番外編 バブル時代から来た男(後編)
サジの転移にまつわる話の後編です。
「拳銃ってわかります?」
「知っておりますよ。日本の警官は回転式というのを使っているのですよね」
「よくご存知ですね。そう、刑事がですね色々と言い掛かりを付けるわけですよ。無視して実家の玄関を開けようとしたらそこで腕を掴まれて反射的に……」
「投げたわけですね」
「はい。普段ならもっと抑えが効くんですが色々とあった後でちょっと苛ついていまして」
幸生は苦笑した。婚約者の浮気現場に遭遇した事までは話さなくてもいいだろう。
「そうしたら公務執行妨害だなんだで大騒ぎになって、そこから後はもう滅茶苦茶です」
「そして、撃たれたと」
「はい。脇腹に二発」
中央アジアの民族衣装に似た服を捲くり上げて、右脇腹を晒す。父や祖父との稽古で付いた古傷はあるが、弾痕は残っていない。
幸生は服を元に戻す。この衣装も随分と着慣れてきた。毎日高級スーツを着てネクタイを締めていたのがほんの一ヶ月前だとは思えない。
「アドレナリンが出ていたせいでしょうか、痛みはそれほど感じなかったんですが、これは苦しんで死ぬんだろうなって思いました。それで、怒りを抑えられずにその刑事の腕を折って逃げたところまでが元の世界の記憶です」
「その後で女神に会ったのですね」
目の前の老人は不思議な香りの茶を一口啜った。
「いえ、私が会ったのは男神でした」
老人は首を傾げる。
「失礼かと思いますが、貴方様はもしかして同性愛者でいらっしゃいますか」
幸生は口に含んだ茶を吹き出し掛けた。慌てて飲み込む。
「いや、そんなわけないじゃないですか。私には婚約者もいて、……あっ」
老人は得心したようで軽く頷いた。
「立ち入った話は聞きませんが、その方との間に何かあった直後だったのですね」
幸生は頷く。
「転生や転移を司る神は大抵の場合、対象者にとって魅力的と感じられる姿をとって現れると言われています。それが同性だったという事は同性愛者か、それとも異性に嫌な感情を抱いているかのどちらかではないかと思われますが、後者なのですね」
そう言われてみれば、真っ白な空間で会った神はどことなく弟の幸雄に似ていた気がする。
もう一年以上も会っていないが、幸雄の事だから元気にやっていることだろう。大学を出て大手ゼネコンに就職した幸生とは対象的に、幸雄は大学時代からアルバイトで金を貯めては民俗学のフィールドワークと称して貧乏旅行で世界を回っている。
「そうですね。色々あったというのもその件で、しばらく女なんか見たくないって気分でした」
今となっては理解できる。肩書や資産が何よりも大切だったバブル時代の価値観からすれば、汚職事件の疑惑を掛けられて、懲戒解雇寸前の男など全く存在価値が無いのだ。
「それで、何か特殊な能力を授けられたりはしたのですか」
首を傾げる。能力ではないが、今の幸生の外見は十歳程度若返って、まるで十代の頃のようだ。身体能力も向上した気がする。
幸生の家に伝わる名前も無い古武術はさほど洗練されたものではなかった。ルールありの試合であれば柔道の国体級選手と戦えば簡単に負けるだろう。ルール無しの殺し合いであればオリンピック選手にも勝てるかもしれないが、それは全く意味をなさない事も理解していた。
同じような古武術の伝承者で、もっと多くの門下生を抱え、常に洗練され続けてきた流派の達人と死合ったとしたら、多分命を落とす。自分の実力はその程度だろうと思っていた。
更に言うならば、世界を回って様々な武術や格闘技を身に着けている弟の幸雄よりも実力は下だ。
だが、今ならどうだろうか? もし元の世界に戻ったとしたら……。
「怖い顔になっておりますな」
ニコニコと笑いながら老人が新しい茶を淹れてくれる。
「すみません。強くはなったと思うのですが、技のキレだとか動体視力だとかそういうものばかりで、特に変わった能力は無いようです」
この世界には魔法がある。目の前の老人、つまり巨大な龍の化身が言っているのはそういう能力の事だろう。
「こっちの世界では才能には左右されますが、魔法は誰でも使えるものです。多分、すぐには必要無いという判断だったのでしょう」
たしか幸雄に少し似た男神は当初、魔王がどうのこうのという話をしていた。だが、何を言っても無気力に首を振るだけの幸生に対し諦念を抱いたのか、最終的には「あなたの望み通り穏やかに生きてください」と言ってこの世界に送り出してくれた。
「お迎えが来るのが随分と遅いですが、どうぞごゆるりとお過ごしください」
「ありがとうございます。人間界に急いで戻るのもあまり気が進まないので、迎えが遅れているのはむしろ大歓迎です」
「ただ待つのもお暇でしょう。お迎えまでの間に龍の魔法をいくつか教えて差し上げましょうか」
ホッホッホと上機嫌に老人が笑う。幸生はそこに祖父の面影を見た気がした。つまり地獄のような修行が待っているという事だ。
「ありがとうございます。大歓迎です」
幸生は自分が獰猛な笑みを浮かべている事に気付いた。せっかく貰った再起の機会だ。精々大暴れしてやろう。
王都からの迎えのヘリコプターが到着したのはそれから半年後の事だった。
番外編は一旦ここまでにして、本編の脳内プロットの整理を続けます。




