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倭鏡伝  作者: あずさ
9話「荒海×雷雨=順風満帆」
75/153

2封目 死因:暇

「王」


 呼びかけられ、どこかぼんやりしていた葉はハッと我に返った。声の主を見やる。それは先程報告に来たのと同じ男性であった。ご丁寧に表情の硬さまで同じだ。


「……どうした?」

「また報告が……。海賊は野次馬の騒ぎに乗じて逃亡してしまったようです」

「そうか……」


 うなずき、息をつく。またか、と思ったがそれ以外の感情は湧いてこなかった。逃げられたのは何もこれが初めてではない。想定内だ。


「……逃亡の際、相手は子供を二人連れさらったと……」

「子供?」

「それが……証言によりますと春樹様と大樹様のようで」


 気遣わしげな男性のセリフに、葉はピタリと動きを止めた。


「――は?」



◇ ◆ ◇



 眩しすぎる太陽の光がキラキラと反射し、海には宝石が散りばめられているようだった。

 そんな海はどこまでも広く青く、まるで全てを包み込むようで――。


(……そんなポエムじみたことを考えてる場合じゃない……)


 縛り上げられたまま男たちに囲まれ、春樹は思い切り顔を引きつらせた。

 何でこんなことになってしまったのだろう。

 本来なら楽しい夏休みの始まりではないのか?

 それがこんな、グルグルに縛られ怖い顔をした男たちに囲まれなければならないなんて。

 楽しさの「た」の字も見当たらない。


「おい! 何すんだよ!」

「…………」


 キャンキャン喚く大樹にため息をつく。こいつだ。こいつが全ての原因だ。


「くくっ。威勢はいいな、チビ」

「チビってゆーなあっ!」

「……なあ、このチビには猿ぐつわでもかませといた方がいいんじゃねぇの?」

「猿!? 猿なんてかめねぇよオレ!?」

「「「ぶっ」」」


 アホすぎる発言に周りの男たちが吹き出した。

 春樹はただただ黙ってじっとしているしかない。兄として恥ずかしすぎる。


(どうやって逃げよう……)


 縄は緩くないが、決してほどけないことはなかった。

 だが、縄をほどきセーガを出し、さらに大樹を連れて逃げるという芸当は一瞬では難しい。しかも今は思い切り周りを囲まれているのだ。失敗は許されない。

 かといってこのまま大人しくしているのも不安であった。葉の話では人を殺していないようだが、それが自分たちにも適用される保証はない。

 突き刺さる太陽のせいではなく、じっとりと汗が噴き出した。


「ガキ相手に何やってんだい」

「姐さん!」


 突然響いた凛とした声で、男たちの間に緊張が走る。

 春樹と大樹も自然とその声の主を探していた。


「女の……人?」


 ボーゼンと相手を見る。

 相手は頭にバンダナを巻き、いかにも涼しげな格好でこちらを見下ろしていた。おそらく背中ほどまである髪を一本にまとめ、勝気な瞳を楽しげに細める。小麦色のスラリとした足が動き、一歩ずつ自分たちへ近づいてくる。

 そのたびに春樹たちの緊張も無意識に高まった。

 やがて彼女は自分たちの目の前で止まり――不敵に笑う。

 その存在感に二人はしばし言葉を失った。半ば見とれていたのかもしれない。

 が。


「てめぇら! 何勝手にガキさらってきてんだ、あぁ!?」


 ――今度は、その威勢の良さにビビって言葉を失った。


「す、すいませんすいません!」

「ついうっかり!」


 うっかりでさらわれた自分たちはたまったもんじゃない。


「ったく……。おいガキんちょ」

「が、ガキんちょ!?」

「お、いいねぇ。強気な奴、あたしは好きだよ」


 ケラケラと女が笑う。そのまま、女は自分たちと目線を合わせるように屈み込んだ。たったそれだけのことなのに、なぜか気圧されわずかに身体を引いてしまう。


「ガキんちょが嫌なら名前を言いな」

「え……」


 詰まる。素直に答えていいものだろうか。王家の人間だとバレたら厄介なことになるのでは……。


「日向大樹だっ」

(~~バカ)


 きっぱり言ってしまった大樹に脱力する。縛られていなきゃ殴っているところだ。


「日向……ってまさか……」

「姐さん。確か王の弟の名前、春樹と大樹って」


 ザワザワとざわめきが広まる。女の顔も難しそうに歪んだ。


「……そっちのガキんちょは?」

「あ、あの……僕は……」

「春兄、何ではっきり言わないんだよ?」

(大樹のバカ! アホ!)


 一体どれだけ立場を悪くしたら気が済むんだ!


「春兄、ねぇ。てことはやっぱり春樹なんだな?」

「……はい」


 どうにもならなくてうなずく。それと同時にざわめきは一層大きくなった。


「すっげー! 王家の奴ら!? うわ、初めて見たぜ!」

「身代金要求したらガッポリじゃねぇ!?」


 もはや大金を手に入れた気分なのだろう。男たちは思い切りはしゃぎ出した。互いに抱き合っている者までいる。

 そんな騒ぎをうるさそうにした女が、まじまじと二人を眺めた。興味津々といった感じだ。


「王家の割には変な奴らだね。護衛もなしにあんなところで観光かい?」

「まあ……自覚に乏しいものでして」

「ふぅん。――旦那! 思わぬ収穫だけどどーするよ!?」


 女が声を張り上げると、ピタリと騒ぎが止んだ。代わりに、他の男たちとは雰囲気の違う男が姿を現す。これが「旦那」と呼ばれた人なのだろう。

 長身でがっしりした身体。切れ長の瞳にしっかりと日焼けした肌。立っているだけでものすごい威圧感を感じるのに、なぜかその視線は涼しげで。


「かっ……」

「ん?」

「かぁっこいい―――っ!」


 ――がくり。

 どこまでもアホな発言をする大樹に、春樹は心底力尽きた。

 確かに相手は男の目から見てもカッコいい。それは認める。だが自分たちの立場を考えてみれば、キラキラと瞳を輝かせて素直な感想を述べている場合ではない。

 呆気に取られた相手は、すぐに口元だけで笑んだ。大樹、春樹と順に頭を撫でてくる。その手はゴツゴツとしていて、だが予想外に優しかった。


「返すまでは丁重に扱っとくしかないだろうな」


 低く、男らしい声。それに女は肩をすくめてみせる。


「だろうね。……おい! 二人を部屋に連れてってやりな!」

「へいっ」


 目で指名されたらしい男が二人を肩に担ぎ上げる。

 その不安定さに悲鳴が込み上げ、春樹は慌ててそれを呑み込んだ。


「……あのー。僕たち、どうなるんですか?」

「ん? 大人しくしてりゃどうもしねぇよ。早くパパとママに会いたけりゃじっとしてることだな」

「……そうですか」


 何ともありきたりな返事にこれ以上会話を続けることも出来ず、二人はそのまま部屋に連れていかれた。そこは小さく、窮屈そうなベッドしかない。

 ――これで「丁重」か。文句を言っても仕方ないが。


「おまえら、逃げも死にもしないか?」

「え?」

「しないって約束するなら縄をほどいてやるよ」


 意外な言葉に、二人は思わず顔を見合わせた。何か裏があるのでは、と思ったが相手の表情からは何も窺えない。

 とりあえずここは素直に従っておいた方が無難だろう。元々、逃げる気はともかく死ぬ気は一切ない。


「……逃げませんし、ましてや死のうともしません。約束します」

「オレも!」


 二人の言葉に、男は満足げにうなずく。

 そして――本当に縄をほどいてくれた。こちらが驚くほどあっさりと。


「じゃ、いい子にしてろよ」


 バタン、と部屋のドアが閉められる。その部屋に残されたのは二人だけ。監視もいない。鍵がかけられた様子もない。

 …………。

 …………。


「……え、いいの? 何これ?」


 余計なお世話だろうが、むしろこちらは嬉しいが、本当にこれでいいのだろうか?


(こんなものなのかな……)


 何と言ってもここは海の上だ。春樹の“力”を知らないのであれば、逃げる手段もないから大丈夫だと判断されても不思議はない。実際、大樹だけならここから逃げることはほぼ不可能だろう。


「う~……手が痺れた……」


 とりあえず解放されたことを確認するように、大樹が顔をしかめながら手首をさする。

 しかし跡になっているわけでもないので、彼はすぐに気を取り戻したようだった。小さな窓のようなところから外を覗く。


「春兄。オレたち、今どの辺なんだろうな?」


 呑気な声で大樹がポツリと尋ねてくるが、春樹にその答えがわかるはずもない。春樹は肩をすくめた。


「さあ……。逃げるなら早くした方がいいのは確かだね」


 あまりにも沖から離れてしまうと、逃げ出してもセーガが陸に着く前に力尽きてしまうかもしれない。いくらセーガでも万能ではないのだ。やはり限度というものがある。

 だが、ここで素直に逃げてもいいのだろうか。


「……大樹。どうしてあの人たち、こんなことしてるのかな」

「へっ?」

「海賊っていうのは封建制度に嫌気が差した人や奴隷だった人がなるケースが多いらしいんだ。海賊は危険も多いけど自由なイメージが強いしね。でも……倭鏡ではそーゆうのってちょっと合わない気がするだろ? 葉兄の話やさっきの会話からするとお金を集めてるみたいだけど、それで豪遊したがってるわけでもなさそうだし……」


 もちろん、あんな短時間では彼らの本性はわからない。

 けれど雰囲気が告げているのだ。彼らの目的はただ金なのではないと。その先に何かあるのではないかと。

 これは、機会かもしれない。


「……調べてみない?」

「調べるって……何で海賊になったのか?」

「そう。それがわかれば葉兄も対策を立てやすくなるだろうし」


 ただし、これは自分たちが無事に戻れることを前提としなければならない。途中で殺されては何の意味もないのだ。調べようとするなら、彼らを信じてみることから始める必要がある。

 春樹の提案がよほど意外だったのか、大樹はしばらくポカンとしていた。数度瞬き、じっとこちらの顔を見てくる。

 だが、その後彼は、ニッと楽しげな笑みを浮かべたのだった。


「面白そうじゃん♪ やるならとことんやろーぜ!」

「意見一致だね」


 となると、逃げるのは延期だ。様子を見てからである。


「それじゃ、これ」


 ポンと大樹に物を投げて渡す。それを受け取った大樹は目を丸くした。


「……何これ?」

「日焼け止めクリーム」

「えぇ!? 何でそんなモン持ってきてんだよ!?」

「夏だから」


 さらりと答え、春樹はベッドに腰掛けた。

 大樹が納得しかねる様子でクリームを出し始める。そりゃもうニョロニョロと。


「って出しすぎ! どこまで塗るつもりだよ!?」

「んなこと言われたってあんま使ったことねぇからわかんねーよ! つかいらないだろ!?」

「こんな長い間船の上にいたら紫外線で肌ボロボロになるかもしれないだろ! 将来皮膚癌になってもいいのか? 一昔前のコギャルになってもいいのか? 真っ黒になってどこに目があるのかわからなくなってもいいのかっ?」

「うぅっ……」


 よくわからない脅しだが、大樹には恐ろしく聞こえたらしい。彼は素直にクリームを塗り始めた。多すぎた分は何とか根性で誤魔化す。

 こんなくだらないことに時間を割いていた二人に、ふいに静けさが訪れた。考えていたことは同じだったのだろう、同時にため息をつく。


「調べるっていっても……あっちが来てくれなきゃどうしようもないし」

「暇だぁ~……」

「……うん」


 そう。不謹慎な話だが、何もすることがなくて退屈なのだ。


「……暇……」

「…………」

「ひーまー……」

「…………」

「あ~~~~暇暇ヒマヒマひま~~~~っ!!」

「うるさいっ!」


 あまりのうるささに思わずハリセンで引っ叩く。

 スパン! という音と波の音がハーモニーを奏でたような気がした。

 頭を押さえた大樹が涙目で見上げてくる。


「だって暇じゃん! このままじゃオレら暇死にだぜ!?」

「やだよそんな死因」


 ため息をついて肩を落とす。

 だが、元気の塊である大樹には確かに苦痛だろう。そもそもこの狭い部屋では大して動き回ることも出来ない。


「あー……うー……」


 大樹は不満そうにベッドの上をゴロゴロ転がり、これまた不満そうに唸った。こんな奴が小学校の中で最高学年なのだと思うと情けなくなってくる。しかも弟だなんて。


「大樹、少しは大人しく……」

「そーだ!」

「?」


 ガバリと身体を起こした彼の顔は輝いていた。

 それは海賊を見に行こうと提案したときの表情に似ていて、春樹は思わず顔を引きつらせる。

 そんなこちらの様子に構うことなく、大樹は笑顔で口を開いた。


「春兄! オレ、いいこと考えた!」

「いいこと……?」

「あのさ、オレらも海賊になっちゃおうぜ!」

「……は?」

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