4 王子様、頭を悩ませる
「王子殿下、来期の近隣諸国との会合の件ですが――」
「祝花祭の予算の修正について承認願います」
「市中の警備の態勢については――」
次から次へとやってくる仕事の山に、俺はため息をつきたくなるのをなんとか堪えた。
先ほど離宮で、アデリーナと甘い時間を過ごし英気を養ってきたはずが……早くもアデリーナ不足になってきてしまった。
執務机の上に飾られているアデリーナから贈られた6分の1サイズのペコリーナと視線を合わせ、渋々書類に目を通す。
アデリーナは最初、無理やり結婚し妃にしてしまったこともあって、自らの「王太子妃」という立場を受け入れ切れていないようだった。
それに関しては全面的に俺が悪い自覚がある。だから彼女が望まないのなら、できるだけ表舞台に立つような公務は控えさせようと思っていた……しかし、様々な経験を通して彼女の考えは変わったようだ。
少し前に、彼女は真剣な目で話してくれた。叶えたい夢ができたのだと。
まるで、絵本の中のおとぎ話のように。
人間や魔法使い、それに妖精や幻獣も分け隔てなく暮らせる世界を作りたいと。
滑稽な夢物語だと、笑う者もいるかもしれない。
だが、彼女は本気だ。だったら、俺も全力で彼女の夢を応援したい。
アデリーナは夢に向かって必死に頑張っている。夢の第一歩として、皆に信頼される立派な王太子妃になろうと前を向いている。
ならば、俺が情けなく音を上げるわけにはいかない。
この国の未来を担う王太子として……いや、それ以上に、アデリーナの夫として恥ずかしくない存在でありたい。
まずは、この書類の山に真剣に向き合うことから始めなければ。
気持ちを切り替え書類をさばき……しばらく時間が経った頃だった。
「お時間よろしいでしょうか、王子殿下」
不意に、秘書官のコンラートが声をかけてくる。
俺が集中している時に、こいつがこんな風に声をかけてくることは珍しい。
……何か、執務を中断してでも言いたいことがあるのだろうか。
「北方の国から珍しい贈り物が届きました。是非ご覧になっていただきたいのですが」
……通常であれば、そのくらいのことは適当な空き時間に口頭報告で済ませるはずだ。
ということは、やはり何か重要な話があるのだろう。
それも、人には聞かれたくはないような。
「あぁ、見せてもらおうか」
「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」
ごく自然に俺を執務室から連れ出したコンラートは、人目を避けるようにして無人の一室へと誘う。
そして部屋に入ると、即座に鍵をかけた。
「ずいぶんと厳重だな」
「そりゃあ、誰にも聞かれたくないですからね」
小さくため息をついたコンラートは、一秒でも時間が惜しいというように本題に入った。
「先ほどの話、北方諸国の一つから贈り物と親書が届いたのは事実です。贈り物については何の変哲もない物でしたが……問題は親書の方ですね」
そう言って差し出された親書に、警戒しながらも目を通す。
特に差し迫った問題が起こったわけでもない、ただ儀礼的に近況を尋ねるもののようにも見えるが――。
――『アレクシス王子殿下におかれましては、まもなく結婚一周年を迎えられるとのこと、誠に喜ばしい限りです。妃殿下は春風のように暖かで慈愛溢れる御方だとお伺いいたしました。寒空の下で凍える我らもその恩恵にあやかりたいものです。是非とも、一度我が国にお越しいただき――』
「ちっ」
しらじらしい文言に、思わず舌打ちが漏れてしまう。
いつもなら「行儀が悪い」とたしなめるコンラートも、今だけは何も言わなかった。
「……やはり、漏れてますね」
「漏れてるな」
「まったく、人の口に戸は立てられませんね」
ため息をつくコンラートに、俺は無言で同意した。
今すぐに親書を破り捨てたくなる衝動を、懸命に堪える。
……俺の妃であるアデリーナには、不思議な魔法の力が宿っている。
無意識に自分や他人の記憶や認識を書き換えたりするその力は、どうやら魔法使いの中でも特殊な部類にあたるようだ。
だが、それだけならゆっくりと時間をかけて、彼女が制御できるようになるのを待てばよかった。
問題は、つい最近発覚したもう一つの魔法の力だ。
――「芽吹きの季節を、迎えましょう」
アデリーナは本来妖精しか使えないはずの、「春を呼ぶ魔法」を使ってみせたのだ。
彼女はその力で一つの国を救った。
だが、元々人の身にはそぐわない力だったのだろう。
その代償として、一時は生死の境を彷徨うほど衰弱してしまったのだ。
いや……冬の妖精王の助力がなければ、きっと死んでいただろう。
春の妖精王とその眷属が地上から姿を消した今、「春呼び」を行える者は希少な存在だ。
終わらない冬が続く「常冬現象」の脅威に怯える国からすれば、人為的に春を呼ぶことができるアデリーナは喉から手が出るほど欲しい存在だろう。
だから、俺はアデリーナの能力については他国に漏れないように、秘密裏に緘口令を敷いた。
だが、おそらくアデリーナが救った「深雪の国」に事情を察する者がいて、そこから情報が漏れてしまったのだろう
この親書の送り主も、「深雪の国」が位置する北方の国々の一つだ。
アデリーナの力が欲しい。何とかして自分たちの国でも「春呼び」を行ってほしいと考えるのはわかるが――。
「だからといって、アデリーナを危険に晒すわけにはいかない」
俺はアデリーナのように、生きとし生けるものすべてに優しくできるわけじゃない。
他国のために、彼女が自らの命を危険に晒すことなど許すことはできないのだ。
だが、アデリーナは違うだろう。
彼女は救いを求める者がいると知れば、危険を顧みずに、救おうとするに違いない。
だから、彼女に知られるわけにはいかない。
俺はアデリーナを失いたくはない。なんとしてでも、守り抜かなくては。
「……返事は適当に書いておいてくれ。もちろん、何も理解していない体で」
「承知いたしました」
「それと……念のため離宮周辺の警備の増強を」
「祝花祭の準備が始まれば、どうしても出入りする者の数は増えますからね。人間追い詰められればどんな手に出るかわかったものじゃない。念には念を入れて、妃殿下をお守りしましょう」
部屋を出ると、扉の前で周囲を見張っていた俺の護衛騎士のゴードンが不快そうに呟いた。
「……なんとなく、あちこちに嫌な気配がありますね。ドブネズミが這いまわるような」
「見つけたら即座に叩き潰せ。アデリーナには悟られないようにな」
「りょーかい」
いつもヘラヘラとした態度を崩さないゴードンだが、その目は警戒の色に染まっている。
やはり、確実に危険は近づいてきているのだろう。
「まったく、春の妖精王は何を考えているのやら……」
窓の外に視線を向けると、今の俺の気分を反映したかのような曇天が広がっている。
二度と暖かな春などやってこないと錯覚させるような、そんな重苦しい空模様に……ますます気分が下降する。
……アデリーナに会いたい。
彼女が春を呼ぶ力を持っていようが持っていまいが、俺にとってはどうでもいいのだ。
彼女が笑顔を見せてくれるだけで、俺の心は温かく晴れ渡るのだから。