16 春の妖精の郷
さてさて次はどんな恐ろしいトラップが……とビクビクしていたけれど、茨の壁の向こうはまるで別世界だった。
「わぁ、綺麗ですね……」
「まるで楽園だな」
先ほどまで周囲を覆っていた深い霧は姿を消し、王子の言うように楽園のような景色が広がっている。
美しい緑の大地がどこまでも続き、足元には様々な花が咲き誇っている。
空は青く澄み渡り、ちょうど頭上を綺麗な鳥が歌いながら飛んでいくところだった。
前に訪れた夏の妖精王――オベロン王の郷によく似ているけど、なんていうかあそこよりも空気が穏やかだ。
まさに春の楽園。
ごろりと草花が生い茂る地面に背を預け、思わずうたた寝したくなるような……そんなのどかな空気が漂う場所だった。
「……変わりはないようだな」
無事に故郷について安堵したのか、ディアーネさんも心なしか穏やかな表情をしていた。
「ここには長い間外部からの人間が訪れていない。郷の民に見つかり騒ぎになったら厄介だ。ついたばかりで済まないが、女王の居城へ行こう」
そう言ってディアーネさんが指さしたのは、ずっと向こうの湖の小島に位置する美しい城だった。
あれが、妖精女王の城……。
絵本の中のおとぎ話に出てきそうなくらい美しく牧歌的なお城と……ここに来る道中で目にした、侵入者を絶対に許さない深い霧と茨の壁。
……そのどちらが、女王の真の姿なのだろうか。
いいや、きっとどちらも妖精女王の持つ顔なのだろう。
冬の妖精王であるユール様は、妖精女王のことを「すべての生あるものに祝福を与える慈愛の妖精」と言っていた。
だがそんな彼女も、愛娘の死によって豹変してしまったのだろう。
「……大丈夫だアデリーナ。俺がついている」
考え込む私をどう思ったのか、王子が肩を抱き寄せながらそう元気づけてくれる。
……そうですよね、私は一人じゃない。
だから、頑張れるんだ。
「どこまでもお供します、妃殿下」
「あはは、特別ボーナスは妃殿下お手製のケーキでお願いします!」
「あっ、ずるい! 僕も食べたいです!」
大真面目なダンフォース卿に、ちゃっかりしたゴードン卿に、食べ物の話になると必死なロビン。
……みんな、私と一緒に来てくれてありがとう。
うまくいくかどうかは自信がないけど、できれば良い成果を持って帰りたい。
お城で待っている人のためにも、今もどこかで寒さに凍える人たちのためにも。
そうして長い道のりを越えて、私たちは妖精女王のいらっしゃる玉座の間の前までたどり着いた。
「……女王の命により、外界に取り残された同胞を連れて帰って来た。女王に謁見を」
ディアーネさんがそう言うと、見張りの者は怪しむこともなく扉を開けてくれる。
私は覚悟を決めて、玉座の間へと足を踏み入れた。
まるで神殿のように、白い柱が立ち並ぶ美しく荘厳な空間だ。
果たして妖精女王はそこにいた。
長い間姿を見せず、他者を拒絶し続けている悲劇の女王――。
初めて相まみえるその存在に、思わず息をのんでしまう。
まるで春に咲き乱れる花のように豊かな薄紅色の髪。
溢れんばかりの生命力を感じさせるみずみずしい肌。
オベロン王やユール王と同じく、古くから大地を、人々を守ってきた存在だとは思えないほど若々しく見える。
だが……その表情はまるで作り物の人形のように無表情だ。
彼女はじっとやって来た私たちを見て、ゆっくりと口を開く。
「……ディアーネ。私は外界に取り残された同胞を保護しろと命じたはずよ。なぜ何人もの人間が、ずかずかと私の領域に入り込んでいるのかしら」
それは、まるでこの郷を守る茨のように刺々しい言葉だった。
歓迎されていないのは、その一言で明らかだった。
「女王、この者たちは同胞の――」
「なぜ、人間を連れてきたの」
その一言で、空気が震えた。
妖精女王は玉座に腰を下ろしたままで、一歩たりとも動いていない。
それなのに……まるで肌を刺すような、底知れない威圧感に息がつまるような気がした。
その時初めて、私は「妖精王」の強大さを、人智を超えた存在であることを思い知ったのかもしれない。