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第一章第二部


 ビルのエントランスに設置されているセキュリティゲートに社員証をかざすと、シャランという清かな認証音がしてゲートが開く。そのゲートをするりとすり抜けて狭いエントランスホールを横切りビルの外に出ようとしたところで、ジョーはぴたりと足を止めた。

 誰かに呼び止められた気がしたのだ。

 肩越しに後ろを振り返ると、ジョーが今すり抜けたセキュリティゲートの向こうからセーラー服の少女が跳ねるように駆けだしてきた。彼女はジョーと同じように社員証でセキュリティゲートをすり抜け、隣に並んだかと思うと、ジョーの顔をのぞき込むようにしてにこっと白い歯を見せ、小動物のような愛嬌のある顔で笑う。

「先輩っ、駅まで一緒に行きましょ!」

「ピナ…」

 ジョーがその様子に呆れたように名を呼ぶと、少女は小さく首を傾げる。どうしてそんな風に呼ばれたのか解らないといった風情だ。

 少女、ピナはジョーの「アルバイト」での後輩に当たる。その屈託のない性格故か、それともジョーが特別気に入られているのか、先輩先輩と呼び慕ってくれる様は親鳥の後についてくる雛鳥のようで微笑ましいのだが。

「また待ち伏せしてたのか?」

 そのジョーの言葉に、ピナはぷーと頬を膨らます。

「先輩は、こんな夜道を女の子一人で帰すつもりなのかなぁ」

 確かに、腕時計を見ると時間は既に22時を回っている。加えて駅前はともかく、このビルのある辺りは人通りも少ない。高校生の女の子が一人歩きをするには少々心細いのは頷けた。

「解った解った。今から別々に、とか言う気はないよ」

 降参、と両手を胸の辺りまで挙げてジョーが言うと、ピナは膨らませていた頬を嬉しそうに緩ませて、とんとんとまた跳ねるように軽やかな足取りで先行し、ビルの入り口の自動ドアを開ける。

「先輩、早く早く!」

「はいはい…」

 自動ドアを出て空を見上げると、どんよりと曇った空からは今にも雨粒が落ちてきそうだった。急いで駅に向かった方がよさそうだと判断したジョーは足早にビルを離れようとして、ピナが付いてきていない事に気づく。

 さっきはあんなに急かしていたくせに、ピナは出入り口を数歩離れた場所で、自分が今出てきたビルを見上げていた。出入り口の上には地味な、しかしそれなりに重厚な金属製のプレートが貼り付けてある。プレートには、社章でもある女性の横顔のレリーフと共に「ムネモシュネ企画」という社名が刻まれていた。

 「ムネモシュネ企画」はこの地方都市の郊外にひっそりと拠点を置く小さな企業だ。正社員の数は少なく、残りの従業員の殆どがアルバイトの学生である。ジョーやサキチ、ピナも本業は高校生だが、ムネモシュネ企画でアルバイトをしている身分だった。

 ピナはその社名の刻まれたプレートを見上げながら、ぽつり呟く。

「不思議、だよね…」

「ん?」

「高校生でも出来る簡単なデータ復旧のアルバイトって言われて入ったのに、実際にその普通のデータ復旧の仕事をしたのはほんの一週間くらいのことで…」

 ピナの言うとおり、ムネモシュネ企画の基幹業務は各種「データの復旧」であり、実際にその業務を専門に行う部署もある。

 しかし、それは限られた「表の顔」でしかない。

「本当は他人の夢に潜入して、その人が忘れてしまった記憶を復旧させる仕事、だったなんて。それこそ夢みたいな話だよね」

 そう言うピナの目がきらきらと輝いて見えるのは、道端の街灯の光が反射しているからだけなのか、それとも…。

 ジョーはピナに倣って、ビルを見上げた。一見はそれほど大きくもない何処にでもあるビル。

 だが、そのビルを見上げる自分の瞳も、ピナと同じようにきらきらと輝いているのを、ジョーは知っているだろうか。

 今を去ること数年前、とある男が開発したのは、他人の夢へと潜入し、その記憶に触れることの出来るシステム。その名を「システム・ニュクス」。対象者に通信機の内蔵されたヘッドホンで特殊な音楽を聞いて眠ってもらうことによって対象者の夢がシステム・ニュクスにマウントされ、時を同じくして潜入者が専用のスリープポッドで対象者と同じ状態で眠ることによって潜入者は対象者の夢の中へと入り込むことができるようになる。その夢の中でアトラクタの箱と呼ばれる箱の中に隠された記憶のピースを集めることで、対象者の無くした記憶が復旧するのだ。

 独創的かつ画期的な発明をしたその男はそのシステムを世に広めることなく、ひっそりと地方都市でこのムネモシュネ企画を立ち上げた。

 システム・ニュクスの詳しい原理も、開発者である社長の意図も、ジョーには解りかねる。だが、自分が誰かの役に立っているという実感を与えてくれるこの仕事は、以前までごく平凡な学生生活を送っていた自分にはとても素晴らしいものに思えた。

 ジョーは無意識に、通学鞄の側面、先ほどサキチに渡された礼状を入れたあたりに手を触れていた。

 その時、ぽつり、とジョーの頬に冷たい感触が触れる。

 それはぱたぱたと音をたてて降りそそぎ始めた、大きな雨粒。

「わ、降ってきたぞ!ピナ、急げ!」

「え?あ、やだホントだ!」

 傘を持っていなかった二人は慌てて駅に向かって走り始める。

 その間、ジョーは自分は濡れ鼠になりながらも、礼状の入った学生鞄をずっとその胸に抱いてかばうようにしていた。

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