21 王子様、違和感を覚える(1)
――「王子、王子……」
誰かの、呼び声が聞こえる。
――「そろそろ、目を開けてください。みんな待ってますよ?」
あぁ、君も待っていてくれたのか。
ならば、早く目覚めなければならないな。
重いまぶたを開くと、そこには――。
「王子~、よがっだぁ~!!」
「うぷっ!」
いきなり何か虫のような物が顔面に張り付いてきて、反射的にはたき落としそうになってしまった。
だが直前で踏みとどまり、努めて冷静にべりっとその物体を引きはがす。
「……ロビン、いきなり飛びついてこられると苦しいんだが」
「ヴァ~、王子ぃ~」
ずびずびと泣くロビンが、俺の襟元に顔を押し付け盛大に鼻をかんでいる。
……後で着替えなくては。
目覚めて早々のやかましい歓迎にため息をつきながら、俺は周囲を見回した。
「王子、よかった……」
「王子が目覚めなかったら俺たちクビになるかと思いましたよ」
「クビどころか本当に首と胴体が離れる可能性もありましたからね」
「「アハハハハ!」」
コンラート、ゴードン、ダンフォース……たいしておもしろくもない冗談で笑い転げているところを見ると、睡眠不足でハイになっているのかもしれない。
順に三人の顔を見回し……不意に強烈な物足りなさを感じ、俺は首を傾げた。
……何かが足りない。俺が目覚めたら、真っ先に迎えてくれるはずの誰かが……。
いや……そんな人間はいない。いない、はずだが……。
まるで心にぽっかり穴が開いてしまったかのような虚無感が消えない。
俺は、いったい誰のことを考えている? 目覚める直前に、俺を呼んだのは誰だ?
強烈な違和感を覚えながら、俺はゆっくりと上体を起こした。
「……とりあえず、状況を説明してくれ」
そう言うと、ゲラゲラ笑っていたコンラートが慌てたように佇まいを直す。
「失礼いたしました。王子はセオドラ王女に刺された拍子に呪いを受け、二日ほど昏睡状態だったんです。ダンフォースが雪原に住むという魔女と交渉し、解呪薬を貰って来たので無事目覚めることができた……というところですね」
「そうか……大儀だったな、ダンフォース」
「いいえ、当然のことです、王子殿下」
「よく恐ろしい魔女の元から無事に戻ってこられましたね」
「それが……あまりよく覚えていないのです。魔女の棲家を見つけたと思ったら、気が付いたら解呪薬を手に雪原に立っていて。キツネに化かされたのではないかと疑ってしまうほどです」
「まぁ、なんにせよ王子が目覚めたんだからよかったじゃん! いやぁ、でもまさかセオドラ王女に刺されるなんて王子もツイてないですね~」
「輿入れを断ったら刺すとは……実に恐ろしい。こちらも王子の最初の妃ということで相手には慎重になっているのに、これだから世間知らずのお姫様は……」
目の前で繰り広げられる会話を聞いていると、断片的に記憶が蘇ってくる。
そうだ。俺たちは《奇跡の国》と《深雪の国》――二国の友好のためにここへやって来て、セオドラ王女から輿入れの申し出をされたのだった。
だが現在俺は独身で、最初に迎える妃は実質正妃――次期王妃となるのだ。
輿入れを申し出られても、そうやすやすと受け入れるわけにはいかない。
だというのに、何度断ってもしつこく迫って来て、挙句の果てに強い呪いを引き起こすナイフで刺してくるとは……なんて末恐ろしいお姫様だ。
「…………ん?」
その時のことを思い出そうとして……またしても強烈な違和感が胸に湧き上がってきた。
あの時、セオドラ王女がナイフを手に立っていて、俺は……素直に刺されたのだろうか。
……何か、大事なことを忘れているような気がしてならない。
額に手を当てると、コンラートが心配そうに声をかけてくる。
「王子、どこか痛みますか?」
「いや……大丈夫だ」
「こうなったら二国の友好どころじゃありません。準備ができ次第さっさと帰国しましょう」
「そうだな……」
そう相槌を打ちながらも、俺は正体のわからない焦燥感を覚えていた。
このまま帰ってもいいのか? 何か、大事なことを置き去りにしてはいないか……?
顔を上げ、もう一度部屋を見回す。コンラート、ゴードン、ダンフォース、ロビン……やはり、誰かが足りないような気がしてならない。
だが、考えれば考えるほどその正体がわからなくなってしまう。
まるで、近づけば逃げる蜃気楼のように。
騒動の発端となったセオドラ王女は、ショックで気が触れてしまったのか、相変わらず何やら訳の分からないことを喚いているらしい。
別に、彼女の動機や背景になど興味はない。
準備ができ次第帰路につくとのことで、俺は宛てがわれた部屋で静かに荷物をまとめていた。
誰かに任せることもできたが、俺はこういうことは自分で準備をしたい派だ。
そう話すと彼女は「私も同じです」と笑って――。
「……彼女?」
……まただ。一瞬だけ頭に誰かの顔が浮かんだのに、すぐに幻のように消えてしまった。
「くそっ、なんなんだ……!?」
脳裏をかすめる誰かの面影。手を伸ばしても届かなくて、それが歯がゆくてたまらない。
思わずサイドテーブルに拳を叩きつけると、何やらチャリ……と涼しげな音が聞こえた。
「なんだこれは……」