表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラスボスだらけのこの世界で  作者: 安藤行灯
序章ーある少年の地球での下劣で滑稽で最悪な一日ー
2/12

1話「朝の出来事」

 目を覚ます。ぼんやりとした視界の中に白い天井が見える。カーテンの隙間からは陽光がなだれ込んでいる。鳥の囀りが聞こえてきた。朝であることを一太郎は知った。枕元に置いてあるスマートフォンに手を伸ばし、時間を確認する。七時十六分。


 今日は目覚ましの設定時間よりも四分だけ早く起きれたな。そんなことを考えながら重たいと感じる体を無理矢理起こし、床に足をつける。ひんやりとした感覚が足の裏を覆い、寝起きのファジーな頭の中に打撃を与えた。そのまま立とうとすると右足のふくらはぎが内側から盛り上がるように痛い。これはおそらく筋肉痛であろう。


 昨晩、トイレットペーパーが切れたため、近所のスーパーに買いに行った帰りに突然、自分の中に獅子でも宿ったかのように猛々しい雄叫びを近所にぶちまけ、盛大に近所迷惑をかけた後、猛烈に走りたい衝動に駆られて、汗を振り撒きながら閑静な住宅街を全力で走り抜けたのだ。普段、全力疾走などしないものだから、あまり使わない筋肉を酷使して、筋肉痛になったものと思われる。


 我ながら阿呆であるなと思うが、なぜだかあのときだけはそのような感情に強襲されたと言ってもいいくらいに突如としてわき起こり、あのような愚かな行為に走ってしまったのだ。あれは一体何だったのだろうか。今でもよく分からない。


 一太郎は少しでも痛みを軽減しようと、右足に体重をかけないようにして自室を出て、階下に行くと何やら耳に障る下劣極まりない笑い声が聞こえてきた。その声はどうやらリビングの方から聞こえているようだった。一太郎はリビングに繋がる扉を開けると、そこにはテレビの前に寝転がりながら大口を開けてけたたましい笑い声をあげている醜悪な母の姿があった。


「はっはっはっはっはっは」


 何がそんなに面白いのか。一太郎がリビングにいることも分かっていない様子でひたすらその四角い箱の中で動く人物たちのおかしな言動に笑っている。


「母さん」


 一太郎が呼ぶと、母は引き笑い時に空気でも吸い込んだのか。ゴホッゴホッとむせた後、振りむくことなく今まで自分の脇腹に置いていた左手を蛇のとぐろのように滑らかな且つ無駄のない動きで冷蔵庫の方を指さす。


「そん中に昨日の夕飯の残り物があるから」


 母はそれだけ言い終えると、その左手は迂回することなく再び無駄の一切ない動きで脇腹に着地した。その一連の動きはすでに完成されつくしていて、見る者に彼女の醜悪さと怠惰さを感じさせるのであった。一太郎は大きくため息を吐いた後、筋肉痛に蝕まれた右足を半ば引きずりながら、冷蔵庫の方へと向かった。

 

 冷蔵庫を開けると、上から二段目の段にサランラップで乱雑に包まれた野菜サラダがぽつんと置いてあった。もちろん、これだけではないだろう。なにせ、昨日の夕飯はナポリタンもあったわけで、一太郎が食べきれなかった分のナポリタンをタッパーに詰めて冷蔵庫に入れておいたのだから。そう思って一太郎は冷蔵庫の隅々を探してみたが、肝心のナポリタンがどこにもない。一太郎の頭の中に嫌な予感が過った。


 野菜サラダは確かに昨日のナポリタンの副菜として出てきたものだ。母の言うことが本当だとすれば、昨日の夕飯の残り物はちゃんとあることになる。


 だが、よく考えてほしい。育ち盛りの息子相手に朝食を野菜サラダだけで済ませろというのはあまりにも哀しい話だ。これは大げさに言えば悲劇だ。ぜひ、シェークスピア四大悲劇の中に一つ加えてほしいものである。

 

 と、話がトビウオのように大いに飛躍したところで、朝ご飯が出ているだけましという意見が聞こえてきそうではある。確かにそれはそうかもしれない。なけなしの金で家計をやりくりしているような家庭、あるいは両親が一太郎の母親よりもさらに怠惰を極めているならば(そこまでいくともはやネグレクトと大差ないが)、朝食がないことも決して珍しくはないだろう。

 

 だが、我が家の母は怠け者という名詞がもはや体表にへばりついて、完全なる一体化を遂げるくらいには似合ってしまっているような女である。


 なぜなら、家事は基本一太郎の仕事であるからだ、と言ってもどうせ家事っつったって、洗濯物畳んだり、朝のゴミ捨てに行ったり、風呂掃除とか、トイレ掃除とかそんなくらいなものでしょ?と思う方もいるかもしれないが、我が家ではそのほかにも古くなった日用品の買い替え、使い捨て商品の補給、食料の補給、必要時の洋服の買い替え、週一の家内の大掃除、庭の手入れ、電話の受け応え、母が大好きなバンド怠惰の極み乙女の新作CDのお使い、挙句の果てには週五の朝晩の食事の用意ときたものだから、これはなかなかになかなかだと我ながら思うのだ。


 今日はその週二日しかない調理当番ではない日だったために、この仕打ちはどういうことであろうか。前々から楽しみにしていた修学旅行を大雨によってことごとく台無しにされたような気分である。

 

 それにこのサラダ…見たところ、キュウリのスライスが二枚とプチトマトが三個、それらを包み込むようにしてレタスが二皮ほどのいくら胃がテニスボールくらいのサイズしかないのではと思われる小食系女子でもこれだけでは腹を満たすことができないだろうという代物であった。こんなものは食おうが食うまいが一緒である。

 

 これだけではあまりにもふざけている。それに、そもそもまだ母から朝食が野菜サラダだけとは言われていない。もしかしたら冷蔵庫ではないどこかにナポリタンがあるかもしれない。


 豊臣秀吉が織田信長の草履を懐で温めていたように母も一太郎のナポリタンを懐かどこかで一晩温めていた可能性だってあるのだ(そうであった場合はもう食えそうにないが)。自分の勝手な思い込みで一喜一憂したってしょうがないではないか。ここは母に聞いてみるのが一番だ。


「ちょっと母さーん?」


 母を呼んだ一太郎の声は相も変わらず下劣極まりない母の笑い声によってかき消された。もう一度一太郎はさっきよりもずっと大きな声で母を呼んだ。


「母さーーーん?」


「え?何か言った?」


 一太郎が何と言ったかは理解しておらず、こっちを向くこともなかったが、声の方には反応してくれたので、一太郎はすぐさま朝食の件について問いただした。


「今日の朝食、野菜サラダだけってことはないよなー?」


 声に力をこめ、母の笑い声にかき消されないよう半ば叫んだ。すると母は急に笑いを止め、半分ほど振り向き、あっけらかんとした調子で答える。


「うん。それだけそれだけ」


 開いた口がふさがらないとはまさにこのことを言うのだろう。一太郎はそんな当たり前のように言う母につい、躍起になる。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!さすがにこれだけってことはないだろ?昨日の夕飯ナポリタンだっただろ?あれはどうしたの?」


「あーナポリタンね。ナッポリターン♪ナッポリターン♪温かいナポリタン食べたいなー」


 謎が謎を呼び、やがてそれは混沌を生む。今まさにこの場は混沌の渦中と化した。母の突然の歌。どこかで聞いたことあるようなそのフレーズが一太郎の頭の中の細胞を蝕んでいく。


「いや…なんか聞いたことあるけど、今歌うところじゃないだろ?昨日のナポリタンは?あのタッパーに入れておいたナポリタンはどこに行ったぁぁぁ!」


「はっはっはっはっはっは」


 母は一太郎の声に見向きもせず、再び大声で笑っている。伝えたいことも伝わらないこんな世の中にポイズン。一太郎の今の心境を表すにはピッタリな言葉である。

 

 結局、そのナポリタンの行方は分からずじまいのままで、一太郎は片手に握られた野菜サラダを見つめ、これが今日の朝食か…と思い、ひどく落胆した。……とりあえず食べますか。


 その後、一太郎は今までずっとサラダを食べることを夢見てきた男が数々の困難を乗り越えてやっとの思いでサラダを食べることができたかのように一口一口を丁寧に咀嚼しながら食べた。気分が沈んだ一太郎の心境に似つかわしくない野菜のシャキシャキとした新鮮な咀嚼音と母の下品な笑い声がその場によく響いていた。


 

 食べ終わった後に気づいたのだが、よくよく見ると母の口元にかすかなトマトケチャップがついていたのが何より気がかりだった。そう、気がかりだった。


修正加筆するかもです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ