユール様のおっしゃっていた通りだった。
ブライアローズ様は最初から人間を嫌っていたわけじゃない。憎んでいたわけじゃない。
誰よりも慈愛の心を持つ、優しい妖精王だったんだ……。
そんな彼女の心を歪めてしまったのが、愛娘の死という悲劇だった。
そう考えた途端、不意に心の中で不思議な声が響いた。
――『あのね、お母様。私ね、あの人と一緒に外の世界へ行くわ。この郷の外を見て、いっぱい勉強して……人も妖精も仲良く暮らせるような場所を作るのよ!』
初めて聞いた声だけど、私にはすぐに誰なのかがわかった。
妖精女王の愛娘――ユーリディス。
きっとこれは、ブライアローズ様の記憶の中にある彼女の声なのだろう。
……不思議ですね。彼女も、私と同じ夢を持っていたなんて。
ユーリディスさんが力を与えてくれたような気がして、私は必死に語り掛けた。
「思い出してください、ブライアローズ様。人間たちに祝福を与えていた頃のことを。それに、ユーリディスさんが何を願っていたのか。こんなこと、ユーリディスさんだって望んでいません……!」
そう呼びかけた途端、私の腕の中のブライアローズ様がぴくりと反応した。
「ユー、リディス……?」
「はい……! 彼女の望みは、人と妖精が手を取り合って暮らすことだった。決して、人間を滅ぼすことなんかじゃないんです……!」
だからお願い、ユーリディスさんの夢を踏みにじらないで。
彼女は亡くなってしまったけど、その志は、夢は、今も続いているのだから。
「私もっ……ユーリディスさんのように、そんな世界を目指してるんです……!」
私が、彼女の意志を継ぎます。
だから、だから――。
「……もう一度、人間を信じてください、ブライアローズ様」
世の中には邪な考えを持った人間や、悪意を持って他者を陥れようとする者もいる。
でも、そうじゃない人もたくさんいるのですから。
あなたの娘が夢見た世界を、もう少しだけ見守ってはいただけないでしょうか……?
必死にそう語りかけると、うわごとのように呟くブライアローズ様の瞳に、徐々に光が戻っていく。
「私、私は……」
それと同時に、少しずつ彼女の振りまく呪いが弱まっていくのを感じた。
それでも、私はブライアローズ様を抱きしめ続けた。
私の……ユーリディスの想いが、しっかりと伝わるように。
「ユーリディス……」
ぽつりと愛娘の名を呟いた妖精女王は、その美しい瞳から一粒の涙を流した。
「私は……大切なことを忘れていたのかもしれないわね」
ぽつりとブライアローズ様がそう呟いたのと同時に、完全に彼女の放つ呪いが消えたのがわかった。
よかった、これで――。
張りつめていた緊張が解け、私の体はバランスを保てずにふらりと傾く。
「アデリーナ!?」
ブライアローズ様が驚いたように私の名を呼ぶ。
あぁ、やっぱりこうなっちゃいましたか……。
妖精女王の放つ渾身の呪いを一心に受けたんですもの。むしろ、即死しなかったのが不思議なくらいで――。
「アデリーナ!!」
遠くから、あの人の声が聞こえる。
いろいろと伝えたいことはあるのだけど……。
ごめんなさい、今はとっても眠くてたまらないんです。




