10 悪い方ではなさそうですね
「と、とりあえずディアーネさんに聞いてみないと、一緒に行けるかどうかわかりませんし……」
もごもごとそう口にすると、王子は私の手を取って歩き出した。
「ならさっさと確認しよう。確か彼女は、外にいると言っていたな」
「はっ、はい!」
王子に手を引かれ、私も慌てて歩き出す。
「確か必要な時は呼んでほしいと言ってましたけど……あっ」
私も一応王太子妃だし、大声を張り上げて名前を呼ぶのはちょっと気が引けるな……なんて考えていたけど、どうやら杞憂だったようだ。
私の視線の先には、私の大好きな牧場がある。
果たしてディアーネさんはそこにいた。
彼女は、何故か羊の群れに囲まれていた。
「メェ~」
「ンメェ~」
羊さんたちは好き勝手にディアーネさんの服をはむはむしたり、まるで話しかけるように鳴いている。
ディアーネさんは嫌がるでもなく、じっと羊たちを見つめている。
「な、何をしていらっしゃるのでしょう……?」
「さぁな……?」
私と王子は二人で困惑しながらその光景を眺めていた。
すると――。
「フェ~」
向こうからトコトコとやって来るのは、可愛い可愛いアルパカのペコリーナだ。
「フーン」
見慣れない人物に興味を持ったのか、ペコリーナはディアーネさんに近づいていく。
ディアーネさんもペコリーナの方を見つめ、至近距離で一人と一匹は見つめ合った。
そして――。
「……そなたは、良き主に巡り合えたのだな」
「フェ~」
ディアーネさんはそっと微笑んで、ペコリーナのモコモコを撫でた。
ペコリーナも嬉しそうにディアーネさんに撫でられている。
そんな平和な光景を見ていると、胸がほっこりしますね。
「……ペコリーナが懐くなら、悪い方ではなさそうですね」
ペコリーナはああ見えて、人を見る目があるのだ。
だから、きっとディアーネさんは私たちを悪いようにはしないだろう。
そう確信し、私は彼女に近づいた。
「ディアーネさん、ここにいらっしゃったのですね」
声をかけると、ディアーネさんがこちらを振り返る。
あぁ、お召し物が羊の唾液でべとべとに……時間があれば洗濯をして差し上げたい。
「……アデリーナ、心は決まったのか」
「はい」
ディアーネさんに向かって、しっかりと頷いてみせる。
「私を、春の妖精の郷へ連れて行ってください」
「……承知した。必ずや、あなたを女王の下へ連れて行こう」
「あの、それと――」
「俺も同行する。問題はないな?」
王子がそう口にすると、ディアーネさんは驚いたように目を瞬かせた。
だが、すぐに表情を引き締め言い放つ。
「それはできない」
彼女の返答に、王子は少しだけ険しい表情で問い返す。
「……できないとはどういうことか、聞かせてもらおうか」
「女王が保護を命じられたのは外に取り残された同胞のみだ。他の人間を連れて行くわけにはいかない」
「俺はアデリーナの夫だ……話を聞く限り、妖精女王も貴殿も同胞を思う心が強いとみえる。ならば誰よりも大切な妻を、一人で遠く離れた地へ行かせるわけにはいかない俺の心もわかるはずだろう」
冷静にそう言ってのけた王子に、私は感心してしまった。
てっきり同行を拒否されたら怒るかと思っていたのに……さすがはアレクシス王子殿下。
こういう時の交渉も手慣れたものなのですね。
でも、「誰よりも大切な妻」かぁ……。
ディアーネさんを説得するための大げさな表現だってことはわかるけど……それでも、きっと私はその言葉を生涯忘れることはないのだろう。
大切な宝物として、胸の中に仕舞っておかせてくださいね。
「……つまり、あなたたちは『番』ということか?」
「あぁ、そうだ」
「ふむ……」
ディアーネさんは考え込むように黙り込み、順番に私と王子に視線を向ける。
そして……すぐに小さく口を開いた。
「……承知した。最終的な判断は女王が下すことになるが、あなたも郷へ導こう」
ディアーネさんがそう言ってくれたので、私はほっとした。
そうですよね。人間も妖精も、大切な相手を想う気持ちは同じですもんね……。
冬の妖精王ユール様の話だと、春の妖精女王は大切な娘を人間に奪われ、殺されたことで心を閉ざしてしまったという。
だから、他の妖精たちが同じ目に遭わないように郷を閉じたのだとも。
それだけ優しい心を持った方なのだから、少なくともまったく話を聞いてもらえないということはないだろう。
「ありがとうございます、ディアーネさん」
微笑んでお礼を言うと、何故かディアーネさんはじっと私を見つめ……少しだけ、切なそうな顔をした。
「……あなたたちは必ず私が無事に女王の元まで送り届ける」
ディアーネさんは力強くそう言ってくれた。
でもその態度に……どこか女王の命令以上の『感傷』のようなものを感じたのは、私の気のせいかしら?