20 いい気味だわ
「あ、あの……」
「あぁ、あなたはとても大変な思いをしていたのね……!」
なるほど、ブライアローズ様はどうやら私の境遇に同情してくださったようだ。
確かに実の父親も義理の父親も亡くしているなんて、波乱万丈な人生だといえるかもしれない。
……正直私はどちらの父親ともあまり仲が良くなかったから、そこまでショックを受けることはなかったのだけれど。
「今の私は、《奇跡の国》の王太子妃として不自由ない暮らしをさせていただいております。……だからこそ、役目を果たしたいのです。……ブライアローズ様、無礼を承知でお願いがございます」
勇気を出してそう話を切り出すと、ブライアローズ様はきょとんと首を傾げた。
「役目?」
「はい。ブライアローズ様が郷を閉ざされた影響で、一部の地域では極端に冬が長くなり春が来ないという常冬のような状況になっております」
……もしかしたら、ずっと郷に閉じこもっているブライアローズ様は外の状況をご存じないのかもしれない。
間接的とはいえ自分のせいで多くの人たちが苦しんでいると知ったら、大きなショックを受けてしまうかもしれない。
できるだけ彼女を傷つけないように言葉を選んで、私は事実を口にした。
「そう、なの……」
私の話を聞いたブライアローズ様は俯いた。
まずい、やはりショックを受けてしまった……と私は慌てたけど――。
「ふ、ふふふ……」
泣き声、ではない。これは、抑えきれない笑い声だ。
その音が耳に届いた途端、私は固まってしまった。
そんな私の目の前で、ブライアローズ様はゆっくりと顔を上げる。
その顔に浮かんでいるのは、まぎれもなく満足げな笑みだった。
「いい気味だわ」
美しい、それ故に底知れないおぞましさを感じる笑みを浮かべて、ブライアローズ様はそう言った。
「もっと、もっと苦しめばいいのよ。私からユーリディスを奪った報いね」
「……ブライアローズ様」
駄目だ、怒るな。感情を爆発させるな。
私は王太子妃。ただのアデリーナじゃない。
これからも王子の隣に立つために、今何をするべきかをしっかり考えて。
……必死に自分にそう言い聞かせ、私は真っすぐにブライアローズ様を見つめて口を開く。
「確かに、あなたの娘は人間に殺されたのかもしれません。ですが、今苦しんでいる人たちとあなたの娘を奪った人間は別の存在です」
彼女の怒りも、苦しみももっともだ。
何よりも大切な存在を理不尽に奪われて、冷静でいられるはずがない。
でも、それでも……。
彼女は「妖精女王」なのだ。
彼女の行動一つで多くの命が、その行く末が変わってしまう。
私も王太子妃という立場になったからこそ(というのは奢りかもしれないけど)、立場に伴う責任というものを少しずつ理解し始めている。
それに、いつまでも怒りや憎しみに囚われ続けるのは……ブライアローズ様自身のためにもよくないと思うのです。
とにかく、彼女にはもう一度よく考えて欲しかった。
「私は、あなたにもう一度郷を開き、春の妖精たちに『春呼び』をしていただけないかとお願いに参りました。どうか……迷える民に救いの手を差し伸べてはいただけないでしょうか」
そう言って、深く、深く頭を下げる。
王太子妃という立場上、軽々しく頭を下げない方がいいっていうのはわかっているけど……私が頭を下げて助かる人がいるのなら、いくらでも下げる所存です。
なんていっても、結婚初夜にも土下座して命を繋いだ実績がありますからね。
このくらい、安いものです。
「……そう、あなたはそうなのね」
何やら要領を得ない言葉が聞こえ、私はおそるおそる顔を上げる。
ブライアローズ様は私の無礼に大激怒……ではなく、何故か少し寂しそうな目をしてこちらを見つめていた。
「やっぱり、あなたはユーリディスによく似ているわ。あの子もあなたと同じく、人間が大好きだった。凍える地に春を呼んで、多くの人間に幸福を運ぶのだと張り切っていたわ」
ブライアローズ様は懐かしそうに、愛娘との思い出を語っている。
その表情はとても愛おしげで、とても先ほど「いい気味だわ」と仰った方と同一人物だとは思えないほど。
……もしかしたら、悲劇によって妖精女王の心も凍り付いてしまったのかもしれない。
きっと、その心を溶かせるのが愛娘――「ユーリディス」さんなんだ。
でも、聞けば聞くほどユーリディスさんと私が似ているとは思えない。
私は人間が好きというよりは、自分も人間だと思っているから同族意識があるだけですし……。
でも、ブライアローズ様の態度は確実に先ほどより和らいでいる。
なんとか、もう少し心を動かすことができれば……。
一か八か、意を決して私は口を開いた。
「……ブライアローズ様。私はユーリディスさんという方を存じ上げませんが、もしもその御方が生きていらっしゃったら……きっと、私と同じことを望むかと思います」
人間を愛し、外の世界へ踏み出した妖精の姫君。
その末路は悲惨な結果になってしまったけど、きっと彼女だって、無関係に人々が苦しむことは望まないはずだ。
「そう……」
私の言葉を受けて、ブライアローズ様は悩ましげに考え込んでいる。
どうか、いい方向に進んでくれますように……。
「少し、考えさせてもらえるかしら」
「はっ、はい!」
待ち望んでいた言葉に、私は何度も頷いた。
よかった……やっぱり、彼女は話せばわかる方だったんだ。
「ありがとう、あなたと話せてよかったわ」
別れ際に、ブライアローズ様はそう言ってそっと私の頬へと触れた。
「また明日ここに来てもらえるかしら? あなたともっと話がしたいの」
「はい、光栄です!」
嬉しさに頬を上気させる私に、ブライアローズ様はくすりと笑った。