エピローグ なつやすみ!
嵐があったことなど嘘のように、自分たちを見送る波は穏やかだった。
日差しの強さも緩み、暖かな夕日が顔を出そうとしている。
「まだ外にいたのか」
「……葉兄」
声をかけられ、春樹は小さく苦笑した。隣に並んだ兄の横顔をチラリと見、再び目を広々とした海へ向ける。
「潮風が気持ち良くて、さ。中でじっとしてたら酔っちゃいそうだったし」
「ふぅん」
「大樹は?」
「最初マシンガントークではしゃいでたんだけどよ、その内疲れたのか寝ちまった」
「……大樹らしいや」
肩をすくめた葉に笑ってみせる。
彼も「そうだな」と控えめにその笑いへ参加した。
潮風がサラサラと二人の間を駆け抜けていく。
「……ねえ、葉兄」
「あ?」
「僕でも王になることって出来るのかな?」
ポツリと尋ねると、葉がわずかに目を見開いた。
その反応に春樹は慌てて首を振る。
「違うよ、決めたとかそーゆうわけじゃなくて。ただ気になって……」
「へぇ。……そんなの、おまえ次第じゃねぇの?」
「僕次第……」
そう言われると弱かった。自分に自信が持てない春樹は、そこから先へ踏み込むことが出来ない。始める前から失敗を恐れても仕方ないとは思うのだけど。
(だいたい、王にここまで興味を持った直接の原因が新大陸だもんね……)
我ながら現金だと思う。こんな動機では王なんて務まるはずも……。
「春樹」
「?」
「王は義務ばかりじゃないんだぜ?」
「……え?」
葉は見透かしたかのように笑う。ニヤリと。不敵に。
「倭鏡や倭鏡の奴らを守るって義務をしっかり果たせるなら、ちゃんと権利もついてくるんだぜ?」
「…………」
「春樹?」
「……あは、ごめっ……あははっ」
なぜか笑いが止まらない。それは一瞬で悩みを吹き飛ばされたからなのか、もっと違う理由からなのか。
「変な奴」
「だって葉兄怖すぎ。“力”は予知じゃなかったの? エスパー?」
「俺に不可能はない」
「……マジに聞こえてほんと怖いかも」
「何か言ったか?」
「いいえ何もっ」
凄まれ、とっさに首を振る。やはり命は惜しい。まだ十代という若さなのだし。
愛想笑いで誤魔化していると、葉は肩をすくめた。どうやら面倒くさくなったらしい。
「……そろそろ中入るぞ。風邪ひく」
「あ……待って葉兄!」
踵を返そうとした彼の腕をつかむ。まだ一つ、他の人がいない今話しておきたいことがある。
その真剣さが伝わったのか、振り向いた彼の表情は奇妙なほど真面目だった。
「……何だ?」
「渡威のこと、なんだけど」
「渡威? 今日封印した奴か?」
「うん……それに限らないかもしれないけど」
「……?」
葉が怪訝そうに眉を寄せる。
春樹は一瞬言うのをためらい、――真っ直ぐと葉を見た。
「渡威の狙いは……僕らかもしれない」
「……何だって?」
「日本の渡威が僕らを狙う理由はあるし、凶暴なのは相反するエネルギーのせいだと思って気にしてなかった。……でも今日は? 倭鏡の渡威がどうしていきなり凶暴化したの? ――僕と大樹が倭鏡にいるからじゃないの……?」
声が、蘇る。焦りと恐怖がない交ぜになって放たれた声。
『これが渡威!? 嘘だろ!』
『こんな凶暴だなんて聞いたことねぇよ!!』
『普段は小さないたずらばかり! 確かにはた迷惑だけどこれに比べちゃ可愛いもんさ!』
「……この渡威の行動と、歌月の目的に直接の関係があるかはわからないけど。もしかしたら日本の方もエネルギーとは無関係で……変な言い方だけど……純粋に僕たちに凶暴なのかも」
もちろん可能性の一つというだけだ。それもちっぽけな可能性の。
春樹と大樹が渡威に恨まれるようなことをした覚えはない。それは歌月家に関しても同じだ。渡威騒動が起きるまでどちらとも面識がなかったのだから。
(……いや、ずっと小さなときに渚くんのお父さんを見たことはある……かな?)
両親と仲が良かった頃に会ったことくらいあるだろう。だが、やはり狙われる対象となるには程遠い。
葉も難しい顔で頭を掻いた。彼も渡威の凶暴化に関して疑問に思っていたのだろう。春樹の考えを真っ向から否定する素振りは見えない。
「……俺は渡威でも歌月の奴らでもねぇからはっきりとはわかんねぇな。一応親父に話しとくけどよ」
「うん……」
「とりあえず気をつけとけ」
「わかってる」
うなずき、封御を握りしめる。その重さはしっかりとその存在を主張していて、何だか妙に頼もしかった。
と。
「春兄っ! 葉兄――!」
甲高い声と共に「ぎゅむっ」と割り込んできた何か。それはもちろんお馴染みのもので。
「二人で何話してんだよ? ……あ! 夕日夕日! キレー!」
右腕には葉の腕を、左腕には春樹の腕を絡ませた大樹がキラキラと瞳を輝かせる。
こちらの様子などお構いなしにはしゃぐ彼に、二人は思わず吹き出した。
「チビ樹。おまえ寝てたんじゃ?」
「夕飯のにおいで起きた♪ ……あ、そうそう。だからご飯だぜって二人を呼びに来たんだった!」
「うわぁ……自分じゃない人が作ったご飯食べるの、給食以外じゃ久しぶりかも」
「……主夫だよなぁ、つくづく」
「春兄ってば海賊船でも料理作ってたんだぜ!」
「あれは他に作れる人がいなかったから……!」
ハタと気づく。今頃海賊のみんなはまた渉の食事を食べているのだろうか。……耳を澄ましていると本当に爆発音が聞こえてきそうで怖い。
「ほら! 早く行こうぜ!」
「わかったから引っ張るなって……」
「早く行かなきゃ空兄に食われちまうっ」
「それは許せねぇな」
「って葉兄速ぁっ!?」
「はははチビ樹。お兄様はおチビなおまえと違ってスラリとした美脚なのだよ」
「な、くそっ、待てーっ!」
「……恥ずかしいからあまり騒がないでよ……」
ドタバタと元気な足音。笑い声。そして夕飯の香ばしいにおい。
それらを乗せ、船は着実に岸へと近づいていた。
大きな夕日がゆっくりと海へ身を隠していく。
ほんの少し寂しげで、まだまだ遊び足りなさそうな夕空。
それもまた、夜を越え時間が経てば、めいっぱい元気な姿で子供たちを見守るのだろう。
まだ、夏休みは始まったばかりだ。
■9話「荒海×雷雨=順風満帆」了




