18 ふたりの舞踏会
その夜、私は一人宛がわれた部屋で悶々としていた。
ここは妖精女王の城の一室。
窓の外を覗けば、まるで楽園のような美しい光景が広がっている。
明るく輝く月に照らされる花園。
穏やかな風に揺れる夜の森。
……本当に、絵本の中の世界のようだ。
春の妖精だったらしい私の先祖も、ここにいたのだろうか。
……なんて考えていると、ついついセンチメンタルな気分になってしまいますね。
そんな時、不意に部屋の戸を叩く音が聞こえて私ははっとした。
「はい! どなたでしょうか!」
「アデリーナ、俺だ」
これは巷で流行っているオレオレ詐欺……ではなく、普通に王子がいらっしゃったようですね。
すぐに扉を開けると、そこには王子が一人で立っていた。
「少し、外を歩かないか?」
「え、でも……大丈夫でしょうか……」
「先ほどディアーネに許可は取った。この郷ではここ数十年事件らしい事件は起きていないから大丈夫だと言っていたぞ」
「まぁ……!」
確かに、見るからに平和な場所ですもんね。
このままここにいても思考のドツボにはまりそうだし、気分転換にお散歩するのもいいかもしれない。
「大丈夫、エスコートは任せてくれ」
そう言って王子は私に向かって優しく手を差し出す。
あぁ、そんな風に微笑まれたら……抗うことなんて、できるわけないじゃないですか。
「……はい、喜んで」
何度経験しても、こうやって彼の手を取る瞬間はドキドキしてしまう。
彼の温度に触れるたびに、私の心も熱くなるのを止められない。
はぁ……王子、本当に魅了の魔法とか使ってませんよね?
私たちが向かったのは、城の裏手にある木立だ。
月が明るいのに加えて、蛍のような光る虫が飛んでいたり、ところどころに淡い光を放つ花やキノコも生えている。
ふふ、これなら夜の散歩にも困らないですね。
「綺麗な景色ですね……」
「そうだな。女王が外部の者から守ろうとしているのも頷ける」
「昔、エラと一緒に読んだ絵本を思い出します。あの本にも、こんな風に綺麗な絵が載っていて」
「ほぉ、それはどんな話なんだ?」
「えっと……あまりよく覚えていないのですが――」
確か、主人公は一人の男の子だった。
煌々とした明かりと楽しげな音楽に誘われた男の子は、舞踏会が開かれている屋敷の庭へと迷い込む。
そこで、一人の女の子と出会うのだ。
仄かな明かりに照らされる庭園で始まる、たった二人の舞踏会。
素敵だったなぁ……。
「それで、最後はどうなるんだ?」
「それが……実は思い出せないんです。舞踏会のシーンばかり読んでいたからかもしれないですね」
少し恥ずかしくなりながらもそう言うと、王子はゆっくりと口を開いた。
「なら……」
向かい合うように、王子が私の前に立つ。
そして、恭しく礼をして私に手を差し出した。
「ここで私と踊っていただけますか?」
「えっ……!?」
まるで絵本の中のような光景に、思わず心臓が高鳴る。
あたふたする私を見て、王子はくすりと笑った。
「実際に体験してみれば、思い出すかもしれないだろう?」
「そ、そうでしょうか……」
「ほら」
一歩距離を詰めたかともうと、戸惑う私の手を取り、反対の手で腰を引き寄せられる。
そのまま、彼に誘われるように私の足はステップを踏み始めていた。
伴奏は木々を揺らす風の音、それに鳥や虫の声。
宮廷の優雅な音楽とは違う、夜の森のハーモニー。
それなのに何故か……自然と、体が動いてしまう。
視線を上げれば、真っすぐにこちらを見つめる優しい紫の瞳と目が合う。
……彼の美しい瞳に見つめられるだけで、私なんてすぐに身も心もとろけそうになってしまうのに。
昔は、こんな日が来るなんて考えたこともなかった。
こんな風に私の手を取ってくれる人が現れるとは思えなかったし、まさかそれが憧れの王子様だなんて!
……本当に、魔法にかかったみたい。
くるり、ふわりと二人の舞踏会は続いていく。
「そろそろ思い出したか?」
「いえ、なかなか思い出せなくて……」
あなたを見つめるのに夢中でそれどころじゃありませんでした……なんて本音を押し隠して、ぼそぼそとそう呟く。
すると、王子はからかうように笑った。
「なら、もう少し続けよう」
「……ふふ」
きっと、もう少しこの静かな舞踏会を続けたいと思っているのは二人とも同じで。
なんだか、それがとてつもなく嬉しかった。
……こうしていると、まるで周囲の花や木まで一緒に踊ってくれているような気分になってくる。
体が軽く、心が温かくなる。
「いつもより調子がいいみたいだな」
「観客がいないからでしょうか。やっぱり、見られていると思うと緊張してしまうんです」
「なるほど」
王子は納得したように頷くと、急にぐい、と私の体を引き寄せた。
「ひゃっ!?」
弾みで態勢を崩してしまったけど、私の体はそのまま王子の胸に受け止められた。
「おう――っ!」
文句を言おうと顔を上げると、思ったよりも間近に彼の顔が見えて思わず言葉に詰まってしまう。
ダイレクトに彼の吐息を感じてしまい、一気に頬が熱を帯びる。
「……俺だけを見ていればいい」
低い声でそう囁かれて、体全体に甘い痺れが走った。
「他の者など見る必要はない。君は、パートナーの俺だけを見ていればいいんだ」
真っすぐにこちらを見つめ、王子はそう告げた。
一見冷たいようで、その奥に確かな熱情を秘めた視線で見つめられ、そんなことを言われてしまったら……。
まるで魔法にかかったかのように、抗えなくなってしまうのです。
《奇跡の国》の王太子妃として私が皆に受け入れられることを望んでいる彼が、時折こうしてみせる矛盾した独占欲。
それが、心地よく感じてしまう私もかなりの末期ですね……。
不意にバサバサと羽音が聞こえた。
頭上を見上げると綺麗な色の鳥が巣に帰ってきたところだった。
巣には別の鳥が待っていて、嬉しそうに鳴いたかと思うと、二羽は愛情を示すかのように体を寄せ合っていた。
きっと、番の鳥なんでしょうね。
その微笑ましい光景を見ていると、心が温かくなる。
私と王子も、傍から見るとあんな風に見えているのでしょうか……。
「……俺たちもそろそろ戻ろうか」
「はい、王子」
視線を交わし合い、私は王子にエスコートされながら城へと足を踏み出した。
体を動かしたからか、それとも王子が傍にいてくださるからなのか……。
いつの間にか、心の中を占めていたもやもやは随分と薄らいでいた。