17 王子様、公爵夫人に呼び止められる
「殿下、次の宰相閣下との定例食事会ですが……是非、妃殿下もお越し頂ければ、との言伝が」
「あぁ、わかった」
先の歓迎の宴に妃が姿を現してから、こういった誘いが一気に増えた。
俺の方から「彼女はまだ宮廷に慣れていないので、そっとしておいて欲しい」と伝えていたせいか、今までは静観していたようだ。
だが、歓迎の宴に現れた彼女は、俺の想定以上に王太子妃としての役目を果たしてくれた。
博識で心優しい妃に、南の国の大使はすっかり機嫌を良くして帰国していった。
ちょうどかの国の王より「新婚旅行だとでも思い、是非噂の妃共々我が国へお越しいただきたい」との親書も届いたところだ。
今や我先に話題の妃と親交を結ばんと、多くの者が列をなしている状態である。
離宮の侍女からの報告では、彼女をお茶会に招く招待状も日に日に増えているそうだ。
さすがにそのすべてに応えることはできないが、彼女は律義に重要人物からの招待には応じているという。
……無理は、していないだろうか。
あまりそんな風には見えないが、彼女自身は社交が苦手だと言っていた。
宴の場でも、最初は不安そうにそわそわしていたものだ。
俺が妃の姿を思い浮かべようとすると、真っ先に出てくるのは鼻歌を歌いながらアルパカと戯れる姿や、一心不乱にパンの生地をこねる姿だ。
きっと、あれが彼女の自然体の姿なのだろう。
公の場で自身の姿を取り繕うことの難しさは、俺も身に染みて承知している。
あまり無理をさせすぎないように、俺が気を配らねば……と考えながら、回廊を歩いていた時だった。
向こうから見知った姿がこちらに向かって歩いてくるのが見え、声を掛ける。
「これはラグラス公爵夫人、お久しぶりです」
「アレクシス王子殿下、ご機嫌麗しゅう」
優雅に微笑むその女性は、俺もよく知る公爵夫人だった。
王家の縁戚でもあり、俺も幼い頃から何度となく彼女には世話になっている自覚がある。
そのせいか、今でも彼女に対しては頭が上がらない。
公爵夫人は意味ありげに目配せすると、一歩こちらに近づいた。
「そういえば殿下、昨日……アデリーナ妃をわたくしの主催するお茶会にお招きいたしましたの」
「……! 彼女は、どんな様子でしたでしょうか」
わざわざ俺にそのことを伝えに来たということは、まさか……何か不手際が――。
思わず身構えると、公爵夫人は扇で口元を隠しながらもおかしそうに笑った。
「ふふ。夢見がちなあなたの選んだ女性と聞いて、どんな女性かと思いきや……随分と、おもしろいレディを見つけられたものですね」
「その、おもしろい……とは?」
「あのように作物の生育方法や調理方法に詳しいレディには初めてお目にかかりましたわ。……まるで、自分で経験しているかのように詳しいんですもの」
公爵夫人の目がすっと細められる。
まるで、「何故そんな女を選んだのか」と俺を糾弾するかのように。
彼女は社交界の影の支配者。絶大な影響力を持つ貴婦人だ。
たとえ王太子妃という地位にあろうとも、彼女の顰蹙を買えば、今後社交界では針の筵のような状態に陥ることは想像に難くない。
……ここでの俺の返答次第で、今後のアウレリアーナの運命が決まると言っても過言ではないのだ。
息を吸い、真っすぐに公爵夫人と視線を合わせる。
確かに、アウレリアーナは変わった娘だ。
だが、彼女は恥じるような行いは何もしていない。
だから、俺は全力で彼女を肯定しようではないか。
「えぇ、彼女は離宮の傍に畑や牧場を作り、積極的に足を運んでおります。彼女はいずれ王妃となるべき存在であり、王妃とは国の象徴、国母となる存在です。視野を広く持ち、自ら民草の苦労を知ろうとする彼女を……私は誇りに思います」
口から出てきた言葉は、偽りのない本心だ。
王太子である俺が妃を尊重するのなら、公爵夫人もそこまであからさまにアウレリアーナを冷遇はできないだろう。
それでもアウレリアーナを失脚させようとするのなら……俺も共に沈もうではないか。
公爵夫人はじっと感情の読めない瞳で俺を見つめた後……ふっと表情を緩めた。
「……知らない間に、随分と成長されましたね。王子殿下」
「あなたにそう言っていただけるとは光栄だ」
「正直私は、夢見がちなあなたのこと……見た目だけで頭の中は空っぽな女性を選ぶのではないかと危惧しておりました」
「正直すぎです、公爵夫人」
「……あんなレディは滅多におりません。決して、彼女の手を離してはなりませんよ」
それだけ言うと、彼女は優雅にお辞儀をして驚く俺の元から去っていった。
今の言葉から考えると……公爵夫人はアウレリアーナを認めてくれたようだ。
初めに糾弾するような言い方をしたのも、俺の出方を試したのだろう。
そして俺とアウレリアーナは、どうやら彼女のお眼鏡にかなったようだ。
そう思うと、安堵と共に歓喜が胸の奥から湧いてくる。
急に、アウレリアーナに会いたくなった。
◇◇◇
「あああぁぁぁもう終わりよ絶対変に思われたわ穴があったら入りたい」
「落ち着いてください、妃殿下……!」
「だって、緊張しすぎて余計なことばっかり話してしまったのよ!? トマトを収穫するタイミングとお勧めトマト料理なんて、公爵夫人が聞いて面白いと思うはずがないわ! あぁ、なんで私はあんなこと言っちゃったのかしら……。今すぐ海の底に沈んで貝になりたい」
離宮を訪ねると、アウレリアーナは盛大に取り乱しているようだった。
そんな彼女を専属騎士のダンフォースやお付きの侍女たちが必死に宥めている。
俺が近づくと、彼女は蒼白な顔で振り返った。
「お、王子……あの、私……」
「先ほど、ラグラズ公爵夫人に会った」
「!!!?」
まるでこの世の終わりのような顔をした妃に近づき、そっと囁く。
「夫人は、君のことをとても気に入ったようだ。トマトの生育方法や調理方法に詳しい、君のことを」
「え…………?」
「無理をして自分を偽る必要はない。君は……自然体のままが一番魅力的だ」
思ったままそう告げると、彼女はトマトのように頬を赤く染めた。
その様子に、らしくもなく気分が高揚するのを感じる。
だが――。
「……ダンフォース卿と、同じことをおっしゃるのですね」
そんな妃の言葉に、思わずダンフォースを睨みつけてしまった。
……彼女の夫はこの俺なのに、ダンフォースの二番煎じのようになってしまったのは誠に遺憾である。