6 お妃様、傷つく
だが、離宮に戻るとまた現実を突きつけられる。
離宮に仕える使用人も、庭師も、警護の騎士も……誰もが姉を崇め称え、姉が通りがかるたびに夢見心地な表情になり、姉に声でも掛けられれば天に昇るように喜んでいる。
屋敷にいた時は、何度も見た光景だ。
別に、気にすることじゃない。彼らが誰を崇拝しようが、好きになろうが、彼らの自由なのだから。
そう自分に言い聞かせても、少しずつ胸に開いた穴が広がっていくような気がした。
「……来ないのね」
やがて侍女たちは、私の身の回りの世話よりも姉との時間を優先するようになった。
今朝も、いつもなら起床後に身支度をしてくれる侍女が既定の時間に現れない。
……別に、簡単な身支度くらいなら一人でできる。
ここに来る前は、ずっとそうしていたんだから。
みすぼらしく見えないように、丁寧に身支度を整え……まだ毛布にくるまってうにゃうにゃと夢見心地のロビンを起こす。
「おはよう、ロビン。まだ夢の世界なの?」
「うーん……? おはよーございます、アデリーナさま……」
まだ寝ぼけ眼のロビンにくすりと笑い、ちょん、と頬をつつく。
「ほら、早く朝食に行きましょう?」
「はぁい」
ロビンには可哀そうだけど、彼が姉を恐れているのが今の私には有難かった。
ずっと側にいた彼まで姉の虜になるようだったら、ますます私は自信をなくしていたことだろう。
寝室から食堂に向かう道すがら、姉が多くの人に取り囲まれ、笑っているのが見えた。
その中には、今朝私の身支度の当番になっていた侍女もいた。
そちらを見ないようにして、足早に少し離れたところを通り過ぎる。
「……アデリーナさま、どうかしたんですか?」
少しだけ歩調を速めた私に、ロビンが心配そうに問いかけてくる。
「…………いいえ、なんでもないわ」
ロビンに気づかれてしまうなんて……駄目だな、私。
「早く行きましょう。今日のデザートが楽しみね!」
無理に笑顔を作ったけど、ロビンは気づかわしげな表情を崩さなかった。
◇◇◇
「おはよう、ペコリーナ。最近ペガサスさんが来ないけど寂しくはない?」
「フェ~?」
姉やその周りの人の姿を見たくなかったので、私は早々に牧場に向かった。
私の大好きなアルパカ――ペコリーナは、今日も愛らしさ全開で私を迎えてくれた。
「ごめんね、きっともうすぐペガサスさんに会えるようになるから……」
ペコリーナのふわもこの毛を撫でながら、そう声をかける。
王子の愛馬(?)であるペガサスは、王子が離宮に来られないので同じように大好きなペコリーナに会えない状況が続いている。
きっと今は……怒って暴れてるんだろうな。早く会えるようにしてあげたい。
「ごめんね……」
私と姉の確執にペコリーナたちを巻き込んでしまうことが申し訳ない。
小声で謝ると、ペコリーナは気づかわし気にすりすりと体を摺り寄せてきた。
「フーン」
「ありがとう……」
その優しさに甘えるように、もふもふの体にぎゅっと抱き着く。
……大丈夫。私はまだ、頑張れる。
だが離宮に戻ると、姉が待ち構えていたので私は驚いてしまった。
「あらあら、どこに行っていたの? 王太子妃が家畜の世話なんてみっともない。はしたないことはやめなさいな」
あからさまに馬鹿にしたような姉の発言に、姉の周りに控えていた者たちがころころと笑う。
思わず気圧されそうになったけど、なんとか勇気を振り絞って私は平然と言葉を返した。
「……私がどこで何をしようと、私の勝手よ」
「ふぅん、言うじゃない」
怒るかと思ったけど、私は反抗的な発言にも姉はおかしそうに口角を上げただけだった。
「まぁいいわ。喜びなさいアデリーナ、私が出不精のあんたのためにパーティーを開いてあげることにしたのよ!」
「パーティー……? 私たちが住んでいた屋敷で?」
「何言ってるのよ、ここでやるに決まってるじゃない」
「えっ!?」
姉の突然の発言に、私は呆気に取られてしまった。
ここって、まさかこの離宮で? そんな勝手な!
あまりにも身勝手な提案に驚いてしまったけど、すぐに気を落ち着かせる。
……そうだ、姉はこういう人だった。
今だって、私が反対なんてできるわけないと高を括っているんだろう。
屋敷にいた頃だって、そうやっていきなりパーティーを開くと言い出して、私やエラを好き勝手にこき使っていたのだから。
でも、今はそんな横暴を許すわけにはいかない。
私は王太子妃。この離宮の主なのだから。
「……そんなことは許さないわ」
意を決して、私は毅然とそう言い放った。
「どうせ私に割り振られた予算を使いこむつもりでしょう。そんなことは認められないわ」
姉はじっと黙って私の話を聞いていた。
一瞬理解してくれたのかと期待したけど……そんなわけがなかった。
私が話し終わると、姉は馬鹿にするように笑ったのだから。
「ずいぶんと偉そうな口を利くのね。でも、私を止められると思ってるの?」
「私が許可しなければ、そんな勝手な真似は――」
「今この離宮に仕える者たちは、ほとんどが私の味方よ? あんたの許可なんていくらでも偽造できるわ」
「姉さん! 言っていいことと悪いことがあるでしょう!? 思い上がるのもいい加減に――」
「哀れなアデリーナ、思い上がっているのはどちらかしら? あんたまさか、偶然王子に捕まっただけの『お妃様』って称号が、そこまで偉いとでも思っているの? たった数日で、私に根こそぎ奪われるくらいの人望しかないくせに!」
気が付けば、姉の周りに控える侍女たちは皆冷たい目で私を睨んでいた。
その視線に、すっと全身が冷たくなる。
私は……間違っているの?
やっぱり、私にお妃様なんて無理だったの……?
何か言い返したいのに、言葉が出てこない。
そんな私を見て、姉は鼻で笑った。
「もう十分いい夢は見れたでしょう? 元からあんたに王太子妃なんて無理だったのよ。このまま続けてもどこかでほころびが出てくるだけね。わかったなら、早く離縁の手続きを――」
「…………嫌」
喉の奥から声を絞り出して、必死に首を横に振る。
確かに初めは、すぐに離縁してもらうつもりだった。
でも、王子と結婚して、この場所に来て、私は目に見えないたくさんの物を手に入れたのだ。
失くしたくない、諦めたくない。こんな風に、何もかも奪われたくはない……!
「……姉さんなら、どこへ行ってもやっていけるじゃない。どうして私の居場所を奪おうとするの……? やっと、やっと手に入れたのに……!」
こんな私を大切にしてくれる人。私が私らしく居られる場所。
せっかく見つけたのに。手放したくなんてないのに……!
「これ以上、私の居場所を奪わないで……!」
声を震わせ、必死にそう絞り出す。
それでも、姉さんに通じるはずがなかった。
「身の程を知りなさい、アデリーナ。あんたはいつまでも日陰で暮らしていくのがお似合いなのよ!」
「っ……!」
あまりにも酷い言葉に、思わず涙が零れそうになってしまう。
そんな自分が情けなくて、私は姉さんたちに背を向けてその場から走り出した。
「妃殿下、そんなに急いでどちらへ……っ!」
逃げる途中で、別行動をとっていたダンフォース卿とぶつかってしまう。
彼は私の顔を見て驚いたように息を飲み、すぐに状況を察してくれたようだ。
「書斎で少し休みましょう。……あそこなら、誰にも見られることはありませんから」
そんなダンフォース卿の気遣いが有難くて、私は俯き気味に小さく頷いた。