3封目 賑やかポイズンクッキング
そっと部屋を出ると、男たちが甲板の上で忙しなく動いているのがわかった。
とはいってもそれは一部で、他の者は何やら談笑していたりする。やはり嵐や襲撃のとき以外はのんびりしているものなのだろうか。
春樹と大樹は顔を見合わせ、覚悟を決めて歩き出した。
ただし大樹の方はどちらかと言えばワクワクしている。お化けの類いを除けば無駄に怖いもの知らずな奴なのだ。
「おい」
ギクリ
突然の声に慌てて振り向く。
いつの間にいたのだろうか、例の女が重そうな樽を持って後ろに立っていた。少々不穏なオーラを纏わせて。
当たり前だ、と春樹は思う。
いわば自分たちは人質だ。人質は大人しくしていなければならない。少なくとも部屋を抜け出してウロウロしていいはずがない。
緊張する自分を見て、女が片眉を上げた。低く尋ねる。
「こんなところをウロチョロして、一体どーゆうつもりだい?」
「あ、あの……」
「いくら王子だからって好き勝手なことしてると……」
「あのさ!」
ふいに大樹が前に進み出た。彼は緊張感のない笑顔で女を見上げる。
「オレたちにも何か手伝わせてくれよ」
「……は?」
「オレたちも何かしてぇの。じゃないとすっげー退屈だし……」
「…………」
突拍子ない申し出に、女はしばし言葉を失ったようだった。
まじまじと自分たちを見つめ――爆笑に値するほど笑い出す。
「あははははっ!! 変な奴ら!」
「な、何だよ!? 暇死にするよりいーじゃんかっ!」
「だからって……あんた、とんだじゃじゃ馬王子だねぇ?」
「わわっ!?」
グリグリと頭を撫で回された大樹が悲鳴を上げる。
それでさらに笑った女は片手で涙をぬぐった。よくわからないがツボにはまったらしい。
「言っとくけど、ここでの仕事は大変だよ?」
ニヤリと不敵な笑み。
それは不思議と人の目を引き寄せる力があった。
「頑張る!」
「足手まといになるようでしたら、すぐに止めてもらって構わないんで……」
二人でうなずくと、女は品定めでもするように再びまじまじと見てきた。頭のてっぺんから足の爪先まで見られ、二人は何となく姿勢を正してしまう。
だが、それほど長い時間が経つわけでもなく、女は勝気な笑みを見せた。
「――よっし。許可するよ。男たちに色々教えてもらいな」
「マジで!? やった!」
「ありがとうございます」
頭を下げ――大樹と笑顔を交わす。まさかこんなにあっさり認めてもらえるなんて。
「あたしの名前は渉だ。みんな姐さんって呼んでるけどね」
好きに呼びな、と笑った女――渉は再び樽を持ち上げた。厨房らしきところへ向かっていく。最後にチラリと振り返り。
「ま、せめてむさ苦しい男共に食われないように気をつけときなよ」
…………。
…………。
「……春兄。あいつらって人食うの!?」
「あははは……」
大樹にきっちり説明してやる気にはなれない。どうせ悪い冗談だろう。
笑って誤魔化した春樹は、とりあえず大樹を連れて甲板に出た。当然子供の自分たちは目立ち、すぐに男たちが寄ってくる。みんな怪訝そうな顔つきで。
「おいおまえら、何やってんだ?」
「渉さんに許可をいただいたので……何かお手伝いさせてもらえないでしょうか」
尋ねると、男たちはザワザワと騒ぎ出した。顔を見合わせ、自分たちをジロジロと見比べたりしている。何だかさっきから動物園の動物みたいだ。その内餌でも与えてくれるかもしれない。
そんなことを考えている内に一人の男が前に出、小さく笑った。
(あ……)
渉が「旦那」と呼んでいた人物だ。
「渉の名を知っているってことは本当だろう。おまえら、一から教えてやりな」
「でもお頭。こんなガキ相手じゃ……」
「人質の身で仕事を手伝いたいなんて、姿形はガキでも根性は面白いだろ」
……面白がられているのか、自分たちは。
何となく複雑になると同時に、春樹はそっと男を見やった。彼がこの船の頭だと知り、何だか妙に納得してしまう。
ボンッ!!
「「!?」」
前触れもなく聞こえた音にギョッとする。
爆発!? こんな海の真ん中で!?
「あー……姐さんまたやってるよ」
「え? 今の……」
「姐さんが料理で失敗してんのさ。いつものことだぜ」
男たちが陽気に笑う。あははは、ととりあえず春樹も笑いかけ――。
(――って笑い事じゃないよ!?)
「あの、僕見てきますっ」
やはり気になり、春樹は慌てて駆け出した。
実際、船で爆発なんて冗談じゃないだろう。万一沈むようなことになってしまったらどうするのだ。この船でタイタニックの真似なんかちっとも面白くない。
そんなことをブツブツ考えていた春樹は、厨房の前で思わずその足を止めた。
「……うわ」
厨房から不気味な黒い煙が出ている。
「あの……渉さん?」
「ん? げほ……あ、春樹だっけ? ごほっ」
「そうですけど……大丈夫ですか?」
むせている彼女に顔を引きつらせる。マジで大丈夫なんだろうか。当初のイメージより段々かけ離れている気がする。
「姐さん、勘弁してくださいよ……」
「あああ煙が目にしみるっ」
中からさらに男が二人出てきた。ニンジンを手にしている辺り、どうやら皮をむいていたようだ。多少鼻が黒くなっているのはこの煙のせいだろう。
「ったく女々しい男だね」
「姐さんの料理の仕方が悪いんすよ! 俺らを殺す気っすか!?」
「あ゛ぁん!?」
ぼぼんっ
「「「ぎゃあああっ!?」」」
「…………」
本当に、本当に、大丈夫なのだろうか。
不安に思いつつ、春樹は厨房の中を覗き込んだ。黒い煙の発生源である鍋に慎重に近づく。中身を見たが、どうしたらこうなるのか理解に苦しむので見なかったことにしよう。知らぬが仏だ。
「!」
――何でアンモニアの臭いがするの!?
ずっと息を止めているわけにもいかず、つい吸い込んでしまったそれに春樹は思い切り咳き込んだ。
どうしたら料理が刺激臭を放つのだ? 一体この原形は何なんだ?
(~~~~)
気合いを込めて鍋の中身を処分する。料理にここまで命懸けになったのは大樹に手伝ってもらったとき以来だ。まさかこんな日がまた訪れるなんて。
しばらくすると煙も何とか落ち着いてきた。それを確認した渉と二人の男もホッと息をつく。
「助かったよ春樹」
「いえ、別に……」
確かにきつかったが、中身を処分しただけで特別なことは何もしていない。
「ところで……どうして渉さんが料理を? やっぱり女性だからですか?」
「まさか」
不思議がる自分に、彼女はあっさり肩をすくめた。二人の男も苦笑している。
「ここじゃ男だからとか女だからなんて関係ないよ。単純にあたしがこの船の中では料理が出来る方なのさ」
「……え?」
「あたしより旦那の方がもうちょいマシなんだけど、旦那は頭だから忙しくてね。他の奴らは皮むきが精一杯だし、……まあ……運が良ければあたしの料理も食えるものになるし」
「…………」
何てこった。ここの人間は料理に関してはみんな大樹並みだなんて。
日差しのせいではなくはっきりと目眩がしたが、春樹はそれを押し隠した。代わりに精一杯の笑みを向ける。
「あの、良ければお手伝いしましょうか?」
「……何だって?」
「僕、割と食事を作る機会は多いんです。力仕事よりこっちの方が得意ですし」
何せ普段は主夫業に徹している。毎朝食事を作り、学校から帰ってきた後は掃除や洗濯までしているのだ。いくら船の上とはいえ、少しは力になれるだろう。少なくとも不気味な黒い煙を出すことは阻止出来るような気がする。
「……あんた、ほんと変な王子だねぇ」
呆れたような感心したような、何とも言えない表情で渉が呟く。
春樹はただ苦笑しておくしかなかった。どうでもいいが春樹も大樹も厳密には「王子」でない。
「ま、頼んでみるかな。あたしの目の届くところにいた方があんたも食われる危険はないだろうし」
「渉さん。その食われるって一体……?」
「ん? やっぱ船の上は男ばっかだからねぇ。色々飢えた狼ちゃんもいるかもしれないだろ?」
狼ちゃん、という言い方は気になるがともかく。
「でもそれなら渉さんの方が危ないんじゃ……」
「あーナイナイ」
あっさり否定したのはニンジンを持った男の方だった。皮をむき始めながらケタケタと笑う。
「姐さんに手ぇ出したら二重に殺されちまうよ」
「そうそう。姐さんは俺らよか強いし、お頭が黙ってねぇし」
「うっさいよあんたら」
ジロリと渉が睨む。
それに気圧され、男たちは慌てて皮むき作業に集中し始めた。
どうやら彼女の方が強いというのはあながち冗談ではないようだ。それにどうも、渉とお頭は付き合っているらしい。もしくはすでに夫婦なのか。とにかくこの二人がこの船の上ではリーダー的存在なのだろう。
(色々関係は見えてきたかな……)
少なくとも陽気な人間が多そうだ。意外なような納得出来るような……。
「ま、とにかく。男ばっかで飢えてる奴らにとっちゃ、あんたらなんて美味そうじゃん?」
話を戻され、春樹は慌てて我に返った。「そうですね」とうなずきかけて踏み止まる。ちょっと待て。
「僕らだって男に変わりないじゃないですか!」
「でもホラ、その辺はケダモノだし、男しかいないならそれでいいかもって……」
「「姐さん!?」」
指差された「その辺」二名の抗議の声は同時だった。ニンジンが潰れそうなほど強く拳を握っている。
「ひどいっすよ姐さん!」
「俺らのことずっとそんな目で見てたんすかぁ!?」
「あははははっ!」
「「姐さん!」」
笑いまくる渉に再び男たちの抗議。
話の内容はともかく、その雰囲気は思いがけず楽しげだった。
春樹はどことなく拍子抜けの気分でそれを眺める。
(あまり悪い人たちには見えないよなぁ……)
少しずつ崩れていくイメージに戸惑いを隠しつつ、春樹は山のようなニンジンを一つ手に取ったのだった。
◇ ◆ ◇
何だかんだと時が経って夕暮れ。
妙に疲れきっている男たちに食事を渡しつつ、春樹はぼんやりと海に見入ってしまった。
晴れているので夕日の色がきれいに海に染まっている。海をずっと見ていたら飽きるだなんて嘘のように思えた。
「お疲れ様です」
「……本当だよ」
「は?」
最後の一人に渡したとたん、その男は盛大なため息をついた。途端に他の男たちまで騒ぎ出す。
「大樹にゃ一から教えてちゃダメなんだもんな。ゼロから……いや下手したらマイナスから教えねーと」
「ヤワだし力もねぇし、一回じゃ同じ作業を理解しねぇし。とんだ嬢ちゃんだ」
「んな!? おまえらの説明が悪いんだろ! つかオレは男だっ!」
「男ってのは俺らみてぇなことを言うのよ。おまえはベビー、良くて嬢ちゃん」
「なにィっ!?」
カッとなる大樹に男たちが笑い出す。どうやら大樹はここでもからかいの的らしい。
しかしここまで彼らが疲れている原因が大樹だなんて、さすがと言うか何と言うか……。先が思いやられる。
「――美味い」
ふいにお頭――先程聞いた話では「漣」というらしい――が声を上げた。彼は驚いたように食事を続けている。
他の者はまだ箸をつけていなかったので、信じられなさそうに顔を見合わせた。
「お頭、本当ですかぁ?」
「そりゃ見た目はいつもより断然マシですけど……今日だって謎の爆発起こしてたのに」
「いいから食ってみな」
促され、他の者は再び顔を見合わせる。
しかし逆らうわけにもいかないのか、みんな恐る恐る口に運び始めた。
一人、二人と口をもぐつかせ……。
「お」
「お」
「おぉっ?」
…………。
なぜか流れる沈黙。口に合わなかったのだろうかと春樹はそっとみんなの顔を見回した。
が。
「うまいっ!」
「えぇ!? 何だよこりゃ!?」
「こんなうまいモン初めて食った!」
「やべぇ感動……っ」
ざわざわとみんなが騒ぎ出す。
そのやたらオーバーなリアクションに春樹は驚かされてしまった。単にオーバーリアクションをしているだけか、純粋に料理が美味しいのか、普段食べているものがよほど不味いのか。申し訳ないが一番後のような気がする。
「……あ。これって春兄が作ったんだろ?」
モグモグと食べながら大樹がこちらを見てくる。毎日食べているせいかよくわかっているようだ。
「うん、まあ……」
「マジで!? 姐さんが作ったわけじゃねぇの!?」
「だからこんなに美味いのか!」
「黙んねぇと舌切り落とすぞてめーら! あたしだって手伝ったっつーの!」
喚く渉に男たちが豪快に笑う。
だが立場というものがあるのか、漣だけは控えめに笑っていた。彼まで思い切り笑ったら確かに渉が怖そうだ。
「しっかしうまいな……。おい春樹」
「はい?」
「俺の嫁に来てくれ」
「……嫌です。ていうか無理です」
「ちぇーっ」
男が大袈裟に落胆し、他の者がどっと笑う。気づけば酒まで出回っていた。よくわからないがパーティーの開始のようだ。周りのテンションの高さにも少し納得である。
「よっしゃ、料理が美味いぞ記念だ! ほれ、嬢ちゃんも飲め飲め」
「嬢ちゃんってゆーなっ」
「これを飲めたら男だって認めてやるよ」
「ホントだな!?」
「って大樹! 挑発に乗るな! おまえ酒なんて飲めないだろ!?」
「春兄止めんな! 男にはやらなきゃいけないときがあるんだ!」
「意味わかんないし!?」
男たちが笑う。はやす。踊る。
そんな賑やかさに包まれながら、海賊と人質の奇妙な夜は刻々と過ぎていった。




