すきなひととあるきたい。
わたし・押日 菜央は今日の作戦に気合をいれました。
カオ――クマもないし。目だって赤くないし。笑顔だって自然に作れてるし。…オッケイ。
髪――早起きしてお姉ちゃんのコロンシャンプー使っちゃったし。サラサラにしたし。…オッケイ。
歯みがきして息もミントの香りだし。第一印象をきめる服だって清潔感バッチリなのにしたし。
肝心の『あれ』を入れる袋だってオシャレな外国のお店のだし。
だいじょうぶ、あとは行動にうつすのみっ!
朝のいそがしい時間帯、おとなりのインターホンをぴんぽーんとならす。
がちゃりと出てきたところを見計らい、さわやかスマイルでごあいさつ。
「こっこんにちはっ ぐーぜんですねサイチさんっ」
出てきた相手はお隣に住む嗣永 佐鴪さん。わたしより六学年上の高校生で、関西弁が特徴のクールガイ。
相手がそろそろ学校へ行く時間帯だというのはリサーチ済み。だってそのために早く起きてきたんだから!
「……あ?」
「こっこここれ 回覧板です! それじゃっ」
すっと手渡し、そのままくるりUターン、かろやかに通学路へ直行。
ミッション……コンプリーーーート!
すきなひととあるきたい。
「……今時 回覧板をインターホンで鳴らして、じかに渡すってのもなあ」
けれど今日の武勇伝を教室でつたえるなり、エビスはあからさまな声をだした。
「でも良かった。今日みたいに早く来てくれれば、私も菜央の遅刻の心配をしなくてすむもの」
栞ちゃんは栞ちゃんで、回覧板の成果をほめてくれないし。
『おとなりの嗣永さんをどさくさにまぎれて名前読みしちゃうぞ作戦』……自分ではほめちぎりたいくらいの大成功だと思ったんだけど。
「だって超カッコイイんだもんサイチさん! あれこそクールなの一匹オオカミなのっ」
「ただの無愛想なだけじゃんか」
「テニス部で無口な関西弁っていうのもポイント高いの!」
「年上だからカッコよく見えるだけよ。菜央にはもっとふさわしい相手が必要だと思うわ」
「栞ちゃんわかってないっ! そのうちサイチさんがわたしにさわやかにほほえんでくれることだって」
「ありえねぇ」
「エビス! あんたはどうしてそんな優しくないのっ」
「おー怖ッ! ヒスってる女って関わりたくねぇなー。菜央も も少し栞みたいに落ち着けよ」
うっ、とコトバにつまった。
バカエビス。栞ちゃんみたいになんてなれるわけないじゃない。
オトナっぽくて、すらっとしてて、髪だってもとからサラサラしてて……
優しいし、みんなから頼られてるし、アコガレのソンザイ。
もしかしてわかってないの? ともいいたくなる。
栞ちゃんとこんなバカ話ができるのは、わたしたちぐらいだってことに。
――栞ちゃんとわたしが出会ったのは、一年生のときだ。
町内会のこども会がきっかけ。おなじ班になったことで仲よくなった。
初めてみたとき、ものすっごくかわいいコだったから覚えてる。
あのとき同じ班になってなかったら。エビスも加わって、楽しいお祭りになっていなかったら。
わたしは クラスのみんなと同じように、栞ちゃんを尊敬の目で見るしかなかったかもしれない。
タカネの花だよな、アコガレちゃうよね、って、いろんなコが言ってるみたいに。
それくらいオトナな栞ちゃんに対して、わたしは……どうなんだろう。
ヒきたて役 なんて、 すごいヤなコトバ。
コドモっぽくて、お化粧だってぜんぜんにあわなくて、みんなからはドジっていわれてて。
栞ちゃんにくらべて、わたしは……
「私は菜央の元気なところが好きよ」
しずみかけてるところに、栞ちゃんがにっこり笑った。
「いいところもわからないなんて、恵比寿もまだまだね。安心したかも」
芸能人オーラみたいな輝きに、わたしもエビスも圧倒されてなにもいえなくなっていた。
***
「……栞のヤツ、とうとう誰かとつきあい始めたか」
掃除の時間。そんなことをエビスのヤツが前ぶれもなく言ったから、どきりとしてしまった。
「な、なによいきなり」
チリトリ手にして なにか考えてるかと思ったら、これだ。
「だーってよお、朝ん時のあのヨユーたっぷりの顔。オレはかなり年上とつきあってるとみたね」
探偵が決めゼリフを言うときみたいに、口にユビをかざすエビス。きらーんと目がひかっている。
「年上って……」
「中高校生どころか大学生やらセンコーだったりしたらどーする? ハンザイになるな」
「し、栞ちゃんにかぎってそんなのないもん」
ホウキをぐっと握った。いくら 栞ちゃんが芸能人みたいなキレイなコだからって……
おとなとコドモがつきあうとハンザイになるくらい、わたしにだってわかる。
「はっ どーだかな。栞は栞でとっくに進んでると思うぜ?」
ゴミを入れおわったチリトリをもって、エビスが立ちあがった。
教室のスピーカーからは 掃除のおきまり音楽「エンターティナー」が流れている。
でもわたしの頭のなかは、その音楽にあわせて「すすんでる」という文字がぐるぐる おどっていた。
すすんでるって……なにが。まさか。
ただでさえドキドキしちゃってるのに。きわめつけは、ゴミ箱に向かうときに言われたこのひとこと。
「栞だって、お前みたいな お隣さんに騒いでるガキに合わせるのも大変なんじゃねーの」
はは、とわらうエビス。いつもとおなじで、わたしをからかっているだけだと思ったけど。
だけど、いまそのコトバを聞いたら、ずきんって痛くなった。
………合わせてる?
わたし、コドモっぽいから……栞ちゃんに合わせてもらってるの?
「……栞ちゃんならきっと言ってくれるもん!」
キーンコーンカーンコーン……
掃除が終わる合図の、チャイムが鳴り始めた。わたしの大声がうまくかき消される。
その強い言い方を聞いたのは、たぶんエビスだけだっただろうけど――びっくりしていた。
キーンコーンカーンコーン……――
「……菜央?」
「知ったかぶりのバカエビス! もう知らないっ」
「……菜央。恵比寿が心配してたわよ。悪かった、ごめんって」
掃除も帰りの会も終わって、放課後になった。
みんなはクラブ活動に塾におけいこごとに、わらわらと教室を出て行く。
さっきサッカー部の練習に出て行くエビスと目が合ったけれど、なんとなく目をそらしてしまった。
わたしとエビス ふたりの反応がおかしいな、と思ったのだろう。栞ちゃんは声を掛けてくれたのだ。
栞ちゃん以外だれもいない教室で、わたしは机に突っ伏していた。
正確には、ゆるゆると支度をしていたら、いつのまにかみんないなくなっていたのだ。
「なにかあったの? 恵比寿は菜央のこと、本気で悪口言ったりしないと思ったけど」
優しく栞ちゃんは聞いてきてくれる。
うん。わかってる。エビスが悪いんじゃない。
……わたしが勝手に変に受け取っちゃってるだけなんだ。
勝手にヘコんで、ちょっと立ち直れなくなっちゃってるだけなんだ。
「ね。私たち……ずっと一緒に居たよね。一年生のときから、ずっと三人で」
栞ちゃんの歩く音が聞こえる。カラ、と窓を開く音。
――栞ちゃんが窓際に近付いて、窓を開けたんだ。
とたん、開いている窓から、グラウンドの歓声が聞こえた。
「シュート!」とか「いけえ五年!」とか…… ああ あのシュート決めたの、ゼッタイ エビスだ。
「私も恵比寿も、菜央のこと大事に思ってるから。たぶん……私は恵比寿と違う意味で、だけど」
柔らかい物言い。……なんで、栞ちゃんはこんなに優しいんだろう。
わたしと、こんなにもちがう 女の子なんだろう。
「だから……なにかあったら、言って。隠し事、なしだよ」
ふふと笑う栞ちゃん。かくしごと。…ずっと一緒の、三人組……。
『年上だからカッコよく見えるだけよ』
……朝、ああいってくれてたのは……もしかして、栞ちゃんがわたしじゃ話せないって思ったから?
わたしみたいなコドモじゃ…栞ちゃんのヒきたて役にしかなれないの?
たまらず、わたしは起き上がっていた。
「栞ちゃん……、だれか好きなひといるの?」
振り返った栞ちゃんと目があう。長いまつげをしばたかせて、わたしを見ていた。
「いるんだったら、言ってくれるよね!?」
なんで、こんなせっぱ詰まった言い方でしか聞けないんだろう。
泣きそうになってきちゃうんだろう。だけど、止まらない。
「わたし…すごくコドモっぽいけど……栞ちゃんの話についていけてないかもしれないけど……
だけど、だけどっ…栞ちゃんにきらわれたく…ないんだよっ…」
ずっと抱えてきた不安が、ぜんぶ流れていってしまう。
考えないようにしてきたコトが、ぜんぶコトバになってしまう。
コドモっぽいわたし。すっごくおとなっぽくなっていく栞ちゃん。
エビスがからかってくれたから、真ん中にいつもいたから、考えないようにしてこれたけど。
いまさら わかっちゃったんだ。
わたしと栞ちゃんは……いっしょにいて、いいの? って。
「……あのね、菜央」
最初は驚いていたような栞ちゃんだったけど、穏やかに微笑むと、わたしの名前をよんだ。
「私ね、恵比寿以外の男の子が菜央に近付くと、はらはらしちゃうって知ってた?
菜央がお隣の嗣永さんのこと言うだけで――ちょっと動揺もしちゃうの」
栞ちゃんが歩き出す。わたしの座っている机の前にやってくる。
恥ずかしそうにしながら視線を外したけれど、それから かがむと、わたしと目線を合わせた。
「だって、私の好きなひと、目の前に居るんだよ」
「……。…え……」
夕焼けが窓から差しこむ。栞ちゃんの髪の毛も、頬も、くちびるもきらきら だいだい色になっていた。
ピーーーッ、と外でホイッスルがなった。試合終了、そんな声が聞こえてくる。
「菜央のまっすぐで、きらきらしてるところが好き。ずっと輝いてるのを見ていたい。ずっと……私が……」
「栞……ちゃ……」
すぐ目のまえに、栞ちゃんがいる。ほほえんでる。
だけど、いつもの栞ちゃんじゃないみたい。いつもよりおとなっぽい目をしてて、女の子らしい仕草をしてて、頬だってほんのりあかくなってて――
まるで、恋してるみたいに。
「……私のこと嫌いかな、菜央」
どきどきしてしまって、わたしが目をそらしてしまった。
「き、きらいじゃないよ! 大好き! だって、栞ちゃんはわたしの、いちばん だいじな……」
「大事な……お友達、にしかなれない?」
どうして。栞ちゃん、そんなにさびしくわらうの。
ずっといっしょに居たのに、いま わたしがとなりに居るのに、なんでそんな風にわらうの。
「菜央とずっと一緒に居て、勝手に期待してた。可愛くて、柔らかくて、明るい菜央――きっと私が一番わかってあげられる、きっと菜央も応えてくれる、って。でも……」
やだ。栞ちゃん、そんな風にわらわないで。
となりにわたしが居るんだよ。……こっちまで悲しくなるから、だから……
わたしは おずおずと栞ちゃんの手をにぎった。ユビをからめて、ふたりでいのるようなかたちにして。
しなやかな栞ちゃんのユビと、わたしのユビがひとつになる。
「菜央……」
「これからもずっといっしょだよ。栞ちゃん」
栞ちゃんを安心させたかった。だから、わらってみせた。
いつも栞ちゃんが、ゆっくりわらってわたしを包みこんでくれるように。
「……ありがとう。菜央」
栞ちゃんが手をつよくにぎってきてくれる。
近づいてくる栞ちゃんの顔。……きれいに整ったくちびる。
柔らかそうで、しなやかで、栞ちゃんみたいに…きっと、包みこんでくれる気がする。
「こっち見て、菜央…?」
「栞、ちゃ……え、は、はずかしい……」
それでもきゅっと目をつぶってしまう。だけど、栞ちゃんは穏やかにわらってくれた。
「恥ずかしくなんかないよ。菜央。私の目を見て。今は……私だけ、見ていて……」
くちびるがふれた と思った瞬間、目を閉じた。
くちびるをとじたまま、目をとじたまま、重ねあわせた。
手を。くちびるを。 まつげがふれて、気持ちが優しくなれて。
……キスってこういうもの? 女の子同士でも、ふわっとした気持ちになれるの?
ちがうよね。きっと、わたしが栞ちゃんをきれいって思ったから。
栞ちゃんが、わたしを、可愛いって言ってくれたから。
長いあいだ、ずっとそうしていた気がする。
くちびるがはなれて、わたしと目が合った栞ちゃんは、頬を少しだけあかくそめて――
「期待しちゃって……いいんだよね、菜央?」
夕日のなかで いたずらっぽく、微笑んだ。
――It is enough if that love is born has the hope of mere a few!
『恋が生まれるには、ほんの少しの希望があれば充分です。』
Byスタンダール