第一章第十部
「せーんぱいっ!」
そう呼びかけられるまで、どれくらいの時間があっただろうか。目の前にはピナが立っていて、心配げにジョーを見上げていた。
「どうしたの、先輩。さっき出て行った人と何か揉めてたみたいだったけど…」
どうやら、長く感じていただけで、実際はそんなに経っていないらしかった。ピナにハジメとのやりとりを見られた気恥ずかしさに、ジョーはごほんと咳払い。
「なんでもない。それより、また待ち伏せか?」
「だって、先輩の昇進お祝いしたかったんだもん」
へらりと微笑んでそう言ってのけるピナ。その手には最寄り駅の近くで売られている美味しいと評判のドーナツの箱が握られていた。
「お前、それ、自分が食べたいだけだろ」
「えへへ」
ぺろりと小さく舌を出したピナ。だが、次の瞬間、ピナは背後の出口の方を振り返った。
「そういえば、さっきの人、カリオペの人?上手くいってないの?」
「ああ、唯一のチームメイトらしいし、上手くやってきたいのは山々なんだけどな。向こうにその気が全然無いみたいだし…」
ため息をつきそうになってから、ジョーはピナに愚痴を言ってしまったことを恥じる。
「ごめ…」
「でもさっきの人、なんだか寂しそうな苦しそうな顔、してたけど…なぁ」
ごめん、忘れてくれ。そう言おうとしたジョーを遮って、ピナは首を傾げた。ジョーはそのピナの言葉に目を見開く。
「…寂しそう?」
「うん、あ、見間違いかもだけど…」
腕を組み、難しい顔で明言してから、なんとも頼りない付け足しをしたピナだが、ジョーは何故かそれが真実であると確信していた。
ピナは天然なようでいて妙な所で鋭いし、人の感情に聡い少女であるのは解っていた。それに、エレベーターに乗った直後のジョーも、ハジメの言葉に同じ感想を持ったのだから。
(結局、ハジメについては解らないことばかりだな…)
「それより、先輩。どっかの公園でドーナツ食べよ!」
解らないことも心配なことも多い。だが無くした記憶のように、真実のピースが足りない今、あれこれ悩んでみても始まらない。ジョーはピナの頭にぽんと手を置いた。
「補導されるような時間までは付き合わないからな」
「やったー!」
素直に喜ぶピナを見ながら、ところであの大きな箱の中身を食べるのは自分とピナだけなのだろうか、と若干自分の胃が心配になるジョーであった。




