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番外編 バブル時代から来た男(前編)

サブタイトルに(前編)が入っていなかったので修正しました。

「ついに俺もイカれたか……」

 左門幸生(さもんさちお)は独りごちた。

 目の前には巨大な爬虫類。いや、爬虫類と呼べるのかもわからない怪獣がいる。サイズといい形といい、現場にあるユンボに手足と翼を付けたみたいだ。

「まあ、しゃーねーか。ひとまず生きてるみたいだしな」

 幸生はゆっくりと辺りを見渡す。岩だらけの痩せた土地だ。人工の建築物らしき物は見当たらない。標高が高いのか少しだけ息苦しい。

 さっきまで、田舎とはいえ東京郊外の実家近くにいたはずだった。反射的に脇腹に手を当ててみる。スーツに破れ目は見当たらない。痛みも無かった。

「やっぱり夢か……」

 素直に都心の高層マンションに帰っていれば良かったと、さっきまでしていた後悔の続きを始める。

「人間よ。何故我が領域を侵すのだ?」

 怪獣が口を開いた。シューシューという不快な音が交じるが、紛れもなく人語だった。

 これで、夢である事が証明されたようなものだ。爬虫類は人の言葉を話さない。

「知らねえよ。気付いたらここにいただけだ。そもそもこいつは俺の夢ん中だ。お前こそ何者だよ、トカゲ野郎」

 顧客と話す丁寧な言葉遣いではなく、現場の荒くれ者どもに交じって作業する時の口調だ。現場には院卒のエリート様もいるが、昔気質の職人、元ヤクザ、果ては不法入国者までいる。下手に行儀良くしているとナメられて仕事が滞りかねない。

 『トカゲ野郎』という言葉に激昂したのか、怪獣は威嚇音を発した。

「生意気な人間よ。少々痛い目を見ないとわからぬか?」

 口と同時に手が出るタイプらしい。逞しい後肢に比べると貧弱に見えるが、それでもプロレスラーの太腿より太い前肢を幸生の胸元目掛け振り下ろしてくる。

 幸生は素早く摺り足でわずかに後退、上体も軽く反らした。風切り音とともに鋭い爪が掠めてゆく。回避の際にはためいたネクタイが中程から寸断され、はらりと地面に落ちる。

美雪(みゆき)からのプレゼントだったんだが……、まあいいか」

 自分を去った恋人の名前を口にする。バブル崩壊で幸生の勤める大手ゼネコンの業績が下方修正されると知るやいなや態度が余所余所しくなり、汚職事件の参考人として勾留されていた彼が開放されたその足で部屋を訪ねた時には別の男と事に及んでいたような女だ。所詮、幸生の収入と勤務先のブランド、将来性しか見ていなかったのだろう。

 幸生は苦笑する。自分はどうだというのだ。少しでも美雪の内面を理解しようとしただろうか? 答えは否だ。容姿の美しさと、将来出世した後に結婚相手として釣り合うかどうかといった事しか考えていなかった。

「熱病だな」

 日本全体が未曾有の好景気に浮かれていた去年までの日々。国全体を覆っていた熱病に自分も美雪も冒されていたのだ。

 全てを失ってみてよくわかった。雲の上の存在ではあったが、機会があれば『世界を掴もう』なんて臭いセリフで勇気付けてくれた重役も、事が起こればこんな若造に罪を着せて保身を図った。厳しいが仕事が出来る人だと思っていた尊敬する上長も、結局のところ部下の成果に胡座をかき、上に媚びるクソ野郎でしかなかった。

 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』なんて言葉で国民を扇動していたマスコミも、バブルが弾けてみれば犯人探しとスケープゴートの晒し上げに余念がない。

「何を言っている、人間よ。我が問いに答えよ」

 怒りからか、怪獣の目が紅く輝いている。意外と美しい生き物だな、と幸生は場違いな感想を覚えた。

「こっちが聞きたいぜ。尾行してきた警官と一悶着あったと思ったら、生意気に人語を話すクソトカゲが出てきやがってよ」

 そっとベルトのバックルを外し、ジャケットを脱いで襟元を指で引っ掛けて肩に掛ける。

「来いよ、不細工な爬虫類くん。トカゲの分際で人間様に偉そうな口を利くたあいい度胸だ。格の違いを教えてやるよ」

 さっきと同じような単調な攻撃だ。右、左、右と鉤爪の生えた前肢を横薙ぎに叩き付けてくる。幸生は大仰にステップバックし、攻撃を躱す。

「ほらほら、死ぬ間際のウチの親父の方がもっと素早かったぞ。どうしたノロマなトカゲちゃん」

 思ったとおり身体能力は高いがそれに胡座をかいているだけの巨獣だ。

 大振りな左前肢の攻撃をギリギリで躱し、幸生は大きくバックステップした。怪獣が大きく踏み込んで右前肢を振り上げた瞬間、姿勢を低くして腹の下に潜り込む。

 背後で目標を失った怪獣の前肢が空振るのを感じながら、幸生は獣の趾の付け根部分にベルトを引っ掛け、踵にあたる場所を思い切り横ざまに踏み抜いた。

 二〇〇万以上したアルマーニのジャケットが、獣のつま先と岩だらけの地面の間で磨り潰されボロ屑になってゆく。高いだけあって滑らかな生地に体重を掛けていた怪獣は踏ん張りが効かず仰向けに倒れた。

 幸生は怪獣の腹を蹴り、そのまま喉元に取り付いた。ベルトの両端を持ち獣の鼻先に生えた角のような突起に引っ掛けて引き絞る。下顎に抱き着いたような形になった。力を緩めず、その姿勢のまま怪獣の喉に膝蹴りを叩き込む。

 何度も。

 何度も。

 すぐ脇でボロ布と化しているジャケットと合わせると、それなりの高級車が買えるスラックスが分厚い鱗に擦れて穴だらけになってゆく。

 丁度いい。

 あんな浮かれたクソッタレな日々とはおさらばだ。

 ここがどこだかわからないけれど、少なくとも日本じゃないだろう。

 自分を去った恋人も、自分を捨て駒にした会社も、拷問まがいの取り調べをする警察・検察も、取材もろくにせず人に罪を着せようとするマスコミも何もない。

 笑いながら獣の喉を蹴り続けた。膝が擦り剥けて血が流れるのにも構わず。

 時々怪獣の歯の間から漏れ出して二の腕を焼いていた高熱蒸気も収まり、その眼が虚ろになってゆく。

 傷だらけだが高揚感が体に満ちてくるのを感じた。

「そこまでだ!」

 ライブ会場でスピーカーの真正面に立ったような音圧の声が響いた。震度六超の地震のような揺れが一帯を襲い、幸生は怪獣とともに地面を転がる。

 とっさに姿勢を低くして頭を庇った幸生は辺りが薄暗くなっている事に気付いた。

 空を見上げると、そこに立っているのはゴジラ、いや頭が一つのキングギドラだ。

 幸生の住んでいた高層マンション並の背の高さだった。

「龍の里へようこそ、転移者よ。使いの者が失礼したようで申し訳ありません。心より謝罪いたします」

 長い頸の上に載った頭が降りて来て顎を地面につけ、大型トラックのタイヤ程もある巨大な目を閉じる。ヒゲまでベッタリと地面に付けているのは本気の謝罪のつもりなのだろう。

「どうか頭を上げてください。私ももやり過ぎたかと思っております。なにぶん初めて来た場所で勝手もわからず、失礼な振る舞いもあったかと」

 巨龍が頭を擡げる。

「いえいえとんでもございません。転移者の保護は第一優先です。これは種族や元の世界で何者であったかなど関係の無い話です」

(そうだ、俺は自由なんだ。過去のしがらみも全て捨てて自由になれるんだ)

 幸生は重くのしかかっていた重圧から開放されてゆくのを感じた。

 一流企業、将来を嘱望された出世頭、都心の高級マンション暮らし、高級車、容姿端麗だが頭も尻も軽い婚約者……、そんな全てから解き放たれるのだ。

 幸生は深々と頭を下げた。

左門幸生(さもんさちお)と申します。元の世界でもこの世界でも、何者でもありません」

 地鳴りのような、それでいて優しい声が響く。

「では改めて、グールズバーグへようこそ」

 幸生にはそう告げた巨龍はかすかに微笑んでいるように見えた。

番外編です。

サジの異世界転移の話になります。

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