2話「契約」
メダが一太郎から離れ、自席に戻ったとき、一太郎は先程のことについては問わず、残りの二つの国についてメダに訊ねた。これは単純に気まずかったからというのと聞いてはならない気がしたっていう理由の為である。
「他の二つの国は?」
「それぞれラメール王国、レア新王国といって、どちらも王国ですね。ラメール王国はかつてはこの地図に描写されている領土よりももっとずっと大きかったのですが、二百年前のオスマイヤー帝国による侵略を受けて、領土の四分の一を奪われ、さらに宗教性の違いからラメールの領土からレア新王国が独立して、その領土は以前の二分の一以下までになってしまったんです。それまではラメール王国がティエラの中での最先端を行く文明を築き上げてきたのですが、今ではもう完全に廃れてしまって、かつての繁栄や栄光はどこにも見られませんね。
でも、だからといって国民が今の状態に満足していないかというと、別段そういうわけでもなく、比較的生活は安定しています。それは恐らく国王の手腕によるところが大きいでしょうね。彼はまず第一に国民の生活の安定が何よりも大事であると考えている人物です。そんな人物が上に立って、直接的に政治を行えば確かに国民の生活水準は悪い方向に傾くことはないかもしれませんね」
メダはここまで話すと、左手に持ったソーサーの上に置いてあるカップに再び手を持っていき、一口すすった。そして、伏せ目がちの瞳をカップの中に注ぎながら話の続きを始める。
「そんなラメール王国とはレア新王国はまだ独立してから百八十年くらいしか経ってないのに、目覚ましい発展を遂げています。これは恐らく獣種、魔種、未開人種受け入れ案を採択し、積極的に彼らを取り入れて、労役に従事させることによって短期間での生産能力の高さやインフラの充実など生活の基盤が整備されているのでしょう。こちらもモニーク王国ほどではないですが、国民の幸福度は高いと思われます。ただ原住民と移民の間での経済的格差が激しすぎるのと獣種に対する差別が普遍的に蔓延してしまっているのがたまにキズですが」
説明を聞くに、ラメール王国はオスマイヤー帝国同等完全に廃れてしまっていて、逆にレア新王国はモニーク王国ほどではないが、国民の幸福度が高いとのことだ。これらのメダの話を聞いて、おおよそ一太郎の中で転生したい国ランキングのようなものが出来上がった。まあ、一位は圧倒的モニーク王国であることは変わりないが。
恐らくこれらの情報はかなり大雑把なのは間違いないだろう。情報が大まかすぎて、これだけの情報で転生したい国ランキングを決めてしまうのはあまりにも早計すぎるのではないか。これではカタログや広告だけ見て買ったはいいけど、実際使ってみるとなかなか使いづらかったり、ほとんど使わないとかいう失敗パターンになりかねない。
まあ、結局は転生場所はランダムということなので、どれだけ自分の中でランク付けしたところでどうしようもないし、これ以上情報があっても、もて余すだけになるかもしれない。一太郎はメダの話を聞いて、とりあえず素直に思ったことを述べた。
「要は俺の望む平和な生活をするにはモニークが王国が一番いいということだな」
「国民の幸福度は五つの国の中で一番高いですからね」
メダは一太郎の言葉に同調して、言葉を言った後、これで最後とでもいうように一太郎の目にその黄金色の瞳を合わせ、急に真剣な面持ちをして、一太郎の心をざわつかせた。
「さて、説明が大分長くなってしまいましたね。私の話した以外の細かな情報は実際に現地に行ってから確かめてほしいものとして、実は私、あなた様にあるお願いがあってここに来てもらったのです」
「お願い?」
「はい」
「何だよ?お願いって」
「それはですね…」
それだけ言うと、メダの小さな唇はほのかに震え、言葉を出そうにもなかなか出てこないような葛藤がそこに見てとれた。何を躊躇っているのだろうか。そんなに人様に言えないような願いでもあるのか?
一太郎自身も人様に言えないような願いというのは多々あるが、それは大抵エロティックなことだったりする。これは決して一太郎が変態などという訳ではなく、世の男子高校生は皆こんなものだということを知らせる上でのことであって、何度でも言うが決して一太郎が変態という訳ではない。
彼女はその言葉を一回唾とともに飲み込んでから、吐き出した。
「神様を殺してほしいのです」
「はひっ!?」
唐突すぎるという、何というかどう答えていいか分からない。とにかくその発言は自分に向けての特大ブーメランであるとともに、スケールの大きさが今までの話とは桁違いすぎて思わず引いてしまった。
「ウ、ウソだろ!?」
これは嘘であってほしいという気持ちと、話のハードルが急に上がったために一太郎の頭はまだ理解に達する域に到達しておらず、混乱が渦巻く脳内から必死に絞り出した言葉であった。
「いえ、残念ながら嘘じゃありません。これがあなた様と私の間で結ばれるティエラへ行くための契約となります」
「いや、ちょっと待て!俺は平和な生活を送ろうと…」
「一太郎さん」
一太郎の言葉をメダによって遮られ、しかもそこで初めて一太郎の名前が呼ばれたので、そこに違和感を感じ、一太郎は言葉の続きを紡ぐことができなかった。
「まずは、あなた様の気持ちに背いたこと、謝罪をしなければなりませんね。本当にごめんなさい」
そう言うと、メダは深々と頭を下げる。それを見れば、さすがに頭の中で混乱を引き起こしていた一太郎もメダの願い事が本当の事であり、それを一太郎に心からお願いしていることが分かった。だが、理由が分からない。なぜ、それを一太郎に頼むのか。なぜ、神を殺してほしいのか。
だが、それらをここでネチネチとしつこく聞くほど一太郎は図太い神経を持っていない。そもそも、神様の中でも三番目、言い方を変えたらこの世で三番目に偉いと言われている存在がただの一般人の前で頭を下げるくらいのことだ。理由も大層なものなのだろう。きっとその理由は…
「よく分かんねーけどさ、それってどうせそのお前が殺してほしい神様ってのが悪さしてて、そいつを止めないとティエラが滅んじまうとか人類存続の危機とか、そんな感じの話だろ?」
まあ、何となく言ったことではある。おそらくそんな理由ぐらいしか三番目に偉い神様が一般人に頭を下げる理由など思いつかなかったのだ。話のスケールは自分で言ってて阿呆らしくなるほどデカいものだが、もうそんなことも気にしなくなってしまった。いきなり「神様を殺してくれ」と言われるよりはどれも全然スケールが小さく見えてしまうからだ。完全に一太郎の感覚が狂ってしまったのは言うまでもないだろう。
だが、案外そんな適当に言ってしまったことが合ってたりすることもあるものだ。メダは目を大きく開いて、「何で分かったんですか?」と不思議そうに問うている。
「って、合ってたのかよ!適当に言ったつもりだったんだがな…」
「そうですか…じゃ、契約は成立ということですね!」
「いや、なぜそうなる!?お前、どっか抜けてんだろ?」
メダの解釈の仕方がまるで分らない。一体どのように解釈したら今までの流れから契約が成立するのだろうか。一太郎はまだ一言も神様を殺すことに同意するような発言はしていないというのに。何だかんだ神様って言ってもどこか抜けているところはあるんだなと思った一太郎であった。
「一つだけ聞いてもいいか?」
一太郎がそう言うとメダは元気よく「はい!」と言って、まるで会社の社長に名指しで呼ばれた時のような緊張感を体で表しながら一太郎の方を見つめる。
「その神様ってのは具体的には誰のこと言ってんだ?」
メダが神様などという抽象的な発言をするため、どうしてもここだけははっきりしておきたかったのだ。一体それが誰のことを言っているのか。まさか、その発言が本当に特大ブーメランで自分のことを殺してほしいなんて言わないはず…と思いたいところだが。果たして真相はどうなのか。是非知りたい。
そして、その回答は何というか完全に聞いてはならなかった系のものであった…
「ギャラクシー……神様の中でも二番目に偉い存在にして、私の姉でもあります」
完全に地雷を踏んでしまった。聞いてここまで後悔した質問はなかなかない。「おいおい…マジかよ」という言葉は脳内に浮かんでも、それを口に出すのは並大抵のことではない。それを言おうとする前に地雷を踏んでしまった自分に罪悪感を感じてしまい、何も言い出せなくなってしまう。
とにかく、あまり触れない方がいいことなのは確かだ。これ以上やみくもに詮索してもしょうがないし、それにこれが異世界に行くための契約となるのなら仕方がない。やるしかないのだろう。もちろん、平和が一番なのは否定する気もないが、よくよく考えてみたら地球に戻るなんて言う選択肢は一太郎の中ではあり得なかったというか、体を乗っ取られているためにできるはずがなかった。どっちにしろ逃げ道はなかったのだ。ならば、ここでその契約について断ったところでどうしようもないではないか。
平和な異世界ライフが送れないからとかそんな理由でこんな場所で狐疑逡巡したって結果が出ないのなら、一太郎は迷わず進むべき道を選ぶ。他人から虐げられる人生は嫌だが、退屈な人生はもっと嫌なのだ。
「何か、行動を起こすことが人生であるならば、行動を起こそう。何か、危険を冒すことが人のためになるのであるならば、危険を冒そう」一太郎の憧れだった今は亡き父親の言葉だ。道理も何もないこの言葉だが、一太郎にとってはそれは刺激的なものだった。
一太郎の鬱屈とした人生、もちろんその中でも一太郎に対し好意を向けてくる人物もいたりした。特に、竈には本当に申し訳ないことをしたと思っている。結果的には今、地球にいる一太郎が竈との約束を果たすことになるのだろうが、その中身は一太郎そのものではない。彼女は「一太郎」という男との約束を交わしたはずなのだ。
なのにその男は自分の知らないところで死亡し、異世界で転生することになるなんて思ってもみないだろう。悲しさより悔しさが込み上げてくる。せめて、最後に思いを言っとくべきだったと思った一太郎であったが、もう遅いのだ。
今はもうそんな終わったことを考えても仕方がない。決断しよう。ここまでさんざん述べてきたが、断る理由はない。というか、選択肢はない。それに、女の子が頭を下げている。立場は違えどとびきりの美少女が。それだけでもう何もいらない。一太郎はついに決断した。
「ああ、分かった。分かったからその辛気臭い面どうにかしてくれ。せっかくいい面してんだから、もったいねーだろが」
「それはどういう?」
「バカヤロー、どっちにしろ俺に選択肢なんてなかったじゃねーか。やるよ、やるしかねーよ。それにさ、俺を絶対に死なせたりしないんだろ?」
言ってて少しかっこつけすぎたと思い、一太郎はメダの方を見ずに横を向きながら、「だからとっとと異世界へ連れてってくれ」と恥ずかしさを覆い隠しながら言った。
メダの顔がぱあっと明るくなる。それはまるでオレンジ色の豆電球の明かりから急に全灯になった照明のようである。メダが一太郎のところに駆け寄ってきて力いっぱい抱き着く。さすが、三番目に偉い神様といったところか。力もこの世で三番目くらいに強いとでもいうように一太郎の胸囲を締め付ける。
「いや!イタイイタイ!死ぬってマジで!」
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
何度もお礼を言いながら絞め殺す勢いで抱き着いてくるメダから何とか解放されて、一太郎が息を整えている間、メダが手を叩くと上から一枚の紙がヒラヒラと舞い降りてきた。それをメダが掴み取り、その上にさっと手をかざすと文字が浮かび上がり、タイトルのところには契約書と書かれていた。紙の下の空白部分のところにはメダの手形と思わしきものがいつの間にか刻まれていた。
「これが契約書になります。私の手形はもう刻んでありますので、あとは一太郎さんにここの空白の欄に手をかざしてほしいのです」
と言うと、メダは一太郎に分かりやすいようにその空白を指で指し、一太郎に契約書を渡した。それはちょうどメダの手形の横であった。その手形の大きさは案外可愛らしいくらい小さなものであった。女の子の手というものはこんなにも小さなものかと普段そこまで女性と関わることがない一太郎にとっては何だかそれは新鮮だった。
そんなことを思いつつ、一太郎は文書に一通り目を通してみる。文書の内容は以下に記す。
契約内容責任者:アンドロメダ
契約履行者:沼地一太郎
上記当事者間において、以下の内容に関する契約を締結する。
1、契約履行者はギャラクシーの殺害、あるいは消滅に貢献せねばならない。
2、契約履行者が直接的に手を下さずにギャラクシーが死亡、あるいは消滅した場合、たとえ契約履行者がその事実を知らなくても、そこで契約は履行される。
3、契約履行者が契約を果たさずして死亡、あるいは消滅した場合、契約内容の責任は全て契約内容責任者であるアンドロメダが負うものとする。
本契約締結の証として、当事者間による手形を以下の空白に刻まれたし。
文書に目を通した後、メダの言われた通りにその空白部分に手をかざしてみる。すると、一太郎の手形がかざしただけであるにもかかわらず、紙にしっかりと刻まれ、そこからエメラルドグリーンの淡い光が飛び出したのだ。
「な、なんだ!?」
やがてその光はすっぽりと一太郎を包み込み、足元に魔法陣のようなものがいつの間にか刻まれている。
「契約は無事ここに成立しました。あと数秒ほどで一太郎さんは異世界へ行くことになるでしょう。最後に何か言うことは?」
「えっ?あと、数秒って待ておい!早すぎじゃね!?」
そんな一太郎の叫びむなしく、メダから時間切れを宣告され、一太郎は最後にメダの「ではまた会えたらいいですね」と言う言葉とともにエメラルドグリーンの光は容赦なく一太郎の姿を消し去って、その光が消えたときそこには一切の痕跡を残さずに跡形もなく一太郎の姿は消えてなくなっていた。こうして、一太郎は異世界へと飛ばされたのであった…
と、話はここで終わらず、実はメダはあることを言い忘れていたのだ。それは神を殺してほしいというようなぶっ飛んだものでもなく、だからと言って異世界とは全く関係のないどうでもいいことでもない。それは道徳的かつ合理的かつ人間的なことだ。
「向こうについたら自動的に地球のものが消失されるから、必然的に全裸になるって言うことを忘れてた…」
彼が報われる日は来るのだろうか…
次回やっと異世界です!お待たせしてすみません!