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倭鏡伝  作者: あずさ
9話「荒海×雷雨=順風満帆」
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エピローグ なつやすみ!

 嵐があったことなど嘘のように、自分たちを見送る波は穏やかだった。

 日差しの強さも緩み、暖かな夕日が顔を出そうとしている。


「まだ外にいたのか」

「……葉兄」


 声をかけられ、春樹は小さく苦笑した。隣に並んだ兄の横顔をチラリと見、再び目を広々とした海へ向ける。


「潮風が気持ち良くて、さ。中でじっとしてたら酔っちゃいそうだったし」

「ふぅん」

「大樹は?」

「最初マシンガントークではしゃいでたんだけどよ、その内疲れたのか寝ちまった」

「……大樹らしいや」


 肩をすくめた葉に笑ってみせる。

 彼も「そうだな」と控えめにその笑いへ参加した。

 潮風がサラサラと二人の間を駆け抜けていく。


「……ねえ、葉兄」

「あ?」

「僕でも王になることって出来るのかな?」


 ポツリと尋ねると、葉がわずかに目を見開いた。

 その反応に春樹は慌てて首を振る。


「違うよ、決めたとかそーゆうわけじゃなくて。ただ気になって……」

「へぇ。……そんなの、おまえ次第じゃねぇの?」

「僕次第……」


 そう言われると弱かった。自分に自信が持てない春樹は、そこから先へ踏み込むことが出来ない。始める前から失敗を恐れても仕方ないとは思うのだけど。


(だいたい、王にここまで興味を持った直接の原因が新大陸だもんね……)


 我ながら現金だと思う。こんな動機では王なんて務まるはずも……。


「春樹」

「?」

「王は義務ばかりじゃないんだぜ?」

「……え?」


 葉は見透かしたかのように笑う。ニヤリと。不敵に。


「倭鏡や倭鏡の奴らを守るって義務をしっかり果たせるなら、ちゃんと権利もついてくるんだぜ?」

「…………」

「春樹?」

「……あは、ごめっ……あははっ」


 なぜか笑いが止まらない。それは一瞬で悩みを吹き飛ばされたからなのか、もっと違う理由からなのか。


「変な奴」

「だって葉兄怖すぎ。“力”は予知じゃなかったの? エスパー?」

「俺に不可能はない」

「……マジに聞こえてほんと怖いかも」

「何か言ったか?」

「いいえ何もっ」


 凄まれ、とっさに首を振る。やはり命は惜しい。まだ十代という若さなのだし。

 愛想笑いで誤魔化していると、葉は肩をすくめた。どうやら面倒くさくなったらしい。


「……そろそろ中入るぞ。風邪ひく」

「あ……待って葉兄!」


 踵を返そうとした彼の腕をつかむ。まだ一つ、他の人がいない今話しておきたいことがある。

 その真剣さが伝わったのか、振り向いた彼の表情は奇妙なほど真面目だった。


「……何だ?」

「渡威のこと、なんだけど」

「渡威? 今日封印した奴か?」

「うん……それに限らないかもしれないけど」

「……?」


 葉が怪訝そうに眉を寄せる。

 春樹は一瞬言うのをためらい、――真っ直ぐと葉を見た。


「渡威の狙いは……僕らかもしれない」

「……何だって?」

「日本の渡威が僕らを狙う理由はあるし、凶暴なのは相反するエネルギーのせいだと思って気にしてなかった。……でも今日は? 倭鏡の渡威がどうしていきなり凶暴化したの? ――僕と大樹が倭鏡にいるからじゃないの……?」


 声が、蘇る。焦りと恐怖がない交ぜになって放たれた声。


『これが渡威!? 嘘だろ!』

『こんな凶暴だなんて聞いたことねぇよ!!』

『普段は小さないたずらばかり! 確かにはた迷惑だけどこれに比べちゃ可愛いもんさ!』


「……この渡威の行動と、歌月の目的に直接の関係があるかはわからないけど。もしかしたら日本の方もエネルギーとは無関係で……変な言い方だけど……純粋に僕たちに凶暴なのかも」


 もちろん可能性の一つというだけだ。それもちっぽけな可能性の。

 春樹と大樹が渡威に恨まれるようなことをした覚えはない。それは歌月家に関しても同じだ。渡威騒動が起きるまでどちらとも面識がなかったのだから。


(……いや、ずっと小さなときに渚くんのお父さんを見たことはある……かな?)


 両親と仲が良かった頃に会ったことくらいあるだろう。だが、やはり狙われる対象となるには程遠い。

 葉も難しい顔で頭を掻いた。彼も渡威の凶暴化に関して疑問に思っていたのだろう。春樹の考えを真っ向から否定する素振りは見えない。


「……俺は渡威でも歌月の奴らでもねぇからはっきりとはわかんねぇな。一応親父に話しとくけどよ」

「うん……」

「とりあえず気をつけとけ」

「わかってる」


 うなずき、封御を握りしめる。その重さはしっかりとその存在を主張していて、何だか妙に頼もしかった。

 と。


「春兄っ! 葉兄――!」


 甲高い声と共に「ぎゅむっ」と割り込んできた何か。それはもちろんお馴染みのもので。


「二人で何話してんだよ? ……あ! 夕日夕日! キレー!」


 右腕には葉の腕を、左腕には春樹の腕を絡ませた大樹がキラキラと瞳を輝かせる。

 こちらの様子などお構いなしにはしゃぐ彼に、二人は思わず吹き出した。


「チビ樹。おまえ寝てたんじゃ?」

「夕飯のにおいで起きた♪ ……あ、そうそう。だからご飯だぜって二人を呼びに来たんだった!」

「うわぁ……自分じゃない人が作ったご飯食べるの、給食以外じゃ久しぶりかも」

「……主夫だよなぁ、つくづく」

「春兄ってば海賊船でも料理作ってたんだぜ!」

「あれは他に作れる人がいなかったから……!」


 ハタと気づく。今頃海賊のみんなはまた渉の食事を食べているのだろうか。……耳を澄ましていると本当に爆発音が聞こえてきそうで怖い。


「ほら! 早く行こうぜ!」

「わかったから引っ張るなって……」

「早く行かなきゃ空兄に食われちまうっ」

「それは許せねぇな」

「って葉兄速ぁっ!?」

「はははチビ樹。お兄様はおチビなおまえと違ってスラリとした美脚なのだよ」

「な、くそっ、待てーっ!」

「……恥ずかしいからあまり騒がないでよ……」


 ドタバタと元気な足音。笑い声。そして夕飯の香ばしいにおい。

 それらを乗せ、船は着実に岸へと近づいていた。

 大きな夕日がゆっくりと海へ身を隠していく。

 ほんの少し寂しげで、まだまだ遊び足りなさそうな夕空。

 それもまた、夜を越え時間が経てば、めいっぱい元気な姿で子供たちを見守るのだろう。


 まだ、夏休みは始まったばかりだ。



■9話「荒海×雷雨=順風満帆」了

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