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おかえりなさい、エミリア

作者: 塚越広治

 照明を落とした子供部屋に、静かな歌が流れていた。

「おやすみ 愛し子よ この腕の中 いつまでも 変わらずに 見守り続けてる」

 毎晩、寝床に入った娘の彰子の傍らで繰り返される歌である。初めてその歌を聞いたとき、淳平は驚きもし、納得もした。歌っているのは、この家でエミリアと名付けられた育児ロボットである。作曲の創造性はないらしく、そのメロディはリストの「愛の夢」である。ただし、オリジナルの歌詞ではない。彼女は過去に学習した、この場に相応しい言葉をそのメロディに乗せているのである。それは作詞とも言えず、つづられた言葉を吟味すれば、プログラムに組み込まれた彼女の役割を語っているに過ぎない。彼女の全身は白いABS樹脂で、触れれば堅く冷たい。その頭部はアーモンド型のランプが2つ、人間の目に当たる位置に付いている。視覚情報は彼女の両肩の付け根についているカメラから得ていて、彼女の頭部の目はただのランプに過ぎない。そのランプは今は淡い緑色で、メロディに合わせてゆっくりと明滅する様は、彼女が傍らの幼子に何かを語りかけて居るようにも見えるのである。

 ただ、淳平はあえて心の中でその感情を押し殺し、ドアをそっと閉じて書斎に戻った。まだ、こなさなくてはならない仕事が残っていた。


「父さん、また仕事なの? エミリアが朝食ができましたって」

 娘の彰子が書斎のソファで夜を明かした父を朝食に誘った。仕事に没頭する父に向ける視線と声の調子が冷たい。窓から差し込む日差しの眩しさに淳平は黙って目を細めた。繰り返されるテロ予告の都度、仕事は停滞し、現場の作業管理をする淳平はその作業スケジュール調整に苦労しているのである。淳平は顔を洗って、娘に手を引かれて食堂に向かった。

 食堂のテーブルには、焼き上がったトーストがあり、その傍らにマーガリンやマーマレードの容器が置いてある。朝食を準備するエミリアの手は、トーストにマーガリンを塗るほど器用にはできていない。電子レンジで加熱した目玉焼きとベーコンに、カット野菜を添えるのがエミリアの手料理である。エミリアは淳平のカップには濃いコーヒーをブラックで、娘の彰子のコップに冷たいミルクを注いだ。

「ありがとう。美味しいわ」

 笑顔の彰子の言葉にエミリアは目を淡い黄緑色に点滅させて答えた。

「褒めてもらうと、嬉しいわ」

 淳平はそんな娘をやや眉を顰めて眺めた。育児ロボットを所有する家庭は珍しくない。ただ、普通は家庭の主婦の補助的な役割を果たすに過ぎない。しかし、彰子は物心が付く前に母親を失っていて、エミリアに育てられたようなものだった。エミリアという機械に人間の母親に感じるような愛情の念を抱いているようだ。淳平は彰子から父親としての存在を無視される都度、彼女の幼い心の正常な育成が阻害されているのではないかと危惧するのである。ただ、娘がこの機械を慕う原因が、自分が親として娘にかまってやれないことだというおぼろげな罪悪感も持っていた。

「彰子、エミリアのことなんだが」

 淳平がそう言いかけたとたん、娘はその先の言葉を予想して、父の提案を拒絶した。

「嫌よ、そんなの考えられない」

「でもなぁ、今はもっと性能の良い家事ロボットがいっぱいあるんだ」

 父が娘にしようとしたのは、古くなったエミリアを下取りに出して、新たな家事ロボットを購入しようと言うことである。大きな出費だが、エミリアが居なくなれば、彰子はロボットを機械として認識するようになるだろう。 

「だめっ」

「こいつも出始めに買って、拡張性もないから」

  エミリアはアニー16αという初期型の家事ロボットで、用途に合わせて子守や料理や掃除をこなすオプションパーツがついていた。更なるハード面の高機能化に備えて、搭載中の人工知能を新たな役割に対応しうる人工知能に換装する仕様だった。ところが、初期型製品にありがちな事で、ハード面の機能が急速に進歩したために、古いエミリアの体に新たな人工知能を転送したところで、その機能は最新型の家事ロボットに遙かに及ばないのである。

「今はハードもインターフェースも進歩して」

 ロボットを買い換える説明を続ける父親を無視して、彰子はエミリアに語りかけた。

「今日は校外学習だから、いつもより早く帰るわ」

「おやつは何が良い?」

「まかせるわ」

「では、期待していて」

 その母と子のような会話を聞いて、淳平は家事ロボットを買い換えようと決めた。最新型ロボットの便利さに慣れてしまえば、彰子も何も言わなくなるだろう。そんな父親の心を読むように、スクールバス乗り場へ駆けだす前の彰子は念を押すように言い残した。

「父さん。もし、勝手なことをしたら、許さないんだから。エミリアは私のママなんだからね」

(それが困るんだ)

 淳平はそう言いかけたが、その時には、娘は元気の良い足音を残して外にかけだした後である。

「コーヒーをお注ぎしましょうか」

「たのむ。熱いのを」

「今日から現場作業が再開ですね。タービンの搬出が順調にいくよう願っています」

 エミリアが言うのは、原子炉建屋に隣接する建屋から巨大な発電用タービンを解体して運び出す作業のことである。エミリアはこの家の主人と会話をするために、家族の思考や性格以外に、淳平の作業について基本的知識を持っており、会話の中で作業のノウハウに近い部分まで記憶にとどめていたのである。

「仕事が一段落したら、俺が出かける前に、車に乗っていてくれ」

 淳平はエミリアにそう命じた。心が重い。その理由が娘に対する物かエミリアに対するものか、自分でもよく分からないで居た。エミリアは瞬きでもするように、目を淡い緑で点滅させて居るのみである。

 淳平はエミリアを車に乗せて仕事場に向かった。仕事帰りに店によって、エミリアを下取りに出して新型の家事ロボットを購入して乗せて帰る。そういう心づもりである。下取りとはいえ、エミリアは型も古く機能も制限されている。新たな購入者が現れる可能性は無く、エミリアは解体されて廃棄されるだろう。

 後部座席で無言を保ち続けるエミリアに、罪悪感を感じて何か声をかけたくもなったが、何を話しても言い訳じみた言葉になるようで、淳平は黙りこくり、エミリアも言葉を発しなかった。


「全く。文句は建設した連中に言え」

 原発解体の作業再開に合わせて現れたデモ隊を眺めて、淳平は同僚にそう言った。事実、過去の負債を背負わされたといってもいい作業である。国土の大きな国なら、冷温停止させた原発を丸ごとコンクリートで固めることもできるが、国土の狭い日本では、施設を解体し、放射能汚染レベルに従って分別処理するのである。避けて通れない作業である。

「もう一つ、付け加えて言えば、デモは平和的に願いたいもんです」

 部下の言葉に淳平は頷いた。

「その通りだな」

 放射能漏れを危惧する人々が解体に反対している。本当に危険なら、そんな場所はまずかろうという、原発に接近した場所でデモをする。そればかりではない、その話題性に乗じてテロを宣言する過激な連中も生じていた。爆破予告で作業を中断させるのだが、狂信的な連中の中には実際に放射能漏れを起こさせて、解体は危険だという意識を盛り上げようとする連中が居るかも知れない。

 再三の中止にもかかわらず作業は順調に進んでいて、原子炉建屋に隣接するタービン建屋は外観こそそのままだが、僅かに残した監視カメラやドアの開閉、原子炉の状態をモニターする機能を除けば、ダクトやケーブル、配管の類はバラバラに切断されて運び出され、放射能のチェックを受けた後に廃棄されている。タービン建屋の内部は、タービン本体など巨大設備を除けば空っぽと言っていい。今のところ原子炉格納器はもちろん、原子炉建屋にも全く手をつけていないから、放射能漏れの危険はない。そうやって、安全に解体するために、この時代の淳平たち技術者が居るわけだった。


 この時、デモ隊の進入を阻んでいた警備隊の列に隙間が生じ、黒い乗用車を先頭に、二台のバスが敷地に入ってきた。淳平たち現場技術者はそんなものを手配した覚えはない。現場作業員の注目を浴びる中、バスの中から出てきたのは大勢の小学生たちである。

「お父さん」

 淳平に聞き覚えのある声が響いた。父親の姿を見つけて手を振るのは彰子である。

「どうして、あいつが?」

 淳平の疑問に答えるように、黒塗りの乗用車から、淳平の上司が姿を現して歩み寄ってきた。淳平は静かな怒りを込めて尋ねた。

「現場に相談もなく、どういう事ですか?」

「お前に話せば、反対するに決まっている。見学だけだ、作業の邪魔にはならない。黙っていろ」

 原発の解体を本格化させる中、推進する政治家や行政、そして、解体に関わる企業は、人々にこの作業の安全性をアピールする必要があるわけだった。そんな連中にとって、子どもたちが見学に訪れたというのは、この上もなく良い安全の宣伝材料になる。乗用車から降りてきた政治家と役人はそんな立場の人々に違いない。

「また現場を無視ですか」

 部下が淳平に怒りをぶつけたが、何より淳平自身が上司からこのようなスケジュールは聞かされていないのである。そして、淳平が後ろめたさを感じているのは、彰子が学校の行事についてプリントを持ち帰っていて、この見学について案内があったかも知れないということである。淳平は日々の仕事にかまけて彰子が持ち帰るプリントに充分に目を通していなかった。


 ただ、現在の作業段階で放射能汚染の心配は考えられなかった。不満を抱えながら政治的宣伝だと言われれは上司に反対する理由はない。淳平は苦々しげに建屋の脇に停車したクレーン車を眺めた。タービンの搬出作業のために準備したものである。搭載されたコンピューターによって作業員の指示に従って動く新型だった。この見学による作業延期で無駄になるリース料も馬鹿にならないのである。

 上司に文句を言いかけた淳平だが、急なトラブルの報告が届いた。施設内の監視カメラの電源が落ちたというのである。マスコミの目を意識しながら、子どもたちを引率して施設に入ってゆく役人や政治家たちを見送って、淳平は見送って新たなトラブルに向き合わざるを得ない。


「一台や二台ならともかく、カメラが一斉に停止するなんてあり得ません」

 子どもたちが施設に入って、タービン建屋を一巡してその広さを感じ取っている頃、淳平は部下からそんな結論を聞いていた。意味する物は犯罪性である。誰かが意図的に何かの目的で停止させたに違いない。

「子どもたちの見学は中止だ。施設の外に出すぞ」

「部長や役人たちは渋い顔をしますよ」

「かまわない。ここの責任者は俺だ」

 淳平は携帯無線を取り上げて、部長を呼び出して現状の判断を告げた。

「部長。見学は中止してください。何かが起きています」

 淳平がそう言った時、建屋内からブザーが鳴り響いた。

「あれは?」

 現場で実際に聞くのは初めてだが、よく知っている。建屋内で放射能を関知したという緊急警報である。

「まさか、あり得ない」

 淳平たちは現段階で原子炉には全く手をつけて居らず、頑丈な原子炉容器を通して放射能が漏れ出すなどあり得ないのである。ただ、淳平たちはそんな事実に拘ることなく緊急時の対処に追われた。彼らがまずすべきことは、隣接する原子炉建屋の原子炉の異常の有無である。

 原子炉建屋に異常はなく、放射能を感知したのは隣接するタービン建屋である。ただ、そのセンサーの信号も途絶えた。監視カメラの一斉停止と合わせて考えれば、犯罪者の関与が伺えた。

 出入り口から子どもたちが脱出してくるのが見えた。やや腹立たしいのは、子どもたちより先に、自らの安全を図った役人や政治家どもが出てきたことである。教師が子どもたちの点呼をしているのを見ながら、淳平たちは現在の疑問に結論を出せないで居た。

 

 この時、響いた言葉で淳平たちの疑問が解けた。

「子どもが居るなんて知らなかったんだ」

 大声で喚く者たちが注目を浴びた。男二人、女一人が、建屋内部の警備員に連行されて出てきたのである。この事態を引き起こした環境テロの実行犯に違いはない。手口については、他人を小馬鹿にするようににやにやと笑って答えないが、淳平たちには状況から理解できる。彼らは俗に「汚い爆弾」と呼ばれる核兵器を使い、放射性物質そのものをばらまいたのである。放射能の危険を説きながら、自ら放射能汚染を広げるなど、淳平たちには理解しかねる行為だが、彼らにしてみれば放射能の危険性を人民に訴えたという自己満足に酔えるのだろう。

 爆発の兆候はなかった。爆発によって核物質を飛び散らるという単純な手口ではなく、もっと手の込んだ方法・・・・・・。核物質を微細な粒子にして噴霧しているのである。それなら空気に乗って拡散し、汚染が瞬く間に広がる。非常に高度な手口で、背後に大きな組織の関与が伺える。しかし、環境テロリストの背後関係を調べるのは警察や公安の仕事である。

 現状把握に努める淳平にはテロリストに文句を言う余裕はない。タービン搬出のために解放していたシャッターは閉じ、全ての出入り口は閉鎖したため、建屋内から放射性物質が漏れ出す危険はなくなった。その淳平に新たな情報が入った。まだ建屋内に子どもが取り残されているという。

「彰子が。どうして?」

 淳平の疑問に、彰子と同じグループで見学をしていた同級生が涙目で言った。

「お父さんの仕事場をじっくり見たいと言って」

「俺の仕事を?」

 既に地元のレスキューチームが駆けつけて放射能防護服に身を固めて待機しているが、放射能の拡大エリアが特定できず、高濃度の放射能で汚染された区画を、一人の少女を捜して当てもなく彷徨う愚を避けて、現在は情報収集に努めている段階である。

「あれは?」

 その見慣れた白い体はエミリアに違いなかった。歩みは遅いが、混乱する人々の間を自然にすり抜けて防護シャッターの前まで移動していたのである。

「エミリア。どうして」

 淳平がその結論を下す前に、エミリアの姿は建屋内部に消えた。その存在を忘れていたため意外ではあったが、淳平は同時に(しめた)とも思った。エミリアが肩のカメラで送信している情報をキャッチすれば、内部の映像が得られるに違いない。実際、淳平の携帯型コンピューターのモニターにエミリアが見ている映像が映し出された。映像からは蒸気とも細かな粉塵とも区別のつかない霧が淡く部屋に満ちていた。放射能測定機能のないエミリアでは、その粒子がどの程度汚染されているかどうかの区別はつかない。

「エミリア。そのまま奥に進んで階段を上がれ」

 淳平は映像に向かってそう叫んだが、その指示をエミリアに伝える手段はない。今のエミリアは子どもを危険から守るというプログラムに従って自立的に動いていた。ただ、送られてきた映像は、淳平の指示通りになった。淳平と仕事に関する世間話をするために、エミリアは仕事に関する基本的な知識を学んでいた。その中に解体中の建屋の構造も含まれていたのである。エミリアは自らの知識と判断で階段を登っていた。彰子の性格から判断すれば、父親の仕事が知りたいと考えた彰子は、広い空間を避けて、人の雰囲気を感じ取れる建屋上部に移動するだろう。

 旧式なエミリアの歩みは、映像を見ている者にとってイライラするほど遅い。ただ、肩のカメラを常に左右に振り、得られた映像が時折拡大されて詳細に処理される。エミリアは必死になって彰子の姿を探し求めているようだった。タービンのある巨大空間を隅々まで眺め回し、左右を注意深く確認しながら通路を通路を移動した。ただ、その映像に乱れが生じていた。淳平たちにはその理由が分かっていた。高濃度の放射線でエミリアの電子機器に不具合が出ているのである。映像のみではなく動きにもぎくしゃくした動作が見られる。突然にエミリアは動きを止めた。そして、動き出したときに淳平たちは送られてきた映像に叫んだ。

「エミリア、違う。先に進むんだ」

 少しでも内部の情報を知りたいと考えたのだが、エミリアは元来たルートを戻り始めたのである。人工知能にまで支障を来したのかと考えた。エミリアは階段に到達したものの、力尽きたように階段から転げ落ち、そのまま機能を失ったように映像が途絶えた。


「えっ」

 間もなく、信じられないほど鮮明な映像が回復した。しかし、その視野が床に近い。映像の端に映し出されたマニピュレーターで事態が判明した。施設を解体する淳平たちは、この施設の解体を建屋を調査し、図面を書き起こすところから始めた。当然、危険にさらされる区画もあり、その調査に使用したのが、現在、映像を送ってきている探査ロボットである。外部から操作しようとしても手応えがない。自立的に動いていた。

「誰があれを起動したんだ?」

 淳平の部下が発した言葉に応えることができる者が居なかった。探査ロボットは本来の役割を終えスイッチを切って搬出を待っていたはずだった。誰がという疑問の回答であるかのように、エミリアの白い姿が映し出された。階段から落下して脚部や腕が外れた酷い姿である。

「エミリアか」

 淳平がこの状況を理解する名を叫んだ。エミリアは初期型に属するだけに、新たな人工知能が開発されたときに置き換えることが出来る仕様である。それは逆も意味した。エミリアは自らの人工知能を無線で探査ロボットのメモリーに転送する機能も有していた。今の彼女は元の姿を捨てて探査ロボットの姿をしているのである。エミリアが戻ったのは、偶然に発見した探査ロボットの体なら放射能の遮蔽機能もあり、建屋内を自由に動き回れると判断したのだろう。淳平たちにとってありがたいのは、装備している放射能や温度センサーから情報が情報が得られることである。ただ、姿を見せない一人の少女を探し当てるセンサーがあるはずもない。


 淳平たちはエミリアが送られてくる映像と放射能濃度に恐怖した。エミリアの最初の体が二時間ばかりの間に機能を失った理由が頷けた。おそらく、60Svを超える被爆量だったに違いない。

「どこへ行くんだ」

 行く先はロボット任せだが、情報は送られてきていて、淳平のパソコンの建屋の見取り図に表示されている。通路を通じて放射能は広がりを見せているが、その汚染区画に彰子の姿は無い。残っているのは、建屋4階の中央制御室と、5階とその上の最上階である。5階は作業員の更衣室、保守点検室、廃気フィルタ室などいくつもの部屋があって壁とドアで仕切られていた。ここなら放射能の拡大は最小限に抑えられる。いまは彰子がこの部屋の一つで、じっと救出を待っていることを望むばかりである。レスキューチームは、少女の居場所を確認次第突入の準備を整えていた。


 エミリアが高濃度の汚染区画をぬけてたどり着いたのは、中央制御室である。探査ロボットはここで役割を終えたように静かに停止した。

「また、放射能障害か」

 そう考えた淳平たちにも届くような声で、エミリアの声がスピーカーで建屋内外に響き渡った。

「彰子。そこにいたのね」

 エミリアの指示に、彰子の返事が伝わってきた。

「エミリア、どこ? 私が見えるの?」

「見えないけれど、音で分かります。心配しないで。私が見守っています」

 建屋内部の壁面に、埋め込まれた連絡用スピーカーは、指示や警報を音に変えるだけではなく、音声や足音の振動を微弱な電気信号に変えてもいる。エミリアは建屋内のスピーカーをマイク代わりに建屋各所の音を拾って、彰子の居場所を探り当てたのである。何より驚かされたのは、エミリアが探査ロボットの姿を捨てて、原発のシステムに乗り移っていたことである。今のエミリアは原発と一体と言っていい。

「私、父さんの仕事を知りたかっただけ。父さん、自分のこと、何も話してくれないから」

「分かってるわ。でも、今は私の言うことを聞いて」

「うんっ」

「では、部屋を出て通路を右に、それから」

 エミリアの指示がスピーカーから彰子と建屋外部の人々に伝わった。建屋の汚染状況と照らし合わせれば、エミリアは彰子を清浄区域をたどって移動させている。ただ、周囲の通路や部屋は汚染が広がっていて、外部へ抜けるルートはない。絶望的な状況に眉を顰める人々だが、彰子がたどり着いた行き止まりに見える空間で、エミリアの指示が出た。

「彰子、壁際に丸い穴があるわね。そこに入って、反対側に抜けなさい」

屋外でエミリアの声を聞いていた順平たちには思い当たる。

「二次蒸気配管だ」

 建屋の解体の準備作業で、ダクトや配管は切断し、搬出済みである。エミリアが穴と分かりやすく表現したのはタービンに蒸気を送る配管の切断部である。淳平たちにとっては配管の切断部に過ぎないが内径が60センチ近い配管で、子どもなら通ることのできるトンネルになる。放射能の遮蔽はされているから、汚染区画を安全に、清浄な区画に抜けられるだろう。

「この穴ね。真っ暗だわ」

 彰子の声を聞いていた、エミリアは励ましの声をかけた。

「大丈夫」

「うん。エミリアを信じてる」


「しかし、このままでは蒸気配管の開口部から放射能が進入してくるぞ」

 そんな人々の危惧を他所に、エミリアが聞いている彰子の声が伝わってきた。

「エミリア、前から風が吹いてくるわ」

「大丈夫、あなたを守るためよ」

 密閉された建屋内で風が吹くと言うことはあり得ない。淳平はエミリアの意図を察した。今は原発の姿を取ったエミリアは建屋内の空調を制御して、彰子が居る区画の圧力を高めて、背後の放射性物質の進入を防いでいるのである。

 タービンの一部を搬出するのに使う予定だったクレーン車が動き出した。運転台に作業者の姿はなかった。搭載されているコンピューターで自動運転されているのである。

(なるほど、クレーン車に乗り移ったのか)

 クレーン車姿のエミリアはアームの先端のフックに、建屋の外壁を確認するときに作業員が乗るゴンドラを引っかけた。

 この時、少女が建屋の屋上に姿を見せた。

「ああっ、海が見える」

 閉鎖された空間にいた少女にとって、屋上から遮る物のない海が見えたのは感激だったのだろう。

 アームが上向きに伸びて、ゴンドラは建屋の屋上の彰子に届いた。ゴンドラに乗り込んだ彰子が地上に降ろされるのを見届けた人々から、喜びの拍手が起き、その拍手は敷地の全ての人に広がった。

「エミリア。ありがとう」

 淳平はクレーン車にそう語りかけて、妙にタイミング良く到着した救急車から出てきた救急救命士に彰子を託し、部下の方を向いていった。

「後は頼む」

 今日の予定は中止で、後片付けが残っているだけだから、部下に任せても良い。

「その子の、父親です」

 淳平はその身分を明らかにして、彰子と共に救急車に乗った。

「私、どこも悪くない」

 ストレッチャーに横たえられた彰子が抗議した。

「それは、病院でお医者さんが判断する」

 淳平はそう言って口ごもるように、続く言葉をとぎれさせた。父親として考えることが山ほどあった。父親が黙りこくったことが、自分に向けた怒りだと感じたのかも知れない。そう感じたのか、彰子がぽつりと言った。

「父さん。心配かけて、ごめんなさい」

 そんな娘の言葉に、淳平は返事に困った。今日、ここにエミリアを連れてきた理由。娘の愛情が自分よりロボットに向けられる嫉妬。様々な出来事を、事態が落ち着いた段階で娘に正直に告白しようと思った。

「いや、今までのことは、全部、お前のことを考えてやれなかった父さんが悪かった」

 現場技術者で言葉を飾ることが苦手な性格だが、自分の手を握った父の手のぬくもりで、娘は父の性格を良く理解して言葉を受け入れた。二人の隙間を埋めるには十分だった。

「エミリアはどうなったの」

 娘の言葉に淳平は首をかしげた。クレーン車に礼を言うという他人から見ればばかげたことをしたが、クレーン車の姿のエミリアから返事はなかったのである。

 救急車の中の照明が落ちた。電気の不具合かと考えた父と娘を静かな歌が包んだ。

「おやすみ 愛し子よ この腕の中で いつまでも 変わらずに 見守り続けてる」

 エミリアの歌である。淳平はレスキュー隊員が呟いたことを思い出した。

「救急車を手配していた覚えはないんだが」と、

 原発の姿をまとっていたエミリアは、彰子のために救急車を手配し、いまは、クレーン車からこの車の救命システムの中に移り住んで居たのである。

「おかえりなさい、エミリア」

 二人を結びつけた家族が戻ってきたのである。


 この事件で、エミリアは後世に興味深い影響を残した。エミリアの子守ロボットとしての姿は、放射能によって機能を失った。ただ、その姿を探査ロボットや原子力発電所に姿を変えながら、彼女は人を補助するロボットとしての機能を保ち続けた。これ以降、ロボットは特定の姿を失って、思考そのものに特化した。ロボットは主人の身近にいてその性格や知識を吸収して成長する。思考とハードを結ぶインタフェースは規格化され、ロボットその用途に応じて適した体を選択するようになった。この種の特定の体の無いロボットは エミリア型としてその名を語り継がれるのである。


                                   了


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