10 冬の国の舞踏会(3)
……セオドラ王女が、アレクシス王子に抱き着いている。
その光景に、思わず血の気が引いたのがわかった。
「……妃殿下、大丈夫です」
ふらついてしまった私を、ダンフォース卿が支えてくれる。
頭が真っ白になりながらも、私は静かに頷いた。
……そうだよね。きっと何か理由があるはず。
王子を、信じなきゃ。
「うわ、やばっ!」
熱心にバルコニーを覗き込んでいたゴードン卿が急に横に飛び退いたかと思うと、その直後に勢いよくバルコニーへ繋がる扉が開いた。
そこから飛び出てきたのは、セオドラ王女だ。
彼女は私たちには目もくれることもなく、表情を隠すように俯きながら会場を駆けていく。
そして、入り口の扉から外へ出て行ってしまった。
少し遅れて、アレクシス王子もガラス張りの扉を開けてこちら側へと戻ってくる。
彼はセオドラ王女とは違い、すぐに私たちの存在に気が付いたようだ。
「……なんだ、覗き見とは趣味が悪いな」
彼は順番に私たちの顔を見回し、小さくため息をつく。
「ちゃんと妃殿下に弁解した方がいいっすよ」
ゴードン卿が不満を込めた声でそう声をかけると、王子は当然だとでもいうように頷いた。
「あぁ、わかっている。……アデリーナ」
王子が真っすぐに私の方を向く。
真摯な輝きを宿したライラック色の瞳に見つめられ、身が引き締まるような気がした。
「少し、二人だけで話がしたい」
「わかりました」
私が頷くと、王子はゴードン卿とダンフォース卿に見張っているように指示し、私をバルコニーへと誘う。
冬のバルコニーは凍えてしまうほど寒いはずだけど、緊張しているせいかあまり寒さは感じなかった。
「……本当は、君に気取られる前に終わらせるつもりだったんだが、不快な場面を見せてしまってすまない」
「いえ、その、先ほどのは……」
「セオドラ王女に、側妃で構わないから娶ってくれと頼まれた」
「っ……!」
予想外の言葉に、私は息を飲んだ。
そんな私を安心させるように、王子は優しく抱き寄せてくれる。
「……もちろん、すぐに断った。アデリーナ、俺は君以外の妃を迎えるつもりはないからな」
私を抱きしめる腕の力の強さが、全身で感じる彼の体温が、彼の変わらぬ愛情を信じさせてくれる。
でも、だからこそ恐ろしくもある。
……私は、彼の重荷になってはいないだろうか、と。
「……私のせいで、国益を損ねたりは――」
「君がそんなことを気にする必要はない。……アデリーナ、俺が嫌なんだ。俺の妃は今までも、これからも君一人しかありえない」
力強く囁かれる声が、私の不安を溶かしていく。
大丈夫、私はまだ彼の傍にいられるのだから。
「俺はそこまで器用じゃない。この手で抱きしめられるのは君だけだ」
「……はい」
ぎゅっと抱き着くと、じんわりと体中が暖かさに包まれる。
不意に、王子の手のひらが私の頬に触れた。
その冷たさに驚いて顔を上げると、思ったより近くに彼の綺麗な顔が見えた。
ライラック色の瞳がそのままゆっくりと近づいて来て……私は静かに目を閉じて受け入れた。
触れた唇から、ゆっくりと温度が、籠められた愛情が伝わってくる。
「ん……」
まるで、春に溶けていく冬のように。
凍えそうな心も、体も、彼のぬくもりに包まれていく。
一瞬のようにも、永遠のようにも感じられる時間だった。
美酒を呷った時のように、くらりとした心地よい酩酊感に襲われる。
そっと唇が離れたかと思うと、王子が名残惜し気に私の頬を撫でた。
「……ずっとここにいては体を冷やす、中に戻ろう」
「はい……」
小さく頷いて、私は王子と共にバルコニーから大広間へと足を進めた。
ガラス張りの扉を開けた途端、暖かな空気が流れ込んでくる。
会場を見回したけど、どこにもセオドラ王女の姿を見つけることはできなかった。
少し気になったけど、今の私にどうこうできる話じゃない。
彼女のことは、この国の方に任せるしかないだろう。
それにしても、側妃か……。
国によっては何人ものお妃様がいらっしゃるのが普通の場合もあるし、《奇跡の国》だって側妃を持つのが禁じられているわけじゃない。
きっと私が気づいていないだけで、今までだって王子は何度もこういった打診を受けてきたのだろう。
私もいちいち動揺してちゃだめだよね。
彼は私のことを唯一の妃だと言ってくださったのだから、私はその言葉を信じたい。
唯一の妃として、胸を張れるように……もっとお妃様としても頑張らないと!
舞踏会はまだ続いている。
私たちの姿に気づいたのか、何人もの人がこちらへ近づいてくるのが見えた。
頭の中を社交モードに切り替え、私は穏やかに微笑んでみせた。