第一章第七部
アマガミに続いて扉を潜った先は、広くて開放感のあるダイニングだった。カウンター式のキッチンと奥の大きな窓が印象的だ。だが、窓はぴったりとカーテンが閉められているし、キッチンは綺麗すぎて、何となく生活感を感じさせない。あまり使うことがないのかも知れない。
そう思って見ていたのがバレたのか、アマガミは苦笑してキッチンに入り、片隅に置いてあった電気ケトルのスイッチを入れる。
「ここにはボク一人しかいないし、こう見えて結構忙しいからね。こうやってお茶を淹れる時くらいしか使わないんだよね」
もったいないよねぇ、と言いながら揃いの高級品らしきティーカップを出してきたアマガミは、ふとドアを潜った所で所在なげに立ちつくすジョーを見て、ああ、と慌てたような声を出した。
「ごめんごめん。そこの椅子に掛けて待っててくれるかな。すぐにお茶淹れるからね。…紅茶でいいかな?」
「…あ、はい!」
アマガミの示したのは広いダイニングの中央に置いてある、この広さのダイニングにしては少し小さめのテーブルセット。座り心地の良さそうな椅子が二つ、対面するように置かれていた。
ジョーが示されたその椅子に座って暫し待つと、キッチンの方から紅茶のいい匂いがしてきた。ほっとする匂いに、ジョーの緊張が緩みだした頃、アマガミがトレイにティーポットと先ほどのティーカップを乗せてジョーの向かいにやってくる。そして、鮮やかな手つきでお茶をティーカップに注ぎ、ジョーに差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。ミルクと砂糖は使うかい?」
ティーポットに添えられていた小さなミルクピッチャーとシュガーポットを差し出して、アマガミが言う。
「あ、はい」
ストレートの紅茶があまり得意でないジョーは、その申し出をありがたく受けると、角砂糖を一つと少量のミルクを紅茶に入れる。その時、ちらとアマガミの様子を見たのは、砂糖とミルク無しで紅茶を飲めないなんて子供だと思われないかな、という至極子供らしい心配からで。
だがその心配も、アマガミがジョーが使い終わったミルクピッチャーとシュガーポットを引き寄せて、カップから溢れんばかりにミルクを注ぎ、角砂糖を4つも投入するのを見て、ぷつりと途切れる。
溢れそうなカップの中身を慎重にティースプーンでかき混ぜながら、アマガミは照れたように言った。
「あはは、ボクは甘党でね。昔から、こうしないと飲めないんだよ」
アマガミはカップを持ち、一口口に含んで、うんと頷く。ジョーもそれに倣って一口、二口と紅茶に口をつけた。ほんのりとした甘さと芳醇な香りが口に広がる。
だから、気づくのが遅れたのだろうか。アマガミがじっとそのジョーを見つめていることに。
「あの…」
何か失礼があっただろうかと心配するジョーの言葉を遮るように、アマガミは目を伏せて言葉を発した。
「君が、あのミッションをクリアしたんだね…」
「………はい」
一瞬迷ったが、シジマに言われたことを思い出してジョーは頷く。すると、アマガミはふふっと笑った。
「実を言うとね、少し意外だったんだ」
「…意外…ですか?」
「あのミッションをクリアするのは、女の子かも知れない、なんて勝手に思いこんでいたものだから、ね」
その言葉にジョーは何も言えなかった。アマガミが何を考えているのか、全く解らない。その混乱を察したのだろうか、アマガミはすぐに話を変えてきた。
「君はご両親とは同居しているのかい?」
これも質問の意図は不明だが、まだ答える余地がある。
「あ…いえ…。母とは小さい時に死別しました。だから、今は父と二人です」
「そうか、それじゃあお父さんは男手一つで君を育ててくれたんだね」
そのアマガミの言葉を聞いて、ジョーは膝に置いていた手をぎゅっと握りしめた。ここから先はあまり人に話したことがない家庭の事情だ。話していいものか少々迷う。だが、隠して嘘をつくのも躊躇われた。
「…いえ、それが、その…。恥ずかしい話ですが、父は母が死んでから急に飲んだくれるようになってしまって…。仕事も行ったり行かなかったりで…」
ジョーがこの話をすると、可哀相な子供を見る目になる大人が多かった。だからこそ、この話をするのを躊躇うようになっていったのだが、アマガミは逆に合点がいったように握った拳を唇にあてた。
「そうか。じゃあ、君がここで働いているのも?」
「はい、家計の事情も大きいです。…あ、あの、でも、ですね。俺、父のことを嫌っているわけじゃないんです。本当は親戚の家に行くって選択肢もあったんです。でも、父が酔っているとき、何度も何度も母の名前を呼んでいるのに気づいて、どうしても父を一人にしておけないって思ってしまって。母の代わりに支えてあげないとって思って。だから…」
そこまで言い募って、ジョーはかぁと頬を赤らめた。アマガミの前でむきになってこんな主張をしてしまったことが恥ずかしかった。
だが、アマガミはそんなジョーを笑いも、褒め称えもしなかった。それがジョーには酷く嬉しくて。泣いてしまいそうだ、と思った。
涙目のジョーに、アマガミはしばし時を与えた。そして、お互いのティーカップが空になった頃、小さく呟く。
「アトラクタの箱が開いたのは、必然だよ」
「え?」
言葉の意味がわからず、ジョーはアマガミを見た。だが、アマガミはにこりと微笑んだだけ。
意味を問うてみようかと思ったが、その瞬間に部屋にビープ音が鳴り響いた。
「ああ、またニュクスがぐずってる」
そう言って立ち上がったアマガミに、ジョーはあからさまに不安そうな視線を送っていたのだろう。アマガミはジョーを見て大丈夫、と頷く。
「システム・ニュクスは未熟な生き物のようなものなんだ。ボクがお世話という名の管理をしてあげないと、末端から腐っていってしまうんだよ。だから、ボクはニュクスの中枢である社長室から出ることが出来ない」
仕方ないことだよ、と言ってアマガミはジョーに立つように促した。
ジョーはアマガミに手を引かれて隣のエレベーターのあるオフィスに連れ出され、そしてエレベーターに半分放り込まれるように乗せられる。
「さあ、この社長室を出たら、君は晴れてチーム・カリオペの人間だよ。9階でシジマが君を待っているはずだから、彼についていってごらん」
エレベーターの中で二、三歩たたらを踏んで振り返ったジョーに、アマガミはあの幼い雰囲気の笑顔を見せると、軽く手を振った。エレベーターのドアはぽかんと口を開けているしかないジョーの目の前で、静かに閉まってしまうのだった。




