17 雪原の魔女(2)
足を踏み入れた塔の中はそう広いとは言えなかった。一階部分には中央に大きな木製のテーブルが置かれており、向かい合うように一対の椅子が配置されている。
壁にはいくつもの薬草が吊るしてあり、不思議な香りを漂わせていた。
部屋の隅からは上階への階段が伸びている。一階には調理をしたり寝るスペースがなかったので、もしかしたら二階より上にあるのかもしれない。
……なんてことを考えつつも、私は少女の後について進んでいく。
少女は慣れた仕草で椅子に腰かけようとして……少しだけ困ったように眉根を寄せた。
「……まさかこんなにお客様が来るなんて思っていなかったから、椅子が足りないわ」
「私は立ったままで構いません。妃殿下、どうぞお掛けください」
「ありがとう、ダンフォース卿」
ダンフォース卿が椅子を譲ってくれたので、わざわざ断るのも気が引けて私は素直に目の前の椅子に腰かけた。
少女は私の向かいの椅子に腰を下ろした。
そして、澄んだ瞳で私たちを見つめ、口を開く。
「……それで、わざわざこんな辺鄙な場所まで何をしに来たのかしら。こんなところに来るのなんて、よほどの命知らずの物好きだけよ」
歌うような声で、雪原の魔女はそう言った。
見た目は幼い少女その者なのに、その声色からはどこか老獪な空気を感じずにはいられない。
彼女は笑っているのに……そこはかとない威圧感がぴしぴしと肌を刺すような気がした。
……まかり間違っても、子ども相手だと侮ってはいけないだろう。
気圧されそうになりながらも、私は気を落ち着けるように息を吸ってから口を開く。
「……お話を聞いていただき感謝いたします。わたくしは、《奇跡の国》の王太子妃のアデリーナと申します」
「王太子妃? そんなお偉い様が私に何の用かしら? 誰かこっそり暗殺したい相手でもいるの? いいえ……それなら自分でやってるわよね。だって、あなたも魔女でしょう?」
雪原の魔女はそう言って意地悪く笑う。
その言葉に呼応するように傍らのダンフォース卿が警戒を強めたのがわかったけど、私は必死に「抑えて」と目配せした。
「……えぇ。お察しの通り、私も少々特別な魔力を持っていると言われております」
「それでよく王太子妃になんてなれたわね。その場で殺されてもおかしくはないのに」
「……はい。皆に支えられて、今日までやってこれました。しかし、私の手には余る事態が起こったためあなたの力をお借りしたいのです」
そう言うと、私はずっと握り締めていた青の指輪をテーブルの上に置いた。
「この指輪は、あなたが作ったものではないでしょうか」
「へぇ……?」
雪原の魔女は興味なさそうに指輪を摘まみ上げ、しげしげと眺めた。
「……覚えはないけど、確かに私と同じ魔力を感じるわ。適当に造って日銭稼ぎに市場に流したものかもしれないわね」
その他人事のような言い方に、思わず怒鳴りたくなるのをぐっと堪える。
駄目だ、ここで彼女の機嫌を損ねたら何もかもが終わってしまう。
憤りを抑え、私は努めて冷静に続けた。
「この指輪を身につけた者が氷のナイフを出現させ、別の者――《奇跡の国》の王太子を刺しました。刺された方は大した傷を負っていないにも関わらず、いまだに目を覚ましていません」
「へぇ……それで?」
雪原の魔女は冷たい笑みを浮かべている。まるで「お前たちの事情になど興味はない」とでもいうように。
私は知らず知らずのうちに、手に汗を握っていた。
……目の前にいるのは、本物の魔女なのだ。
今までに出会った魔法使い……ヒューバートさんやヒルダ姉さん、城の魔術師さんたちは、それなりに社会に溶け込みうまくやっていた。
だが、目の前の女性はそうじゃない。
おとぎ話に出てくる魔女のように人里離れた場所に住み、自らの作り出した呪いの道具が人を傷つけたと知っても、素知らぬ顔で笑っていられるのだ。
得体の知れない相手への恐怖に飲まれそうになりながらも、私は何とか息を吸って気持ちを落ち着けようとした。
……私は王子を助けるためにここにやってきた。
王子を救うためならば、どんなことでもやってみせる心積もりはあるのだ。
「……どうか、王子――刺されて目覚めない方を助けていただきたいのです。彼が目覚めないのはおそらく指輪に込められた呪いのせいではないかと思われます。どうか、その呪いを解いていただけないでしょうか……!」
私は必死に頭を下げた。
雪原の魔女はそんな私には興味なさそうに、手に取った指輪をくるくる弄んでいる。
「呪い、ね……」
雪原の魔女がくすくすと笑う。
まるで幼い少女のような、無邪気な笑い声だった。
「これは、込められた氷の魔力でちょっとした願望を叶える作用を持つ指輪よ。氷の彫刻とか、氷の花とか、そういった綺麗なものを出すかと思ったら……まさか、誰かを刺すナイフだなんて! 人間は本当に愚かね……!」
彼女の視線がこちらへ向けられる。
息をのむ私たちを見て、彼女は意地悪く口角を上げた。
「しかも刺されて目覚めないなんて、よっぽど強い殺意があったのね。どんな恨みを買っていたの?」
「……彼は、私を庇って刺されたのです。彼自身には何も瑕疵はありません」
「へぇ、他人を庇って刺されるなんて……救いようのないお馬鹿さんね」
彼女は嘲るようにそう口にすると、小さくため息をついた。
「それで……私が呪いを解いたら、あなたたちは何を対価に差し出すの?」
「対価、ですか……?」
「まさか、タダで解呪してもらえるなんて甘っちょろいこと考えてるんじゃないでしょうね?」
「……お金なら、いくらでもお支払いいたします。他にも、私に差し出せるものならなんでも」
身に着けているアクセサリーを、一つ一つ外してテーブルへと置いていく。
あまり大ぶりの宝石がついている物は持っていなかったけど、腐っても私は王太子妃。
身に着けている物はすべて一級品だ。売り払えば、相当な金額になるだろう。
「お望みとあらば、今着ているドレスもお渡しいたします」
勢い余ってドレスを脱ごうとすると、さすがにダンフォース卿に止められてしまった。
雪原の魔女も、驚いたように声を荒げる。
「別にそこまでしろとは言ってないわ! ……わかった。この宝石は全部貰うからね!」
雪原の魔女は小さな腕で、私がテーブルの上に置いた宝飾品を抱え込んだ。
そうして顔を上げると、じっと私を見つめ、問いかけてくる。
「あなた……アデリーナ、だったかしら」
「はい、そうです」
「ふぅん……あなた、変わってるわね。どうして人間なんて助けようとするのよ」
「……私にとって、とても大切な人なんです。それだけではなく、彼は国の未来のためになくてはならない人ですから」
「へぇ……」
雪原の魔女は興味なさそうに相槌を打つと、いたずらっぽく笑った。
「あなたみたいに甘い魔女には初めて会ったわ」
「甘い……ですか?」
「えぇ、詰めが甘いし脇も甘いし考え方も甘すぎる。まぁ、別にいいけどね。解呪薬ができあがるのは明日だから、それまで適当に過ごしなさい」
そう言って、魔女は立ち上がる。そのまま壁にかけられた薬草を吟味し始めた。
どうやら、交渉はうまくいったようだ。
「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます……!」
何度も何度も頭を下げる私に、雪原の魔女は呆れたような顔を隠しもしなかった。