8 王子様、キレる
もしかしたらヒルダ姉さんも、魔法使いなのかもしれない。
今までそんな風に考えたことは一度もなかったし、姉さんだってそんなことは一度も言わなかった
そんなはずないじゃない! ……と言いたいけど、姉さんが魔法使いだという可能性は否定できない。もう一つ、手がかりもあるしね。
それは……私という存在。
姉さんと血を分けた妹である私は、魔法使いであるらしいのだから。
姉さんがそうだとしても、おかしくはない。
文献によれば、突然魔術の才に目覚める者もいなくはないけれど、親が魔術師や魔女であればその子も魔法の才を引き継ぐことが多いのだという。
だとしたら、きっと姉さんも……。
思わず体が震えてしまい、気を落ち着かせるように懐から自分用のお守りを取り出し握り締める。
もしも私の推測通り姉さんが魔法使いで、皆に魅了の魔法を使っているのだとしたら……なんとしてでも、止めなければ。
正直に言うと、姉に逆らうのは怖い。でも、このままにはできないよね。
私は善い魔女になるって決めたんだから!
そう決意した時、窓の向こうからロビンが必死に飛んでくるのが見えた。
「ロビン!」
慌てて差し出した私の手のひらに降り立ったロビンは、ぜぇぜぇと息を整えている。その背をさすると、復活したロビンはすぐに私の耳元に飛んできてこしょこしょと教えてくれた。
「アレクシス王子、すぐに来てくれるそうですよ! 場所はこの前の場所だって!」
「わかったわ、ありがとう!」
ロビンの伝言を受け取ってすぐに、私はこっそり離宮を出て約束の場所へと向かう。
できるだけ人目に付かないように、庭園の死角を潜り抜けて……いた!
王子は既にその場所にいた。
慌てて駆け寄ると、王子は驚いたように私の肩に触れた。
「大丈夫か、アデリーナ! 顔が真っ青だが……」
「王子、大変なことが起こっているのかもしれません。私の姉は――」
そう言いかけた時だった。
「あらあら、そちらにいらっしゃるのは王子殿下じゃないの」
まるで薔薇の花のように、甘さと鋭さを含んだ声が響く。
反射的に振り返ると、姉が勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その瞬間、心臓が凍り付いたような気がした。
見つかってしまった……。
「わたくし、心配しておりましたのよ? あなたはちっとも妹に会いにいらっしゃらないから、何かあったのではないかと……」
姉はにこにこと誰をも魅了するような笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
彼女は私たちの目の前で立ち止まると、王子に向かってウィンクをしてみせた。
「粗忽者の妹でごめんなさいね。王子に迷惑をかけていないか、心を痛めておりましたのよ」
姉が親しげに私の肩に手を置いた。
思わずびくりと体が震えてしまう。
姉は意味ありげな視線を王子に送っている。
王子は黙っているけど……今にも姉に心惹かれてしまうかもしれない。
だって、そうじゃない。姉さんにこんな風に声をかけられて、笑顔を向けられて、落ちない男性なんて今までいなかったのだから。
残酷な想像が頭を支配して、思考がぐちゃぐちゃになってしまう。
「根暗で気弱で本の虫で……この子には王太子妃なんて向いていないと常々思っておりましたの」
姉の言葉が甘い毒のように心を蝕んでいく。
王子と結婚して少しずつ築いていた自信が、どんどんと崩れ去っていくような気がした。
「……ねぇ、もう十分でしょう? これだけの婚姻期間があれば、離縁しても問題はございませんわ。あなたにはもっとふさわしい相手がいるでしょうし」
姉さんは情熱的な瞳で王子を見つめている。
あぁ、恐れていたことが現実になってしまった。
私と姉が並んでいたら、私を選ぶような人がいるはずないってわかっていたのに……!
「さぁ王子殿下。早くアデリーナとの離縁の手続きを――」
「黙れ」
その時、王子は姉の手から奪い返すかのように私を抱き寄せた。
思ってもみなかった展開に、私は思わず息を飲む。
「黙って聞いていれば勝手なことを……。例えアデリーナの身内とはいえ、俺の愛する妻を侮辱するような言葉は聞き捨てならないな」
王子は鋭い視線で姉を睨みつけている。
その視線を受けても、姉は怯まなかった。
蠱惑的な色をしていた瞳がすっと細められ、一気に冷たい光を宿した。
「……さすがは王子殿下。一筋縄ではいかないのね」
姉の瞳がきらりと光る。
その時、私は確かに感じた。
これは……魔法の気配だ!
「やめて、姉さん!」
私は王子を庇うように姉の前に立ちはだかった。
本当は怖い。でも、王子を好き勝手にはさせないんだから……!
「……王子を魔法で魅了しようとしていたのね。離宮の皆と同じように」
そう口にすると、姉はにやりと口角を上げた。
「あら、気づいていたのね。年中ボケッとしてるあんたにしてはやるじゃない」
その嘲るようないい方に、思わずかっとなってしまった。
「ふざけないで! 自分が何をしているかわかってるの!? 人の心を魔法で操るなんて……」
「どうせ時間を掛ければ同じ結果になっていたわよ。まさかアデリーナ、私より自分の方が魅力的で人望があるなんて思ってないでしょうね!」
そう口にして、姉は馬鹿にするように笑った。
「お妃様なんてあんたには似合わないのよ、アデリーナ」
姉がぱちんと指を鳴らす。
その途端、私の身に纏っていたロングドレスがいつものエプロンドレスへと変わってしまう。
「あんたみたいな根暗にはせいぜい小間使いがお似合いだわ!」
「貴様……!」
王子が姉を詰ろうとしたけど、私はそれを押しとどめた。
……そうだ。王子の陰に隠れているだけじゃ何も変わらない。
私自身が、姉さんに立ち向かわないと……!
「確かに私は姉さんみたいに美人じゃないし、スタイルもよくないし、性格も明るくないわ。でも、そんな私なりに今までうまくやってきたの」
お妃様に向いてないなんて百も承知。そんなの、私が一番よくわかっている。
でも、私は向いてないなりに自分のスタイルを確立してきた。
王子やお城の皆と時間を過ごして、信頼を築き上げていた。
それを魔法の力で無茶苦茶にされるなんて、絶対に許せない!
「ここは私の居場所よ。勝手には奪わせないわ!」
勇気を振り絞り、姉に向かって強く言い放つ。
すると……なぜか姉は愉快でたまらないとでもいうように笑いだしたのだ。
「へぇ……いい覚悟じゃない。なら私が試してあげる」
再び、姉がぱちんと指を鳴らす。
その途端、異変は起こった。
もともと私より身長の高かった姉が、どんどんと巨大化を始めたのだ!
えっ、どうなってるのこれ! もはや巨人なんですけど!
「アデリーナ!」
私を呼ぶ王子の声が、ずいぶんと遠くから聞こえてくる。
異変はそれだけじゃない。よく見ると、姉の背後の木々も一緒に巨大化しているような……。
その時、私はやっと今の事態に気づいた。
もしかして、これ……姉が巨大化したんじゃなくて、私が縮んでるの!?