第一章第六部
翌日、出社したジョーは少々緊張しながら9階にある社長室行きエレベーターの前に立っていた。10階社長室へ行くには、9階奥にある専用のエレベーターを使うしかないのだとシジマに説明されていたからだ。
そのエレベーターの扉の前には警備担当と思われる社員が二人立っている。二人ともがっしりした体つきで隙もなく、一介の高校生であるジョーなど一捻りで動けなくさせることができるだろう。
社長であるアマガミに呼ばれて来ているのだから、そんなことにはならないと解っている。だが、反射的にジョーの緊張は増していった。
ジョーがやってくると、警備員たちは顔を見合わせてから一人がずいと前に出てきた。
「社員証を拝見します」
「あ、はい」
いかつい見た目にそぐわないような慇懃な態度に、ジョーは慌てて胸ポケットに入れていた社員証を取り出し、その警備員…胸のネームプレートには「フジワラ」と書かれている…に渡した。フジワラはジョーの社員証を見て小さく頷き、すぐに返してくれた。だが、フジワラが後ろに控えていたもう一人の警備員に目配せをすると、その警備員もジョーの側に寄ってくる。
「失礼ですが、身体検査をさせて頂きます」
その警備員はジョーの体に軽く触れて危険物を所持していないか調べ始めた。
事務的なそれらをの検査をつつがなく終えると、フジワラはジョーに一礼する。
「失礼しました。カリオペへ移籍される社員№20035、ジョー様と確認しました」
慌てて、ジョーも軽く礼をすると、フジワラは事務的に微笑んで説明を始めた。
「では、社長室へ入るにあたっての注意点をお伝えします。といっても、そう堅くなることはありません。中には社長と君の二人だけになりますし、お話をしてくる、くらいの気持ちで楽に考えてほしいと伝言を頂いています。ただ、勿論社長に対する最低限の礼節は守るようにしてください」
「はい…」
ジョーが頷くとほぼ同時。チン、という到着音と共に目の前のエレベーターの扉がすっと開く。中に上等そうな赤絨毯の敷かれたそのエレベーターに、ジョーはごくりと喉を鳴らした。
「さ、どうぞ。上で社長が承認していますから、乗っていれば自動的に10階へ行きますよ」
フジワラの促す声に従って、ジョーはエレベーターに乗り込んだ。ジョー一人で乗るには広すぎるような気もするエレベーター。
ふと振り返ると、エレベーターのドアが閉まるところだった。ドアの向こうのフジワラの事務的な微笑みが欠けて行くのを見て、ジョーは何故か不安をかき立てられた。
だが、今更社長室に行きたくないと駄々をこねるわけにもいかなくて、その不安を唾液と一緒に飲み下した。
扉が閉まってしまうと、エレベーターはすぐに動き出したらしく、小さく揺れる。だが、それはほんのすぐに止んだ。1階分しか上らないのだから当然なのだが、ジョーは覚悟を決める暇も与えてくれないジェットコースターのような理不尽さを感じてしまう。
チン、という到着音。そして、開く扉。ジョーの心臓はどくどくと早鐘をうつ。
そして、ドアが開ききった時、ジョーはその場にへたり込みそうになった。
そこは社長室とは名ばかり。今までエウテルペの仕事をしていたオフィスと大して変わらない部屋だった。立ち並ぶモニターや計器が明滅する研究室のような部屋。そして、部屋の真中に二つのスリープポッドが並んでいる。
ふらり、とジョーはその社長室に足を踏み入れる。
慣れ親しんだような部屋の雰囲気に、ジョーは次第に冷静さを取り戻し、論理的に物事を見られるようになっていった。
ここはシステム・ニュクスの管理者も務める社長・アマガミのオフィスなのだろう。部屋の広さもエウテルペのオフィスと変わらないところを見ると、奥にはもっと社長室らしい部屋や、社長室から殆ど出ることのないアマガミの生活スペースなども設けられているのかも知れない。
ただ一つ、この部屋で目を惹いたのは最奥に位置する壁にかけられた赤いカーテン。緞帳というのだろうか。そこに舞台でもあるのかと思うような立派なものだ。その緞帳には金糸で社章が華麗に刻まれていた。
その社章に見惚れて、また一歩足を踏み出した時だった。
かちゃり、という音にそちらを見れば、緞帳の脇にあった扉が開いていて、そこから一人の男性が顔を出し、こちらを見ていた。
「やあ、君がジョーくんだね」
そう言いながら扉から出てきたのは黒縁眼鏡が印象的な30代半ばといった容姿の痩せた男性で。ジョーは目をぱちくりさせる。
「貴方が社長…ですか?」
言ってから、ジョーはしまったと思う。失礼だっただろうか。
だが、その男性は特に気にする様子もなくにこりと微笑んで頷いた。
「ああ、ボクが社長のアマガミだよ。よろしくね」
社長という言葉の響きから、貫禄のある恰幅のいい中年男性を思い浮かべていたジョーは、そのフランクな…というより若干幼さを感じるくらいのアマガミの言葉に、口をぽっかりと開いたまま呆気にとられていた。
アマガミはそのジョーを見て小さく首を傾げると、手にしていた何かをジョーの開いたままの口に放り込んだ。
「んう!?」
それが何なのか解るまでジョーは慌てふためいたが、すぐにじわりと舌に甘い味が染みてきて、それが何であるのか悟る。
「大丈夫、ただのキャンディーだよ。おいしいでしょ?疲れた時、何か考えたい時、混乱した時、甘いものは脳の栄養になってくれるからね」
そう言うと、アマガミはジョーを扉の向こうへ手招きした。
「こっちがダイニングになってるから、おいで。お茶くらい飲んで行くでしょう?」
そう言われてしまえば、ジョーには逆らうことなどできない。口の中でころとキャンディーを転がしながら、ジョーはアマガミの後を追った。




