7 お妃様、気づく
書斎に引きこもって、嫌なことを忘れるように集中して魔導書を読み進める。
だが、またもや窓の外から姉たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
「それは素晴らしいお考えです、ヒルダ様!」
「是非やりましょう!」
「楽しみです~」
見なくてもわかる。また姉が侍女たちを侍らせているのだろう。
もしかしたら、さっき口にしていた「パーティー」とやらの話なのかもしれない。
できるだけ気にしないように努めようとしたけど、私の傍で控えていたダンフォース卿が珍しく冷たい声で吐き捨てた。
「見下げ果てた職務怠慢ですね。上へ報告します」
「待って」
普段は穏やかなダンフォース卿がそんなことを言い出したので、私は慌ててしまった。
「あの子たちだって悪気があるわけじゃないわ。それに……仕方のないことだもの」
「仕方のないこと……? 彼らは自らに課せられた職務を放棄している。許されざる行為です」
「私に仕えるより、姉さんに仕えた方が楽しいのよ。仕方がないわ。……ダンフォース卿、あなたも無理はしないで姉さんの所に行ってもいいのよ?」
ぽつりとそう零すと、ダンフォース卿は驚いたように目を見開いた。
そして……私を諭すように口を開く。
「……妃殿下、私はあなたの護衛騎士であり、他の誰にも仕えるつもりはございません」
「でも、それは王子がそう手配したからで……あなたが望むなら、私の方からあなたを解放するように取り計らって――」
「妃殿下」
本当に珍しく、ダンフォース卿は私の言葉を遮った。
彼は私の足元に跪き、真っすぐに私を見つめて口を開く。
「確かに、私は王子殿下の采配で妃殿下にお仕えすることになりました。ですが、そのことを嫌だと思ったことは一度もありません。むしろ、誇りに思っております」
「……私なんて、何のとりえもないつまらない女よ。もっとあなたが仕えるべき優れた人が――」
「いいえ、妃殿下は素晴らしい御方ですよ。前にも申し上げたでしょう」
――「……妃殿下、確かに貴女は宮廷の多くのレディと比べると少し風変わりだともいえますが……自然体を忘れない貴方は、他の誰にも負けないくらい魅力的ですよ」
かつて、まだこの離宮にきて間もない頃……慣れないお妃様業で疲弊する私に、ダンフォース卿はそう言って元気づけてくれた。
そのことを思い出し、じんわりと胸が熱くなる。
そうだよね……。彼はずっと私を支えてくれた誠実な人間だ。
その言葉を、今は信じてみたい。
「……相変わらず、お世辞が上手ね。でも、ありがとう。少し元気が出てきたわ」
そう言って微笑むと、ダンフォース卿は少しだけ明るい顔になった。
だがその時、また窓の外から笑い声が響いて……ダンフォース卿は険しい表情でそちらを睨みつける。
「それにしても、妙だとは思いませんか?」
「妙?」
「確かに妃殿下の姉君は美しい女性です。ですが……これだけ短時間の間に、あれだけの人間の心を掴むのは少し不自然な気がしてならないのです」
「姉さんは昔からそうだったのよ。ほんの一目見ただけで、誰もかれもが姉さんの虜になっていくの」
「妃殿下、この離宮に集められた者は皆が厳しい審査を経て配属されています。そんな者たちが一人残らず、自らに与えられた職務を放棄してまで一人の女性に傾倒するなんて、おかしいとは思いませんか?」
ダンフォース卿にそう言われ、じわじわと私も違和感を覚え始めていた。
確かに、私の侍女たちは皆真面目で頼りになる者ばかりだ。
姉さんがやって来るまでは、仕事を放棄したりすることなんて一度もなかった。
それなのに姉さんがやって来た途端、皆揃ってああなるなんて……やっぱり、おかしいような気がする。
過去の経験があるから、私は皆が姉さんを追いかけるのは当然だと思い込んでいた。
でもそのフィルターを外してみてみれば、やっぱりおかしいじゃない……!
「いったい何が起こってるのかしら……」
「わかりませんが、注意した方がよさそうですね」
「ダンフォース卿は何も変わりはないの? 姉さんが好きで好きでしょうがなくなったりは――」
「有難いことに、微塵もそんな気分にはなりません」
「よかった……」
今のところダンフォース卿は大丈夫なようだ。私はほっと安堵に胸をなでおろした。
「妃殿下、このことについては王子殿下にもご相談された方がよろしいかと」
「王子に? でも、ご迷惑じゃないかしら……」
「王子殿下が妃殿下の相談を厭うわけがありませんよ。むしろ、何も知らされない方が心配されるはずです」
「……そうね、ありがとう。王子に相談してみるわ」
早速私は手紙をしたためた。
侍女に託すのは少し心配だったので、ロビンにお願いして王子に届けてもらう。
どうか、うまくいきますように……。
胸を張って窓から飛び出していったロビンを見送り、ぼんやりと空を見上げる。
でも、ダンフォース卿の言うとおりに何か人の心を惑わせるような力が働いているのだとしたら、いったい誰がどうやって……。
そう考えた時、はっと過去の出来事を思い出した。
「まさか、惚れ薬……!?」
かつてオベロン王の治める妖精の郷を訪れた時、誤って《栄光の国》の王太子、ディミトリアス殿下が惚れ薬を口にしてしまったことがあった。
惚れ薬を口にして最初に目にしたのが私だったせいで、彼は本当に好きな相手がいたのに私に惚れた状態になっていたっけ。
もしかしたらあの時みたいに、姉さんが皆に惚れ薬を盛ったの……!?
いや、あの時は妖精の郷にしかない特別な花を用いたからあんな強力な惚れ薬が出来上がったのだ。姉さんに同じような物が用意できるとは思えないし、あれだけの人数に一気に惚れ薬を仕込むとも考えにくい。
でも、待って。確か今読んでいる本に、似たような話があったはず。
「魅了の魔法……?」
歌や視線で人々の心を奪い、時には命すらも奪い去ると恐れられていた魔女がいたと、私が読んでいる本に記載があった。
もしも、姉さんが同じようなことをしているのだとしたら……。
「姉さんも、魔法使いなの……?」