2キロ分の恋の重さ
痩せろ、と、長年変わらずに隣にいる相方に言われたので、私は渋々痩せることとなった。
手始めに十一月初旬の寒空の下、噴水公園までウォーキングなんて始めてみたのだが、歩き出して数分。履き慣れないパンプスで靴擦れした足が痛くて、もう挫折しかけている。
足は痛いし、この寒い中でも体は汗ばむ程度に温まったわけだし、充分運動したんじゃないかしら。
目的地の噴水公園まであと数分という距離まで来て、私は満足してさっさと踵を返した。
幼馴染みの龍司と付き合い始めてから、二年になる。
と言っても、幼稚園の頃から龍司はずっと隣にいて、小学校も中学校も、高校まで同じところを選んだ私たちは、実の家族よりも長い時間を共に過ごしていたのだから、付き合い始めたからといって色っぽい関係になるわけでもなく、相変わらずの腐れ縁を続けていた。
高校を卒業した後、私は憧れだった女子短大に進学して女子力を磨くキャンパスライフを、龍司は偏差値の高い有名大学へ進んで元々出来の良い頭を一層磨き上げていた。大学こそは離れたが、偶然バイト先が同じになったので、結局はそれまでとなんら関係は変わらなくて。
時々一緒に旅行に行ったりなんかはしたけど、別にそれは恋人だとかそういう関係だったからではなくて、私にとって龍司は、実の兄のような存在だったからだ。
良く言えばマイペース、悪く言えば鈍臭い私を、いちいち引っ張ってくれる龍司と一緒にいるのはとても楽だったのだ。何も言わずとも私が何をしたいのかすぐに悟って、一歩前を歩いてくれる龍司を、私は好きだった。…恋愛的な意味では無くて。
私は平凡なOLになって、龍司は有名な会社に就職して、その頃、まるで遊びの約束をするように前触れも無く、「付き合うか」と龍司に言われ、うん、と頷いたから、私たちは唐突に『恋人』というものに昇格した。
私も龍司も、何人か恋人が出来たことはあるのだが、どちらも長続きしない性だった。私は、私のマイペースさに嫌気が差して相手に振られる、というパターンを繰り返していたのだが、龍司はよく解らなかった。
頭が良くて背が高くて、結構なイケメンの部類に属する龍司は、いつも告白される側だった。来る者を拒まない龍司は、告白されるとすぐに付き合ったけれど、一週間もしないうちに別れた。
周囲をカップルが埋め尽くしていた高校時代のことだった。
告白されては振り、告白されては振り。毎回毎回それが繰り返されるので、私は振られた彼女たちに同情して、思わず龍司に問い詰めたのだ。・・・私自身が、相も変わらずに振られた直後だったから、というのも、龍司に腹が立った原因の一つだけれど。
とにもかくにも、詰め寄ったのだ。「どうしてすぐに振るの」と。
すると龍司は、ムッとした表情で返した。
「好きじゃねぇやつと一緒に居て、何が楽しいんだよ」
私は半狂乱になりながら、龍司にぬいぐるみだの携帯電話などを投げつけながら反論した。好きって言ってくれてるんだから、好きになりなさいよ。とか、これから好きになるかも知れないじゃない。だとかだ。
そうしたら、龍司は私の腕を掴んで、一層苛立ったような声色で呟いた。
「じゃあお前は、好きじゃねぇやつとセックスできんのかよ」
思わず絶句して、真っ赤になって、龍司の顔面を殴りつけて逃げ出した。うら若き女子高生に対して、なんて質問をするんだろう。セクハラだ。
恥かしくて、憤慨して、暫く龍司とも話し辛かった。もうあの頃から、龍司の恋愛に関しては口を出さないようにしようと固く誓っていた。
そんなことがあっても私と龍司は何も変わらず、隣合っていたのだ。
大学の頃はよく合コンなんかもした。いつも龍司はモテて、私は龍司の友人を密かに狙っていたのだけど、結局付き合うにも至らなかった。
就職活動が上手くいかなくて嘆いていたとき、叱咤激励したのは龍司だった。「お前、鈍臭いけど元気だけはあるんだから頑張れよ」と、褒めてるのかけなしてるのか解らない言葉に、思わずゲラゲラと笑った。
龍司が落ち込んでいるのは一度も見たことが無かったけど、私は何度も励まされた。そんな関係だったからこそ、私にとって龍司は「お兄ちゃん」みたいなものだったのだ。
恋人になって二年。「お兄ちゃん」と色っぽくなることなんてあるわけない。「恋人居るの?」と聞かれれば、「一応いる」とは答えるけれど、恋人だと思ったことは、あまり無い。
ウォーキングで火照った体を冷やしながら、私は龍司の住むアパートへと向かっていた。今日は龍司も私も仕事が休みで、朝からまったりと龍司の部屋でゲームをしながら過ごしていたのだ。
凡そウォーキングをしている様には見えない、カーディガンにパンプス、というガーリーな服装なのは、そのせいだ。まさか龍司の家に行った結果、ウォーキングをさせられるとは思っていなかったから、買ったばかりのピンクのパンプスを履いてきたし、ふわっとしたリボンのアクセントがついた可愛いカーディガンなんか羽織ってきたのだ。
龍司の部屋があるのは三階で、龍司はいつも階段で上がるらしいのだけど、私は慣れた風でさっさとエレベーターに乗り込んだ。
三階で降りて、痛む足を引き摺りながら歩き出す。三三七号室のチャイムを鳴らして、ため息混じりにその扉を開いた。
「…なんか早くないか」
開いたその先で、龍司は腕組みをして立ち塞がっていた。襟ぐりの広いシャツから丸見えの鎖骨は、幼馴染みですらちょっと色っぽいなとか思ってしまう。
「ちゃんと噴水まで行ったの?」
腕組みしたまま、龍司が目を細めて見下ろしてくる。暫しその目を見つめ返していたが、へらりとだらしなく笑ってみせると、龍司は途端に大きな溜め息を吐き出した。
「途中で挫折したのか。ほんとにお前は…」
「でも、近くまでは行ったよ?」
「近くまでじゃダメだろ。目的地までちゃんと行かなきゃ」
呆れたような口調の龍司に「へへへ」と誤魔化した笑いを投げて、パンプスを脱ぎ捨てる。それを見た龍司が眉間に深く皺を寄せたので、そっとパンプスを両足揃えて玄関の端へと移動させた。
「いつもよりは歩いたと思うよ。充分運動したもん」
言って、龍司の脇をすり抜けようとした時、不意に伸びてきた龍司の手が問答無用で私のわき腹をがっしりと摘んだ。思わず「ぎゃあ」と叫べば、見下ろしてくる目は完全に呆れていた。
「自覚したんじゃないのかよ、この余分な肉を」
「したよ!したから歩いてきたじゃん」
「数分歩いただけで痩せると思うな」
ぴしゃりと言われ、反論も出来ずに丸めた右手でポンと龍司の胸を叩いた。ちょっとした反抗のつもりだったのだが、それに龍司は「ほう」と目を細める。
「寒いだろうと思って紅茶準備してたのに、そう来たか。よろしい、貴様は水だ、水で充分」
「うわぁぁ、ごめん、龍司っ」
ずんずんとキッチンへと去っていく龍司を、慌てて追った。見れば、龍司愛用のポットがコンロの火に掛けられている。テーブルの上には、私が好きなアールグレイの茶葉が準備されていた。
「龍司、お砂糖とミルクは?」
「…」
龍司の冷たい視線が刺さる。
「な、なに」
「痩せろって言ったんだよ、俺は。ストレートで飲め」
「えー。せめてお砂糖は欲しいよ!」
「じゃあ今度は走って来い。そうしたら考えてやらんでもない」
走りたくはない。
渋々席に着くと、龍司は長い指先でポットとティーカップを持ってきて、慣れた手つきで私に香りの良い紅茶を差し出してきた。
くんくんと匂いを嗅いでいれば、向かいに座った龍司はにっと嬉しそうに微笑んだ。
「良い匂いだろ」
「うん。いつもより良い茶葉買ってきたの?」
「たまにはな」
思わず釣られて微笑んだ。龍司と私は、紅茶が大好きだ。お菓子の時間には、必ず龍司が紅茶を入れてくれる。二人でのんびりお茶を飲んでいる時間は、ただただ癒される時間だった。
いつもよりも高価な茶葉で入れた紅茶は、口に入れた途端に、わぁっと気品のある甘い香りを溢れさせていく。いつもは砂糖とミルクで味をつけているが、こんなに良い茶葉だから味を足さなくてもいい。むしろストレートで飲むのが、一番贅沢な飲み方だ。
「紅茶も良い匂いだけど、ちょっと気になる匂いがするね」
紅茶の美味しさにふにゃふにゃと顔を緩めているのを龍司に見られていたらしい。まるで幼い子供を見るような優しい視線でこちらを見てくる龍司に堪え切れず、私は慌てて視線をキッチンへと逸らした。
先程までポットがあった場所には、大きな寸胴鍋が火に掛けられている。そこから溢れてくる醤油や味醂を混ぜたような和の香りに、思わず涎が出そうになった。
すると、あんなにも優しく微笑んでいた龍司が、ふとまた眉間に力を入れて鋭い視線を向けてきた。
「食わせねぇぞ」
「ひどい!」
この匂いは、どう考えても龍司が得意な肉じゃがの香りだ。料理上手な龍司の肉じゃがの匂いは、私の腹時計をぐいぐい刺激する。
「おい」
「はい」
「俺、なんて言った?」
「…二キロ痩せろ」
「そうだ。痩せろ」
言って、龍司は優雅に紅茶を啜る。それを恨めしげに睨んでから、私は大きな溜め息を吐き出した。
「なんか太ったな」
テレビゲームに夢中になっていた時、不意にそう言われた。画面から目を離して、隣に座っている龍司を見れば、龍司は繁々と私の体を眺めている。
「一回りくらい太っただろ」
「…そうかな」
そっと視線を逸らすと、龍司はがしりと私の二の腕を掴む。
「肉がはみ出る」
「ちょっと、嫌な言い方しないでよ」
今度は頬を摘まれる。
「ぽっちゃり」
「…ぽ、ぽっちゃりじゃないもん」
最後に、座った状態だったからスカートに乗っかっていた脇の肉を、しっかりと掴まれた。
「おい、痩せろ」
その言葉に、咄嗟に龍司の手を叩き落として、首を横に振った。
「そんなに太ってないもん!」
「いや、太ったね。夏終わってから一ヶ月半くらいで、急激にぶくぶく太ったね」
「ぶくぶく!?」
相変わらずじろじろと刺さる龍司の視線を遮るように、彼の部屋に常備している愛用のひざ掛けで腹を隠した。すると、龍司の視線は私の顔に移動する。
「頬もぷくっと」
「ち、ちがうよ」
「何キロ増えた?」
私の反論なんか聞く気はない龍司の、問い詰めるような視線が真っ直ぐに私の目を覗く。むにゃむにゃと口ごもれば、龍司がじりじりとにじり寄ってきた。
「当ててやろうか?そうだな…」
まるで値踏みするみたいに全身をくまなく這う龍司の視線に堪え切れず、私は龍司を両手で押し返す。
「二キロ!!二キロ太ったの!!」
「二キロ?」
龍司の目が細まった。
「二キロ太るとか、やばくねぇ?」
「やばくないよ。たった二キロじゃん!」
早口で返すと、龍司は一層目を細める。
「たった二キロ?」
そうだよ、と返して、そそくさとテレビゲームの画面へと視線を戻した。お気に入りのキャラクターがせっせと畑を耕す姿は、何度見ても可愛い。
しばらく横から龍司の視線が刺さっていたが、必死にゲームへと意識を逸らした。そうしているうちにふらりと立ち上がった龍司は、そのまま部屋を出て行ってしまった。
最初は「あれ?」と思ったが、財布を持って出かけたあたり、何か買いに行っただけだろうと推測して、私はまたゲームへと没頭した。
十分程で、龍司は帰ってきた。その手に近所の精肉店の袋を持っていたから、やはり買い物に行っただけだったのかと、何気なく「お帰りー」と返した。
しかし、返事は無い。がさがさと精肉店の袋を揺らしたまま、龍司は真っ直ぐに私に歩み寄ってくる。
何事かと見上げれば、袋から朱色の包みを取り出した。近所にある、町の小さな精肉店は、とてつもなく安いくせに、なかなか良い肉を扱っている、と龍司は得意にしていた。
そういえば今日は牛肉が百グラム九十八円だと龍司が言っていたなぁと思っていれば、何を思ったのか、龍司はその肉が包まれた朱色の包みを、私の両手の上にどさりと置いた。
「え、え、なに、なんか重い」
思った以上に、その包みは重かった。一人暮らしの龍司にしては、かなり買いすぎの量だ。
その重い精肉を手に乗せたまま龍司を見上げると、彼はぴしりと指差して、憮然と言い放った。
「それ、二キロ」
「…え?」
意味が解らずに首を傾げると、龍司は眉間の皺を深める。
「それが二キロの肉だ。お前は夏から今までの約一ヶ月半のうちに、その分太ったことになる」
「…」
二キロ。二キロの牛肉。約二千円分の、肉。
これが、私が太った分の肉なのだ。
「ひぃぃぃ!!!」
「重いだろ?たった二キロじゃないだろ?」
「うん!!二キロ、重い!!すごく重いよ!!」
「じゃあ?」
龍司が、しゃがみ込んで視線を合わせてくる。言い聞かせるように、「どうするの?」と首を傾げて見せた龍司に、私は泣きそうな声で呟いていた。
「痩せます…」
そうして私はウォーキングに出かけたのだ。
紅茶のおかげで温まってきたせいか、少し眠い。鼻腔を擽る肉じゃがの匂いは気になるけれど、今すぐ寝てしまいたいくらいだ。運動したから、ぐっすり眠れる気がする。
「寝るならベッド行けよ」
龍司の声に、重い瞼をしぱしぱと動かす。
「今寝たら、夜眠れなくなっちゃうもん」
「あぁそう」
言いながらもカクンと頭が揺れると、龍司は笑いを噛み殺していた。
ふらふらとあちこち行ったり来たりの意識の中で、指先を緩い力で掴まれて覚醒した。きょとんと目を丸く開いて見れば、龍司が私の左手を繁々と見ている。
「…どうしたの?」
「いや。指も太ったな」
「…」
つるりと長い指先で、私の左手の薬指を撫でた龍司は、深い溜め息を吐き出した。
「一号分は太ったな。前にあげた指輪は入らないだろ」
「痩せればいいんでしょ、痩せれば」
不貞腐れたように言って口を尖らせる。相変わらずじっくりと私の指を見つめてくる龍司の睫毛は、とても長い。これは龍司の一家全員の特徴だ。家族揃って美形の一家である龍司と比べて、私の一家は至って平凡。しいて言うなら、私が少しマシに育った方だ。
ふと思い出したのは、龍司の二つ年下の妹のことだ。
昔から家族ぐるみで仲が良かったせいか、龍司の妹の羊子ちゃんは、自分の妹のように可愛がっていた。男兄弟しかいない羊子ちゃんも私を姉の様に慕ってくれて、よく恋愛相談やメイクの相談を受けていたことを思い出した。
「羊子ちゃん、元気?」
唐突に聞けば、龍司は一瞬面食らってから、あぁ、と返した。
「言ってなかったか?来年結婚する」
「え!!本当?おめでとう!」
ぱぁっと顔を輝かせると、龍司は苦笑した。
「俺に言うなよ。メールしてやって」
「うん!!今夜メールしてみる」
にっこりと笑ってから、私はしみじみと息を吐き出した。
「羊子ちゃんが結婚かぁ。じゃあさ、あのドレス着れるんじゃない?」
言えば、龍司は僅かに眉間に皺を寄せた。じっと見つめてくる龍司に、へらりと笑ってやる。
「龍司ママが着た、綺麗な真っ白いウェディングドレス」
どれだけ年を取っても美しい龍司の母親に、私は密かに憧れていた。龍司の母のような、美しい人になりたいと。
そんな彼女が結婚式の際に着たというウェディングドレスは、大事に大事にしまわれていた。シンプルで、けれど美しいAラインをしたデザインの、女神様のような純白のドレスだ。
写真の中で、そのドレスを着て微笑む彼女はただただ美しくて、私はそんな花嫁になりたいと密かに願っていたのだ。
「へへ、龍司は知らないだろうけど、一度だけ着させてもらったことがあるんだよ」
「…ふーん」
龍司が仕事で遠くに出張に行っているとき、龍司の母が特別に、とあのドレスを着せてくれた事がある。
一年ほど前のことだったが、ぴったりとサイズが合ったそれは、自分で言うのもなんだが、とても似合っていたのだ。
「私も、あんなドレスで結婚式したいなー」
ふふふ、と夢見がちに言ってみる。結婚は深く考えたことは無いけれど、憧れてはいるのだ。
ロマンチックなプロポーズも、沢山の人の祝福を受ける結婚式も、愛しい人と二人で旅立つ新婚旅行も、何度も想像したものだ。
「羊子ちゃんの結婚式、楽しみだね」
「…羊子はあのドレス着ないけどな」
返して、手元のカップに視線を落とした龍司に、「どうして?!」と甲高い声で聞いてしまった。あんなにも美しいドレスを着ないなんて、一体どうしてだ、と問い詰めるように龍司を見れば、彼は指先でカップをゆらゆらと揺らしていた。
「長男の嫁にしか着せないんだってさ」
「長男って、龍司のことじゃない」
龍司は、三人兄弟の長男だ。長男が龍司、次男が虎次くん、その次が羊子ちゃん。暫しじっくりと考えてから、私はテーブルに頬杖をついて、ほうっと溜め息を吐き出した。
「龍司の奥さんになる人だけが、あのドレスを着れるのかぁ。いいなぁ。羨ましい」
「……それは」
うっとりと彼方を見つめていた私に、龍司はカップを置いてから、覗き込むように首を傾げて見つめてくる。
その目がいつもよりも真剣だったから、私は何も言わずに龍司の次の言葉を待った。それなのに、龍司は何度も言いよどむ。
龍司らしくないなぁ、と、私も首を傾げた。物事をはっきりと言う龍司は、人によってはキツい印象を与えるタイプだ。けれどそれは、決して相手を悪く言っているわけではないので、最初こそ怖いと思われるけれど、結局はいつも頼りにされている。
そんな兄貴肌の龍司なのに、もごもごと口をまごつかせる姿が見慣れなくて、私はただじっと龍司の顔を見ていた。
暫くして、龍司はそっと顔を上げる。目が合うと、切れ長の瞳がすぅっと綺麗に細まった。
昔から大人びていた龍司は、同い年だというのに色っぽさを滲ませる。特にここ数年は、パンツ一丁で遊んでいた幼稚園時代からの幼馴染みだというのに、見ていてドキドキするような色気があるのだ。
例えば今、切なげに細められた目とか、何か言いたげに僅かに開いた薄い唇だとか、鎖骨だとか、首筋だとか。
龍司の醸し出す色気に目を奪われていた私は、ふと龍司がようやく口を開いたことで我に返った。
「まず痩せろ」
……言うと思ってはいたけれど。
そんな色っぽい顔をするから、何を言うのかとドキドキしていたのに、結局はそれなのか。
ムッとした表情を返せば、龍司はふっと笑った。いつもの笑顔だ。それに思わずホッとする。
「二キロ痩せろ。体型戻せ」
「言われなくても痩せますもん!」
「言われなければ太ったとも思ってなかったくせに」
意地になって反論しても、私より頭の回転が断然良い龍司は、すぐに言い返してきて、結局私が言い負ける。
うー、と犬の威嚇のように唸って龍司を睨めば、彼は悪戯っ子のようにニヤリと笑ってから席を立った。
てきぱきとティーカップを片付ける姿を睨んだまま、私は「じゃあ」と口を尖らせる。
「早いうちに、もう一回龍司の家に行かなきゃなぁ」
シンクにカップを慎重に置いていた龍司が、怪訝な顔で振り返る。なんで?と聞く声に、だって、と首を傾げてみた。
「龍司のお嫁さんにあのドレスが貰われていく前に、もう一回着せてもらおうと思って」
言ってから、自分の花嫁姿を思い出して、頬を緩めた。あの時は、ただただ感動しているだけで、写真を撮るのを忘れてしまった。それが心残りだから、もう一度着せてもらえないかなぁ、と微笑んだ。
半ば浮かれた様な顔をしていた私に、龍司は黙って視線を送っていたが、小さな溜め息を吐いたあと、腰に片手を当てた。
「だから、まずは痩せろって言ってんだろ。太ったからドレス入らないだろ」
「…!!確かに!!」
「今気付いたのかよ」
呆れたため息が飛んで来る。
私は慌てて席を立った。
「今から走ってこようかな!」
「噴水まで走っていって、走って戻ってくるんだぞ」
「…それはちょっとキツイよ」
「…」
既に挫折しかけて椅子に座りなおした私を、寸胴鍋の中身を菜箸で突いている龍司の冷たい視線が襲う。
「痩せて、絶対あのドレス着るからね」
目標宣言。
ぐっと両手を握って気合を入れてから、龍司に向かって微笑んでみせた。龍司は酷く複雑そうな顔をしてから、そうだな、と小さく返す。
「二キロ痩せて、左手薬指は一号痩せろ」
「了解!」
この勢いが、数時間で失速するのは目に見えているのだけど、私はやる気満々だった。
あのドレスを着るために、私は痩せることとなった。そう仕向けた龍司は、ただひたすらに重い溜め息を吐き出していた。




