17 妖精女王ブライアローズ
今まで出会ったオベロン王やユール王は、最初からこちらに好意的だった。
だが、目の前の彼女は違う。
少しでも彼女の機嫌を損ねれば、羽虫のように叩き潰されてもおかしくはない。
そんな緊迫感が、一気に襲い掛かってくるようだった。
ディアーネさんも気圧されたかのように、表情をこわばらせ口をつぐんでしまう。
そんな彼女に妖精女王は初めて、ぞくりとするような笑みを浮かべた。
これはまずい……!
ディアーネさんが王子たちもここに連れてきてくれたのは、こちら側のわがままなのだから。
それで彼女が咎められるようなことがあってはいけない。
「……女王陛下。私がディアーネさんに無理を言って皆を連れてきたのです。責任はすべて私にあります」
じわじわと這いあがってくる恐怖を押し殺し、震えそうになりながらもそう口にする。
その途端、妖精女王の視線がこちらを向いた。
まるで獲物を見定めるかのような絶対的強者の視線に、ひゅっと喉が音をたてた。
だが――。
「…………ユーリディス?」
聞こえてきたのは、まるで何かに縋るような……弱弱しい声だった。
「ユーリディスなの? 私の下へ帰って来てくれたの……!?」
慌てたように、女王が玉座から立ち上がる。
そして、足をもつれさせながらこちらへ駆けだそうとした。
だがすぐにディアーネさんが私を守るように立ちはだかり、王子が警戒したように私を抱き寄せた。
「……女王、彼女は同胞ではあるがユーリディスではない」
「あ……」
ディアーネさんにそう言われ、妖精女王の瞳が失望の色に染まる。
なんだかその光景が悲しくて、胸が痛くなってしまう。
「……《奇跡の国》より参りました、アデリーナと申します。こちらの方々は、私の夫のアレクシス王子殿下、それに護衛の者です。女王陛下の気分を害してしまい大変申し訳ございませんが、郷の妖精を攻撃したり、秩序を乱す意図はないことを申し上げます」
なんとか胸を張って、私はそう告げた。
だが妖精女王は、冷たい目で王子やついて来てくれた皆を見据えている。
「人間の滞在を許すことはできないわ。同胞以外は即刻立ち去りなさい」
「あなたの憂慮も理解するが、もう少し話を聞いてはいただけないだろうか」
妖精女王の威圧に負けることなくそう口にした王子にも、女王は態度を変えなかった。
「二言はないわ。力づくで排除されたくなければ今すぐ去りなさい」
「……ならば、愛する妻一人をここに残していくことはできない。ここを去るのならばアデリーナも共にだ」
まずい、さっそく交渉決裂の気配が……!
せっかく掴んだチャンスなのだから、なんとか滞在を許してもらわないと……!
「お願いします、女王陛下……! ここにいる者たちは決して、妖精女王や眷属の皆さまを傷つけることはいたしません! だから、ほんの少しでも構わないので話を聞いていただけないでしょうか……!」
必死に言い縋る私に、妖精女王が視線を向ける。
その瞬間、氷のように冷めきっていた視線が確かに揺らめいたのがわかった。
彼女は何か言おうと口を開き……結局何も言うことはなく顔をそむけた。
その表情には、悲しみや憂い、それに迷いの感情が見て取れる。
「……あなたは、その人間たちを信じているの?」
ぽつりと妖精女王が零した言葉に、私は必死に頷いた。
「はい……! 何度も何度も、私を助けてくださいました。彼らが信頼に値する人間であることは、私が保証いたします」
その言葉を聞いて、妖精女王は思案するように目を閉じた。
「そう…………」
長い沈黙の後、祈るように女王の裁定を待つ私の前で、彼女はそっと口を開く。
「確かにあなたは私たちの同胞。人間を連れてきたことは掟に違反するけれど、あなたの熱意に免じて……春の妖精女王ブライアローズの名において、一時的に滞在を許しましょう」
そう言うと、女王は静かにため息をついた。
「私は少し疲れたわ。詳しい話は明日にしましょう」
すぐに女王のお世話係と思われる妖精が何人かすっ飛んできて、彼女と共に奥へと下がってしまった。
……ふぅ、肝心な話は何一つできなかったけど、とりあえず滞在を許してもらっただけ一歩前進かな?
「やっべー、めっちゃ緊張したわ」
「妖精女王……一筋縄ではいかない相手のようですね」
そんなことを話しているゴードン卿とダンフォース卿に、私は全力で同意したい気分だった。
確かに、思った以上の存在だった。
あらためてあの御方を説得できるのか、ますます自信がなくなりますね……。
「あまり意識しなかったけど、妖精王ってとんでもない存在なんですね。王子は……あれ?」
何となく話しかけた王子は、じっと妖精女王の消えた先を見つめている。
「王子……?」
おそるおそるもう一度呼びかけると、彼は何でもないとでもいうように静かに首を横に振った。
「どうかなさいましたか?」
「いや……なかなか骨が折れそうだと思ってな」
「本当ですね。あの様子だと、話をするだけでも大変そうです」
「あぁ……アデリーナ。念のため言っておくが、あまり妖精女王の説得に固執するのはやめておいた方がいい。……彼女は他の妖精王に比べると危うい。逆に刺激して、世界中に災厄をばらまくような羽目になれば元も子もないからな」
「ひぇっ……そ、そうですね……」
妖精王はいにしえの時代から人間たちを守ってくれている有難い存在だ。
でも、夏の妖精王であるオベロン王は祝福は呪いにもなり得ると仰っていた。
春の妖精女王――ブライアローズ様も、あれだけ強大な力を持っているのだ。
交渉は大事だけど、決して怒らせるようなことがないようにしなければ。