2封目 博士という本
何かおかしいな、とは思っていた。
「大樹」
「うひゃわぅ!?」
「……だ、大樹?」
「春兄! ビックリさせんなよ!」
……ただ声かけただけじゃん。
そう胸中でツッコみ、春樹は顔をしかめた。
けれど直接口に出すようなことはしない。
大樹が妙にソワソワしていたり何か隠していそうな様子であるのは昨日からわかっていることだ。
それに大樹はその隠し事を春樹に言いたがっている。きっと教えてくれるのは時間の問題だろう。
それがわかっていたから、春樹は別のことを口にした。
「大樹。今日は帽子かぶって遊びに行くのか?」
「へっ?」
問われた大樹は目を丸くし、慌てたように彼自身がかぶっているキャスケットに手をあてた。
「な、何で?」
「ううん、僕もそうした方がいいと思ったから。日差しも暑いしね」
窓の外に目を向ければ眩しい光が溢れている。
その眩しさに耐え切れず、春樹はわずかに目を細めた。
「遊ぶのもいいけどはしゃぎすぎるなよ?」
「わかってるって! んじゃオレ、行ってくるな! 友達待たせてるし!」
「いってらっしゃい。あまり遅くなるなよ……って」
もうとっくに聞こえていない。
春樹はため息をつき、それから首を傾げた。
やっぱり大樹の様子は変だ。わかりやすいほど。
(『何で?』か……)
帽子のことを尋ねたときの反応。
イエスでもノーでもなく「何で?」だった。
それはもしや、やましい気持ちの表れではないだろうか。
後で今も眠っているもっちーに訊いてみた方がいいだろうか。
だが勝手に詮索するような真似も少々気が引ける。
そんなことを考えていると、こちらに歩いてくる見知った影に気づいた。
「葉兄……?」
彼の顔はいつもより険しい。
それは春樹だからこそ気づいた程度の変化だが……。
「春樹。チビ樹は?」
「大樹なら今さっき遊びに行ったけど……?」
答え、返ってきたのは小さな舌打ち。
「何かあったの?」
「ああ……いや、まだわかんねぇ。だから確認したかったんだ。――春樹、お前だけでもちょっと聞け」
「はい!?」
ぐっと腕を引かれて焦る。
しかしこちらの様子に構うことなく、葉は春樹を手近な部屋に引っ張り込んだ。
しっかり周りを確認し鍵もかけてしまう。他人に聞かれたくない話なのだろう。
「葉兄……? 一体何が……」
「親父から連絡が来た」
「……父さんから?」
話が見えてこない春樹に葉が取り出したのは、一輪の青い花。
「大樹が見舞いにこれ持ってきたってよ」
「? それなら僕も知ってるよ」
朝食を食べた後結局春樹も病院に行き、そのときに大樹から直接話を聞いた。
来る途中で空腹の友達に果物をあげてしまったこと、その代わりに友達がその花をくれたこと。
それらを大樹は楽しそうに話してくれた。
あのときの彼は何も嘘なんかついていないはずだ。
「おまえ、この花のこと何か知ってるか?」
「……僕は見たことないし……あまり知られてる花じゃないよね。この花がどうかしたの?」
「親父の話によると、これは結構珍しい花なんだってよ。咲く場所が限られててな、今はもう立入禁止になっちまった森にしか咲いていないらしい」
立入禁止の森――?
「大樹がそこに入っちゃったってこと? もしくは友達が?」
「……問題は立入禁止のところに入ったってことじゃねぇ」
「……?」
「――獣人の目撃された場所ってのがその森のすぐ側なんだ」
じゅうじん。ジュウジン。
――獣人?
「……まさか……」
何が「まさか」なのか、それは呟いた春樹にもすぐに形に出来そうにはなかった。
混乱の波がどっと押し寄せてくる。
「ちょっと……待ってよ。だって葉兄、あれは嘘だって……!」
「嘘だと思った」
「え……?」
「いや――嘘だと思いたかった」
「……葉兄……」
呟いた彼は苦々しく顔を歪め、春樹はそれ以上彼を責めることが出来なかった。
彼の気持ちは何となくわかる。
言葉にすることでそれが“事実”になれたとしたらどれだけ良かったか……。
「獣人についてはまだ調査中だ。わかり次第早急に手を打たなきゃなんねぇ」
「そっか……」
「とりあえずチビ樹にも注意しとけ。……獣人はその森を住処にしている可能性が高い」
「……え?」
一瞬理解出来ず、春樹はぼんやりと顔を上げた。
今までの会話の流れからすると今の発言は決して不自然ではない。
森の近くで目撃報告。その森は立入禁止。
獣人が隠れ住むにはもってこいだ。
けれどそれが意味することは――。
思い出せ。大樹の行動を。
大樹は立入禁止の森へ入った。
そこは恐らく獣人の住処。そこで彼は“友達”に出会った。
そして?
その友達に果物をあげた。お腹を空かせて倒れていたから。
友達から花をもらった。果物のお礼にと。
それは一輪の花。小さな青いきれいな花。その森にしか咲かない花。
友達は言う。「この花好きなの」と。
――“友達”って、誰だ?
「まぁ、獣人に見つかりゃタダじゃ済まないからな。チビ樹は悪運も強そうだし大丈夫だったのかもしれねぇけど。でももしまた森に入るようなことがあったら次も上手くいく保証なんて……」
「葉兄、違う……」
「あ?」
大樹の隠し事。言いたいけれど言わない。言えない。
それはなぜ?
「大樹は獣人に会ってる……」
「なに……?」
「ううん、きっとそれだけじゃない」
大樹は笑った。友達と遊んでくると。待たせていると。
「大樹は今も会ってる――」
◇ ◆ ◇
春樹は足早に書斎へ向かった。
獣人についての情報が少なすぎる。
葉も顔色を変え調査を早めると言っていたが、それは「現在」の獣人についてだ。それは専門的な人たちに任せておけばいい。
だが、「昔」の……人々に認識され、恐れられていた獣人は?
入ると、外とは打って変わって空気が涼しかった。
誰もいないらしく明かりが一つもついていない。
積み重なるような数々の本のせいで日も遮られ、夏なのが嘘のように薄暗かった。
「……確かこの棚だったかな……」
呟き、春樹は「持ち出し禁止」の棚を覗き込んだ。上から丁寧に本を追っていく。
一段目、二段目、――三段目。あった。
目当てのものを見つけ、春樹はそれを引っこ抜くように取り出した。
背表紙に何も書かれていないソレ。
そっと開く。
「アア埃ッポイ」
「……久しぶり」
突然喋り出した本に笑いかけると、本からにょっきり足のようなものが生えてきた。
本は春樹の手から抜け出し、自力で机の上に立つ。
春樹はその椅子へ腰かけた。
「春樹ジャナイカ。最近ハ春樹カ大樹ニシカ会ッテナイヨ」
「え? 大樹も来たの?」
「何日モ前ノ話ダ。デモタダ喋ッタダケ。私ガ辞書ッテコト忘レテルヨ」
「……大樹らしいね」
不満そうな本、厳密には辞書に苦笑する。
この辞書はご覧の通り、一度開くと勝手に喋り歩き出す。
いちいちページをめくらなくても、質問をすれば答えてくれるという優れものだ。
それでもほとんどの人が使っていないのは、やはり一筋縄じゃいかない理由があるわけで。
「春樹。事件ヤ困難ガ多クテ、苦労ガ絶エナイコトヲ四字熟語デ?」
「……多事多難」
「正解」
――そう、辞書のくせに問題をしばしば出してくるのだ。
あとは時々火を噴くのが難点だろうか。
それにしても何ゆえ春樹に向かって「多事多難」を吹っかけてくるのか。笑えない。
「春樹トハヤッパ会話ガスムーズダ。他ノ人ジャコウハイカナイ」
「あはは、ありがと。……ねえ、今日は獣人について教えてくれないかな?」
「……珍シイナ。ソウイウノハ辞書ノ管轄ト違ウダロ」
「手っ取り早く知りたいんだ。博士なら知ってるでしょ?」
博士。
これはこの辞書のあだ名のようなものだった。
物知りだからと大樹が勝手に名づけたのだ。
ものすごく安易だが、辞書も満更でない様子だったので春樹もそう呼んでいる。
「……マアネ」
案の定、辞書――博士は楽しげに言葉を紡いだ。
「獣人カ……懐カシイナ」
「獣人は造られたって聞いたけど……本当?」
「本当ダ。……昔、『平和ニ飽キタ』ッテ言ウ男ガイタンダ。男ハ思ッタ。コウモ平和ジャ退屈ダ、脳ガ腐ッテシマウト。ナラドウスレバイイ? 簡単ダ。自分デ平和ヲ壊セバイイ」
「平和を……壊す?」
「ソウ。ソシテ男ハ考エタ。ドウヤッテ平和ヲ壊ス? 壊スナラ武器ガ必要ダ。ドンナ武器ガイイ? 強イノガイイ。ドウヤッテ造ル? ……人間ト獣ノ力ヲ合ワセレバ面白インジャナイカ? 人間ノヨウニ狡猾デ、獣ノヨウニ強靱ナ武器ナラ……」
淡々と告げられる言葉に春樹は眉を寄せた。
そんなことを考える人が本当にいるのだろうか。
平和を壊す? 武器を造る?
馬鹿げている。
「……春樹。倭鏡ダッテ全員ガイイ人ダトハ限ラナイヨ」
「……え」
「実際、平和ダシ楽シンデル人ガ多イケド。皆生キテルンダ。笑ウシ泣クシ怒ルシ。上手クイクコトバカリジャナイヨ。マア……ソノ男ハ平和ニ浸カリスギテ本当ニ脳ガ溶ケテタノカモシレナイケドネ」
「……わかってるよ」
気持ちが見透かされてしまったようで、春樹は少々複雑な気分に陥った。
だがわかっている。
倭鏡だって一つの世界だ。様々な生き物が交じることで成り立っている。
決して自分たちだけに都合の良い桃源郷なんかではない。
「それで? その人はどうやって獣人を造ったっていうの?」
「人間ニ獣ノ遺伝子ヲ組ミ込ンダンダ」
「……そんなこと、出来るの? だって昔の話でしょ?」
「昔トイッテモ五十年前位ノ話ダ。大昔ジャナイ」
五十年――。
獣人という非現実的な存在から、何となくもっと前のことだと勝手に思い込んでいた。
何と言っても今まで春樹たちには全く縁のなかったものなのだ。
けれど違っていたなんて。
「春樹ガ前ニ教エテクレタ戦争ノ話ト似タヨウナモンサ」
「それって第二次世界大戦の……?」
「アア。アレダッテソンナ大昔ノ話ジャナイダロウ? ケド経験シテイナイ者ノ中ニハ、ソレハ自分トハ関係ノ無イ遥カ昔ノコトダト思ッテイル奴ガ大勢イルト思ウヨ」
「……その辺はわかった。でもそれでも、獣のDNAを人に注入するなんて芸当……」
「最悪ナ奴ニ最悪ナ“力”ガ与エラレテシマッタッテトコカナ。ソレニ協力者モイタ。ソノ兵器ヲ役ニ立テヨウト思ウ者、純粋ニ金ガ欲シイ者……」
聞いている内に少しずつ気が滅入ってくる。
倭鏡の人が持つ“力”を生活や人のために役立てる人は多くいる。
だがそれを悪用するなんて。
「モチロン皆ガ皆悪イ考エデ参加シタ訳ジャナイカモシレナイ。獣人ヲ兵器トシテ用イレバ、倭鏡ニ結界ヲ張ル必要ガナクナルッテ考エタ人モイタシ……」
「博士……もういいよ。わかった」
獣人は兵器である。そう人々が考えていたのは揺るぎない。
「獣人が出来るまではわかったから……、結局出来た獣人はどうなったの?」
「言ッタロ、獣人ハ武器ダ。兵器ダ。命令スレバ人ヲ殺スシ物ヲ破壊スル。実際、練習デハヨホドノ効果ヲ出シテイタラシイ。ソレニ肉食ダカラネ……奴等ハ人ダッテ食ベルヨ」
葉の言葉が蘇る。
『獣人は人を食うらしいぜ?』
『そもそも奴らは造り出されたんだ――生きた兵器として』
それらは、どれも真実。
「でも絶滅したって……」
「一応ソウ言ワレテイル。本当ニ平和ガ脅カサレカネナイカラネ、皆必死ニナルサ。ソレニソノ研究ハアル程度噂ニナッタシ……獣人ガ本格的ニ活動ヲ始メル前ニ取リ押サエラレタ。ソシテ獣人ハ破壊サレタ」
そのおかげで平和は守られました。めでたしめでたし。
そう終わるにはどこかすっきりしなかった。
春樹はそっと息をつく。
薄暗い書斎の中で、自分たち以外の音がないことに今更ながら気づいた。
「……それが博士の知ってる全て?」
「マアネ」
「そっか……ありがとう」
「イイヤ。……春樹、『霜ヲ履ンデ堅氷至ル』ノ意味ハ?」
「災いの兆しが少しでも見えたら、やがては大きな災いがやってくるものだと思って用心や用意を怠るな」
「……タマニハ間違エロヨ」
台詞とは裏腹に博士が笑う。
春樹もどこかホッとして肩の力を抜いた。中の空気を入れ換えようと窓を開ける。
「……ねぇ、博士。今、その獣人が問題になってるらしいんだ。目撃報告もある。……どう思う?」
「当然ダネ」
「え?」
「当タリ前ジャナイカ。獣人ガ簡単ニ壊レルハズガナイ。獣ノ足デ逃ゲテ人間ノ知恵デ隠レテイタニ決マッテイル」
「…………」
「デモナ、春樹」
博士は初めて声のトーンを落とした。
春樹は窓の側に立ったまま、黙って先を促す。
「本当ニカワイソウナノハ獣人カモシレナイヨ」
窓から差し込む太陽が、なぜか妙に痛く感じた。




